第36話 ディラン様はなぜか心配そうです
◇
「……は? 通せない、ですって?」
ランチェスター公爵家の正門前。エイヴリルと同じ色の髪の毛を帽子で隠し、色付きのメガネをかけたコリンナは憤慨していた。
それをものともせず、門番はサラリと返す。
「はい。まずはいろいろとお伺いしたいことがございますので、裏門からお越しいただいてもよろしいでしょうか」
「う、裏!? 私たちに正門を通るなということなの?」
「はい。男娼様御一行ですよね。ご事情は、裏門をお通りになってから家令が伺います。ひとつ、確実に申し上げられるのはエイヴリル様がここにいらっしゃることはないということだけです」
「私はエイヴリル・アリンガムと約束をしているの。彼らは悪女のエイヴリルに呼ばれたのよ。最近は大人しく引きこもっているかもしれないけれど……とにかく、通してくださらない?」
コリンナが顎で指し示す先では、美しい青年が営業スマイルを浮かべている。コリンナがわざわざ王都まで連れてきた、お気に入りの二人だった。
(こんなはずでは……! どういうことなの!)
アリンガム伯爵家を出て王都に到着したコリンナがやってきたのは、リンドバーグ伯爵家ではなくランチェスター公爵家だった。
計画では、コリンナは『エイヴリルは悪女』という評判を利用してランチェスター公爵邸に忍び込み、エイヴリルを拉致し代わりに自分が残る予定だった。
屋敷の中にさえ入ってしまえば、協力者のキャロルがいる。公爵様に一度も面会できていないエイヴリルの顔は使用人にすらほとんど知られていないということだったし、計画は容易なはずだった――が。
(キャロルはどこなのよ。この時間にエイヴリルを連れて散歩に出るように伝えてあったのに……!)
実際にはキャロルは現れず、しかも門番に行く手を阻まれ、コリンナは焦っていた。
「そこまでおっしゃるのでしたら、エイヴリル様に直接確認してまいります」
門番の言葉に、コリンナは眉根を寄せた。
(ふーん。公爵家に嫁いだのに、“奥様”ではなく名前で呼ばれているわ。美貌の公爵様には会ってもらえず、使用人には無視されているというキャロルの報告そのままね)
今日のところは強行しても仕方がない、と判断したコリンナは一先ず退散することにする。
「い、いいわ。そこまで言うなら。約束の時間を間違えたのかもしれないし」
「は。先程までとは話が全く、」
「こんな昼間っから男娼遊びをするはずがないじゃない。あなた、頭がおかしいの?」
「……」
怪しまれる前に逃げるが勝ちである。コリンナは門番を煙に巻くと、二人の美青年の手を取って馬車に乗り込んだ。
そして、走り出した馬車の中で悪女らしく微笑む。
「キャロルがきちんとエイヴリルを門まで連れてきてくれたらうまくいったのに! 次の失敗は許さないわ。……キャロルの家族の未来は私が握っているんだから」
◇
その日の夜。
母屋にあるディランの書斎に呼ばれたエイヴリルは、懐かしい本の匂いに癒されつつ、困惑していた。
(書斎の紙とインクの匂いって、どうしてこんなに落ち着くのかしら……! ではなかったわ。なぜ、私はこんなところにいるのかしら)
緊張感に欠けるエイヴリルとは反対に、ディランとクリスは厳しい表情をしている。
「クリス。今日の出来事をもう一度説明してくれるか」
「はい、ディラン様。今日の日中、ディラン様のご不在時にエイヴリル様をお訪ねになる怪しい男女の訪問がありました。門番が追い返して事なきを得ましたが、安全確保のため報告を受けた直後から私がずっと付き添っております」
「ああ、それでいい」
ディランは至極当然に満足そうだが、エイヴリルにとっては窮屈なことこの上ない午後になってしまった。
悪女っぽく振る舞うのは一日に数分、もしくは週に一回ディランとお出かけするときだけにしてほしい。一日の苦労を振り返っていると、ディランが聞いてくる。
「エイヴリル。今日の訪問者に心当たりは」
「……王都ではまだお呼びしたことがないですわ。そのうちに呼ぼうと思っていたのですが」
「男娼、を?」
「はい。退屈ですもの。い、一緒に本でも読もうかと」
「……ぷっ」
「……」
クリスは吹き出し、ディランは固まってしまった。
確かに、アリンガム伯爵家でのコリンナは、家に呼んだ美青年にしなだれかかっていた。
それを目にしたエイヴリルは、あまりにも未知の雰囲気に恐れをなしてお茶を出すとすぐにその場を離れた思い出がある。
しかし、これ以上のことはエイヴリルにもわからない。お願いだから追及しないでほしい。
ディランは「読書か。随分上品な遊びだな」と複雑そうな顔で呟いて続ける。
「エイヴリル。この機会に離れから母屋に移らないか。警備は強化するが、それでも目の届かないところに君がいると思うと心配だ」
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