第35話 悪女にぴったりの来客です

 エイヴリルが王都にあるランチェスター公爵家にやってきて数ヶ月。穏やかだった季節は変わろうとしていた。


 春の花々が咲き誇っていた庭園に青々とした木々が生い茂るようになったのを“宮殿”の窓から眺め、エイヴリルは久しぶりに会ったメイドに声をかける。


「キャロル。最近、アリンガム伯爵家とは連絡をとっているのかしら?」

「……まぁ、それなりには」


「この前ね、ディラン様にドレスを買っていただいたの。コリンナ好みのデザインではないけれど、生地が繊細で上質で……。いつになったらクローゼットから消えるのかしらって思っていたのだけれど、消える気配がなくて」


 暗に『コリンナの言い付け通りドレスを横流ししなくていいのか』というエイヴリルからの問いに、キャロルは歪んだ笑顔を見せた。


「エイヴリル様はいつもそうやってお話しになったらいいんじゃないですか。きちんと悪女っぽく見えますよ」

「ふふふ。褒められてしまいました!」


 エイヴリルがキャロルと顔を合わせるのは、本当に久しぶりのことである。侍女としてこの家に一緒に来ておきながら、キャロルがエイヴリルの身の回りの世話をすることはほとんどない。


(アリンガム伯爵家でのコリンナはお姫様であり女王様だったもの。そのコリンナ付きの侍女だったキャロルは私よりも上の存在だったわ。格下だった私のお世話なんてやっていられないわよね……)


 キャロルの心情はエイヴリルものんびりと察するところだった。きっと、キャロルにとってはエイヴリルの情報を横流しすることが最大の任務なのだろう。


 エイヴリルとディランの関係が契約結婚だということはランチェスター公爵家でもごくわずか――ディランとエイヴリルとクリス、ぐらいしか知らない。当然キャロルが知るはずもない。


 契約結婚のことさえコリンナに知られずに済むなら、エイヴリルにはどうでもよかった。スパイでも何でも好きなようにやってほしい。


(……けれど、)


 エイヴリルは、キャロルがコリンナの言いなりになり機嫌を取り続けないといけない事情があることを知っていた。


 キャロルには病気がちな母親と幼い弟妹がいて、家族を養うために一家の大黒柱としてアリンガム伯爵家に勤めているのだ。主人の機嫌を損ねたら、一家で路頭に迷うことになる。


 王都のランチェスター公爵家に来てからエイヴリルの世話を放棄しつつ母屋ではきちんと働いているのも、いざというときに備えているのだろう。


 その事情を踏まえると、彼女がずっと一緒に王都で暮らしていることが気になって仕方がない。けれど自分が聞いてもいいものなのか。


 エイヴリルが迷っていると、キャロルは固い表情をして言った。


「今日はいいお天気です。お庭に散歩に行かれてはいかがですか」

「……?」


(キャロルがこんなことを言うなんて珍しいわ……)


 やはり実家が心配で寂しくなってしまったのかもしれない。チャンスとばかりに、エイヴリルは聞いてみる。


「キャロルはそろそろアリンガム伯爵家に戻りたいのではないかしら? ずっと故郷を離れていては不安だものね。もしよかったら、情報担当は他の方にお願いするようにお手紙を書いてみましょうか。情報の横流しだけなら、私が自分でやってもいいですし」

「……」


 エイヴリルの言葉にキャロルは心底驚いた様子だ。目を泳がせて少し間を空けてから、唸るように呟く。


「……それスパイの意味ないじゃないですか。エイヴリル様は本当に無能ですね」

「あら、本気だったのだけれど」


 おっとりと微笑んでみせると、キャロルは苦虫を噛み潰したような顔でつっけんどんに告げてくる。


「あなたは余計なことを考えなくて結構です」

「あら、どちらへ? お散歩は?」

「もういいです! あなたと一緒にいては無能が移りますから!!!」

「まぁ」


 エイヴリルが言葉を返す前に、キャロルは部屋を出て行ってしまった。一体何をしに来たのだろうか。


(せっかく久しぶり会ったのに、まともに話せなかったわ……)


 それと入れ替わりにクリスが入ってくる。


「……久しぶりに顔を合わせたあなた付きの侍女と喧嘩ですか」

「はい、少しいじめすぎたようです」


 エイヴリルの返答にクリスは答えることなく、ただへらりと笑った。


「一つ確認なのですが、男娼の方が門のところにおいでで。エイヴリル様とお約束があるので通してほしいようなのですが、お呼びになりました?」


「男娼」

「はい、男娼です」

「……」



(男娼……)


 男娼とは、という言葉がぽかんとして真っ白になったエイヴリルの頭の中を駆け巡る。


  コリンナがこっそり呼んでいるのは見たことがあった。それは「予定の穴埋めで暇潰し」らしかったが、お茶を出すために部屋に行ったとき、膝が出るはしたないスカートを穿いたコリンナがその美しい客人にしなだれかかって座っていた気がする。


 その場面を思い出すだけで、顔から火が出そうだった。


(……というと、あの、男娼ですか!?)


 意味を理解し、一瞬で真っ赤に染まり上がったエイヴリルの顔を見て、クリスは生温い微笑みを浮かべる。


「ですよね。どうせそういうことだろうと思いました。聞いた私が馬鹿でした謝りますごめんなさい」

「いえ、あの、呼び……お呼びしたことはありますが、今日はまだ呼んでいないと言いますかこれから呼んでも……ええ、呼べ……呼べますわ」


「無理はしなくても大丈夫ですよ、お姫様。ですが冗談でもディラン様の前でそれをおっしゃらない方がいいかと。ご自分の身のためです」

「わかりました! とにかく今日はまだ呼んでいませんわ!」


 もう何が何だかわからない。悪女には当然の来客なのかもしれないが、今日のところは呼んでいないしふさわしい対応もできなかった。


 エイヴリルがすっかり熱を持った頬を両手で隠して瞬いていると、クリスはへらっとした笑みを引っ込めて真剣な表情をする。


「……となると、少し困った事態になりましたね。ディラン様が外出先から戻り次第ご相談しましょうか」

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