第57話 結婚式④
あの日、ディランはエイヴリルに結婚してほしいと告げてきた。
いきなりの求婚にエイヴリルは驚きに包まれた。いつもの優しくて穏やかなものとは違う、真剣な眼差しに息を呑んだときのことが鮮やかに思い浮かぶ。
けれど、エイヴリルはすぐにこれは契約結婚の話なのだと思い直してしまったのだ。
(まさか、あの言葉が本気だった……ということはないですよね……)
ゆっくりと目を閉じて、その言葉を反芻する。
――エイヴリル・アリンガム。私と結婚してほしい。
(確か……あの後、私はディラン様に“鈍い”とはっきり言われてしまった気がします……!)
どうして気がつかなかったのか。いや、自分の自惚で思い過ごしかもしれない、と何とか持ち直そうとしたエイヴリルにキャロルが追い打ちをかけてくる。
「どこからどう見ても、ディラン様はエイヴリル様を愛しておいでです。なぜか悪女になりきっている変なあなたでも、優しく見守っててすごいですよね。ここまでくると尊敬を通り越して変わり者っていうかどっかおかしいのかなって」
「……!?」
「全然気が付いてないとか言わせませんよ。ランチェスター公爵家にはまだお世話になって一年足らずですが、もしそうなら旦那様があまりにもかわいそうで」
「……!?!?」
聞いていない。いや、実は聞いていたのかもしれないが、完全に契約結婚の話だと勘違いしてしまっていた。
もしそうだとしたら、いつから。お茶会の日は、サロンコンサートの日は。ローレンス殿下に紹介してくれたときは。君はもうこんな風に過ごさなくてもいい、と伝えてくれた日は。
ディランと過ごしてきた一年間が脳裏を駆け巡る。当たり前の日常と思っていたけれど、思えばディランはいつだってエイヴリルに紳士的で優しくて温かかった。
(もしかして……これが、誰かに特別に大切にしてもらう、ということなのでしょうか……)
じんわりとした不思議な感情が胸に広がっていく。
新事実に目を瞬くエイヴリルは、なぜかディランの顔が思い出せない。つい今朝までは、ドレスを眺めながら簡単に反芻して心の中で何度もお礼を言っていたはずなのに。
ディランの優しさがただの気遣いではないことが少しだけわかった気がしたものの、いまいち自信が持てなかった。けれど、こういうことは本人に聞くのが一番早いだろう。
(ここから脱出したら、ディラン様に本当のところを聞いてみましょう……!)
布紐を噛みながらモゴモゴ言っていたエイヴリルが急に大人しくなったのを見て、キャロルも察したようである。
「……まさかと思っていましたが、本気で愛のない政略結婚だと思っていたんですね」
「……はひ」
「いくらあなたの生い立ちが家族に恵まれないものだったとしても、あそこまでしてわかってもらえない旦那様が不憫です」
「はひ」
申し訳なさすぎて、どうしようもなかった。
ふわふわした感情と罪悪感に押しつぶされそうなので、頭を切り替えてこれからのことを考える。
(まずは、隙を見てここから脱出すること。私がどこかに連れて行かれずにここに閉じ込められているということは、きっとコリンナは私をアレクサンドラ様の侍女として入れ替えたいんだわ)
結婚式でエイヴリルと入れ替わる、リンドバーグ伯爵家にエイヴリルを送り込む。どの選択肢でも一瞬でバレることが明白すぎて、コリンナがかわいそうにすら思えてきた。
(むしろ、結婚式が始まってしまえばこちらのものかもしれません。ただ、ドレスが……。ディラン様が私のために仕立ててプレゼントしてくださったドレスが……)
毎朝ずっと見つめてきたドレスに、自分よりもコリンナが先に袖を通すのだと思うと少しだけ残念な気持ちになる。
けれど、おっとりしていてメンタル強めなのがエイヴリルのいいところである。これからすることが決まったら、何だかホッとして力が抜けてしまった。
(この階段室は南にあるのでしょうか……窓はないけれど、ポカポカです……)
実のところ、今朝のエイヴリルは結婚式のためにいつもより早起きだった。
朝早く起きて、ドレスを眺めて、朝食をとって、ドレスを眺めて、身支度をして、ドレスを眺めた。
結論から言うと、階段室に閉じ込められたにも拘らず、エイヴリルはうっかり眠ってしまったようである。
「…………」
「…………」
エイヴリルは人の話し声で目を覚ました。視界に映るのは積み重なった木箱と何やら儀式に使いそうな調度品。まさに物置といった埃っぽい周囲の風景に、首をかしげる。
(ええと、私は……)
目を擦りたいのに擦れない。どうして手が自由ではないのだろう、そう思ったところで外のざわめきが一気に大きくなり、パイプオルガンの音が響く。
その透き通った音でやっと頭がすっきりしたエイヴリルは、今自分が置かれた状況を思い出した。
(……そうだわ! 結婚式……! コリンナにドレスを奪われて閉じ込められたのに、眠ってしまうなんて……!)
ちょっとやそっとでは動じないところがエイヴリルの長所なのだが、今日はさすがにどうかしていた気がする。そこに、呆れたようなキャロルの声。
「何度も起こしましたけど、ぐっすり眠っていて起きないので」
「ほへんははひ」
「ごめんなさいって謝ってももう遅いですよ。早くこの縄から抜け出てもらえますか。それだけで自由に動けるようになるんで」
「……ほへんははひ」
(ごめんなさい、キャロル……緊張感がなくて……)
結婚式が始まったのだから、見張りはもういないだろう。エイヴリルは体をよじって柱の縄から抜け出す。これも幼い頃に覚えた謎の成果である。
そして縄を解く前に安全を確認するため、後ろ手に縛られたまま何とか立ち上がって扉のところまで行く。扉には外から鍵がかかっていてびくともしないが、隙間から教会内の様子が見えた。
バージンロードをゆっくりと歩きながら花嫁が入場してくる。
――それは、どこからどう見ても、コリンナだった。
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