第56話 結婚式③
「はあ?」「!?!?」
(……キャロル!? どうしてそんなことを!?!?)
コリンナも普段では聞かないどすのきいた声を上げたものの、それよりも驚いたのは、エイヴリルだった。
(大人しくコリンナに従えば、すぐにアリンガム伯爵領に戻れるのに……!)
けれどキャロルは怯む様子がない。立ち上がってはっきりとコリンナに告げる。
「……コリンナお嬢様。私は家族のためにあなたのメイドをしてきました。私が十三歳、コリンナ様が八歳の頃からずっとお側にいてお世話ができたこと、ありがたかったとは思っています」
「それなら私に恩があるじゃないの。何で急にそんなことを」
「私はあなたの便利屋ですか。ただの手駒ですか。しぶしぶエイヴリル様についてきたと思ったら、十分な給金がもらえなくて実家に帰れない……送金するのがやっとだったのに、ここ数ヶ月はそれすらもできていません。もう限界です」
(キャロル……)
しかし、覚悟を決めた様子のキャロルを見てもコリンナの心は変わらないらしい。ふんと鼻を鳴らすと、つまらなそうに言う。
「もういいわ。ウエディングドレスに着替えるのをキャロルに手伝ってもらおうと思ったけど、自分でやるわ。アンソニー。この二人をどっちも後ろ手で縛ってくれる?」
コリンナの命令でイケメン二人が動くのを見ていると、今度はエイヴリルの目の前に布紐が現れた。
(ええと、これは……言葉を封じるものですよね……)
その持ち主であるコリンナに、エイヴリルはおずおずと申し出る。
「コリンナ。私の口を封じる前に、お伝えしなければいけないことがありまして」
「何よ。あんたが口を開けば余計なことしか言わないのは知っているわ!」
「いえ、あの本当に伝えておいた方がコリンナの身のためで、むぐっ」
言い終える前に布紐で言葉を封じられてしまった。
会話の内容から察するに、おそらくコリンナは自分と入れ替わろうとしているのだろう。けれど、そこには重大な誤解がある気がする。
(コリンナは入れ替わってもバレないほどに私とディラン様の関係が薄いと勘違いしているんだわ。せめて、あの背中が開きすぎのドレスがコリンナと因縁の関係にあるアレクサンドラ様からの贈り物だと伝えられたら、こんな馬鹿な行動に出なかったかもしれないのに……!)
悔やんでももう遅かった。エイヴリルとキャロルはコリンナの同行者のイケメン二人によってそのまま教会の階段室に連れて行かれ、閉じ込められてしまったのだった。
◇
誰もいない階段室。その柱に、エイヴリルとキャロルは縛り付けられていた。扉の外にはコリンナが連れてきたイケメンが見張っているようだった。
(縄抜けはいつでもできますが、腕力や追いかけっこでは殿方に勝てません。確実に、誰かに助けてもらえる状況になるまで、大人しくしているのが良さそうです……)
それに、気になるのはキャロルである。
怯えてはいないか、と隣のキャロルに視線を向けると、彼女はゆっくりと語り出した。言葉を封じられたのは、たまに余計なことを話してしまうエイヴリルだけだったようだ。解せない。
「……エイヴリル様。あなたをこんな目に遭わせたコリンナお嬢様を、旦那様は絶対にお許しにならないでしょう。タイミングが来たら、大声で叫んで逃げましょう」
「はひ」
(でも……キャロルは知らないけれど、私たちは契約結婚なのよね……。契約書にある“結婚式”を履行できなかった私は、ランチェスター公爵家から追い出されてしまうかもしれません……)
ちくりと胸が痛む。それは、期待に応えられなかった申し訳なさにしては随分と心を抉る痛みで。急に沈んだ顔をしたエイヴリルを見て、キャロルは何か勘違いした様子だった。
「大丈夫ですよ。あなたとあまり一緒にいなかった私でも、旦那様がエイヴリル様を特別に大切にしているのはわかるくらいですから」
「ほうへふへ」
(そうですね。確かに、契約を履行するために大切にしてくださるのはとてもありがたいけれど……)
エイヴリルの方が履行しないのなら少し事情は変わってくるかもしれない。そんなことを考えていると、キャロルはなぜか顔を引き攣らせる。
「この状況なのに、そのボーッとした顔。ずっと前から言おうと思っていたんですが、エイヴリル様は旦那様に冷たすぎじゃないですか」
「……ふへ」
悪女だった自覚はあるが、妻になる悪女である。エイヴリルがディランに冷たくしたことなどあっただろうか。
(私ったら、知らないうちに致命的なミスを……!?)
目を瞬いたエイヴリルに、キャロルは告げてくる。
「余計なことは考えずに、エイヴリル様のためのライブラリーを思い出してください。あんな手のかかるもの普通は準備しませんよ。適当にドレスや宝石を贈って機嫌を取るのが普通です。私は毎日あの部屋の掃除をしていたのでわかります。エイヴリル様が好きそうな本が日に日に増えています。あの暑苦しい愛情に少しはお応えになって差し上げないと、旦那様がかわいそうですね」
「……!?」
「お屋敷の厨房でクレープを作った翌日には料理の本が、旦那様と一緒にドレスを選んだ翌日にはレースの本が追加されていました。あまりにも迅速かつ的確に本が追加されているので、使用人も皆目が点になっていますけど知ってました?」
「……!?!?」
(そういえば、あのライブラリーには私が好きな本が揃っていて本当に不思議だと思っていたけれど……)
「そんな風にして、エイヴリル様が大切にされていることをコリンナお嬢様が知ったら、怒り出して面倒なことになると思ったんです。だから、ずっとコリンナお嬢様にはエイヴリル様はこの家で冷遇されていると伝えてきました。わかっているとは思いますが、別にあなたを守ろうとしたわけじゃないです。私の平穏な毎日のためでした。でも、まさかそれがこんなことの引き金になってしまうなんて」
「はふほほ」
(なるほど。だから、コリンナはあんなに自信満々に入れ替わりなんて……!)
驚きを隠せないでいると、キャロルは心底申し訳なさそうに続ける。
「……でも、今これだけは後悔しています。これまで不遇だったあなたが本当に幸せになれるチャンスだったのに……」
いつも強気なキャロルがしゅんとしている。けれど彼女にも彼女なりの事情があって、しかもいざとなったらコリンナを裏切り、ついでに今はエイヴリルと一緒に縛られている。
それを思うと、エイヴリルは特に怒る気にはならないし、そうせざるを得なかったキャロルに同情すらしてしまった。
(キャロルがこんなことを考えていたなんて……。でも、キャロルは何か勘違いを。だって、ディラン様が私にお優しいのは契約を履行しようとしてくださっているからで……)
――本当に?
初めて、自分の心の中からそんな囁きが聞こえた気がした。
男娼騒ぎの日『君が目の届かないところにいると心配だ』と言い、夜の書斎のオレンジ色の光の中で頬に落ちた髪を掬ってくれたディランの姿が思い浮かぶ。
普段は何とも思わないはずなのに、ディランの行動についてキャロルから丁寧な説明を受けてしまったエイヴリルの心はひどくざわつく。
その瞬間、エイヴリルの脳裏に急にある光景がフラッシュバックした。
それは数ヶ月前、王都近郊の別邸に行った日。ランチェスター公爵夫人が持つ印章を契約期間満了まで大切に保管すると約束したときのこと。
穏やかな秋の庭で、重なった二つの手。
(……待ってください。今、重要なことに気がついてしまった……気がします……)
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