第55話 結婚式②

 扉の向こうから現れたのは、ピンクブロンドに碧い瞳のエイヴリルによく似た妹だった。サラサラとしたストレートの髪がエイヴリルとの違いのはずだが、なぜか今日は全体をゆるく綺麗に巻いてある。


(髪型が同じだと、本当に私とコリンナはそっくりですね……)


 父親が同じだけなのに、こんなことがあっていいのだろうか。この場にあまり関係ない思考に陥りそうになったところで、エイヴリルははたと気がついた。


「ま、まさかそのドレスを本当にそのまま着る人がいるなんて」


 扉を開けて入ってきた妹、コリンナ・アリンガムが着ているのは、少し前に使用人用の休憩室から消えた深い緑色のドレスだった。


 数ヶ月前、エイヴリルはこのドレスを悪女として着ると啖呵を切ったものの、消えてくれたことに心からホッとしたことは秘密である。申し訳ございませんと頭を下げるグレイスに、うっかり手をとってお礼を言おうとして変な顔をされた日のことが懐かしい。


「何? この背中の開きのことを言っているの? セクシーで素敵よね。このドレスのおかげでここまで簡単に入ってこられたの。このドレスはエイヴリルのものとして有名なのかしら?」


 アレクサンドラがこのドレスをプレゼントした日、結構な人数の使用人たちがこの深いグリーンのドレスを目にしていた。だから、今日この教会に先着している人間がコリンナをちらりと見てエイヴリルだと勘違いしてもおかしくない。


 くるりとこちらを向いたコリンナに、エイヴリルは顔を真っ赤にする。


「だ、大丈夫よ! 見せなくていいわ! 背中がはしたなく開いているのはわかっていますから」

「何よ? これぐらい、悪女のエイヴリル・アリンガムなら普通でしょう?」

「あ……悪女……ええ。ええ、普通ですわ」


 この一年間で悪女になりきるのがすっかり板についてしまったエイヴリルに、コリンナは得意げに片眉を上げる。


「ふふん。あなた、悪女として嫁いできて少しは評判を変えられているかと思ったけれど、やっぱりそのままなのね。本当に無能でかわいそうだわ」

「……」


(ありがたくも、悪女として務めさせていただいています……)


 こういった類の暴言を聞き流すのも久しぶりである。改めて、エイヴリルが今の幸せな暮らしに感謝していると。


「キャロル。エイヴリルのことを後ろ手に縛ってくれる?」


 え。


 まさかの命令にぱちぱちと目を瞬いたエイヴリルの後ろで、キャロルが声を震わせた。


「コ、コリンナお嬢様、なぜそんな……」

「いいから早く。人が来ちゃうでしょう?」

「いくらコリンナお嬢様の命令でも、さすがにそれは」


 命令に背こうとするキャロルに向けて、コリンナはひらりと小さな紙を取り出した。


「キャロル。これ、アリンガム伯爵領までの鉄道のチケットよ。この任務が終わったらすぐに家に帰してあげる。しばらく家族に会っていないでしょう? あなたのお母様、持病がさらに悪化して大変みたい」

「母の持病が? そんなこと、手紙には何も……」

「バカね。手紙に、遠い王都で働く娘が心配することを書くわけないじゃない」

「……!」


 俄にキャロルが真っ青になったのがわかる。何も言わずに見守るエイヴリルの耳に、キャロルの震え声が耳に響いた。


「……エイヴリル様。申し訳ありません」


 そのまま縄で手首を縛られる。とりあえず、エイヴリルは大人しく従うことにした。


(キャロルは私ではなくコリンナの味方ね。長年の主従関係があるし、ご家族のこともあるのだから仕方がないわ。……けれど、他に問題が)


 問題は縄だった。実は、エイヴリルは縄抜けにハマっていた時期がある。


 これは本を読んで覚えたわけでも何でもなくて、幼い頃に継母からの折檻で物置に閉じ込められた際、偶然覚えてしまっただけである。


 けれど、どんな縄でも大体解けてしまうので怒られないように隠すのが大変だった。一般的な伯爵令嬢では経験しがたい、懐かしい思い出である。


(あ……やっぱりこれは簡単に抜けられる結び方ですね……!)


 試しに両方の手首を捩ってみる。見事に縄は外れて、エイヴリルの足元にぱさりと落ちてしまう。


「「……」」


 エイヴリルはキャロルと顔を見合わせた。キャロルは自分と同じ微妙そうな顔をしている。


 ついでに、ちらりとコリンナに視線を送ってみる。こちらは見ておらず、連れてきた護衛がわりのイケメンと腕を絡ませていた。慌てて、エイヴリルはキャロルにこそっと囁く。


「ご……ごめんなさい、キャロル。もう少し強く縛っていただけますか」

「今、いけないものを見た気がしたんですが」

「気のせいです。とにかく、もっとしっかり縛ってください」

「それ、今まさに拘束されようとしている人が言う言葉じゃないですよ」

「何か、ごめんなさい」


(今、私に味方はいないも同然です。キャロルは罪悪感を持っているようだけれど、キャロル本人のためにも今は従った方がいいわ)


 大人しく後ろ手に縛られようとするエイヴリルの背後で、キャロルが深いため息をついた。そして少しの間を置いてから、コリンナに聞こえないぐらいの声でぽつりと呟く。


「……旦那様が」

「え?」

「……エイヴリル様が結婚式に出られなかったら、旦那様が心配するんでしょうね」


「ああ、そのことね。確かに、今日はたくさんのお客様がいらっしゃっていてランチェスター公爵家にとって大切な日だもの。でも、心配するとは思うけれどあなたの責任ではないわ、キャロル。だから大丈夫。ご家族のことだけを考えていればいいわ」

「……」

「キャロル?」


 キャロルは答えない。おかしいな、と思ったエイヴリルが首だけで後ろを見ると、目に涙を溜めて唇を噛み締めるキャロルの姿があった。


「……本当に、そういうとこですよ、エイヴリル様」

「お母様が心配なのね。大丈夫。あなたも知っている通りコリンナはこんな感じで引くほど性格が悪いけれど、さすがにここまでさせておいて列車のチケットを渡さないなんてこと、ないと思うわ」

「いやそうじゃない……ほんと相変わらず……いいですもう」

「あら」


 どうやら、キャロルが泣いているのは母親が心配だからではないらしい。ではなぜ、と首を傾げたエイヴリルの背後に人の気配がした。


 ついさっきまでイケメン二人と腕を絡ませていたコリンナである。いわゆる“ドン引き”というような引き攣った表情を浮かべている。


「あんたたち……何泣いてんの?」

「キャロルが泣いているのは、お母様の病気が心配なのよ」

「それ、どっからどう見ても違うでしょう!?」


 いつもならここでコリンナがキンキン声で喚き散らすところなのだが、今日は声を抑えている。本当にエイヴリルとして忍び込んできたらしい。


 一方、キャロルのエイヴリルを縛る手は止まっていた。不思議に思っていると、涙声ではない、きっぱりとしたキャロルの声が聞こえた。



「コリンナ様。――私はもうあなたに従えません」

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