第27話 お出かけに誘われたら、距離が近いです②

 古城でのサロンコンサートは定期的に催されているらしく、観客同士はほとんどが見知った関係のようだった。


(視線が痛いわ……)


 かつては大広間として使われていたと思われるホール。そこに置かれた豪奢な長椅子に腰を下ろしたエイヴリルは、ゆっくりと周囲の気配を辿る。


(びっくりするほど、皆様に見られている……)


 皆、前方に置かれたアンティークなピアノに注目することはなく、こちらを見ているのがわかる。その視線のほとんどは、エスコートをされてここを訪れている夫人と令嬢方からのものだった。


 鈍いエイヴリルがわかるほどなのだから、相当である。耐えきれなくなったエイヴリルは、ディランに聞いてみる。


「ディラン様はこのコンサートによくいらっしゃるのでしょうか。周囲の皆様がこちらをものすごく気になさっておいでで」


「そのことか。ブランドナー侯爵家主催のこのサロンコンサートは歴史が長い。子どもの頃はたまに来ていたが、最近は久しぶりだな。そのせいもあるだろう。……居心地が悪いか?」

「いいえ、いいえいいえ」


 心配そうに空色の瞳を陰らせたディランに、エイヴリルはぶんぶんと首を振った。なるほど、半分は美貌の公爵様のせい、残り半分は悪女の自分のせい。


 今日のエイヴリルは存在だけで大成功なようである。


(ブランドナー侯爵家といえば、たくさんの音楽家を輩出されている芸術への関わりが深いお家ね。そんなコンサートに来られるなんて、契約結婚、ありがとうございます……!)


 深く感謝したところで、見慣れた側近の姿がないことに気がついた。


「そういえば、今日はクリス様はご一緒ではないのですね。いつもは一緒なのに」


 基本的にクリスはディランの仕事のサポートをしているらしい。けれど、エイヴリルが悪女っぽく振る舞おうとするときにはなぜか近くにいて、助けてくれる貴重な存在だ。


「クリスとも大分仲良くなったようだな」

「はい。クリス様は本当にいろいろなことを教えてくださいます。この前も、リンドバーグ伯爵家のアレクサンドラ様からいただいたお手紙に、口紅をつけてお返事しようとしたら、香水を振りかけるだけにしなさいとアドバイスをくださって」


 この前、クリスにアドバイスをもらったエピソードを披露すると、ディランは「聞いていないな」と顔を引き攣らせた。


「何よりもまず、エイヴリルの周りにはそんなふうに振る舞っていた人間がいるのか」

「ええ。……ではなく、私がそうです」


 コリンナの口紅がついた手紙を、郵便屋に預けたことはある。だから、悪女とはそうやって手紙を送るものなのだと思っていた。


とは……。無意識とは本当に恐ろしいな……」

「なんか、申し訳ありません」


 話が噛み合っていない気がする。よくわからないのでとりあえず謝ったところで、ディランはエイヴリルの手を取った。


「今日はデートだ。だから、クリスはいない」

「デート」


(デートって、デートですよね……あの)


 自分には無縁だと思っていたイベントに、エイヴリルは目を瞬く。すると、ディランは甘い声でゆっくりと囁いた。


「そして、誰かに手紙を送るときに口紅をつけるのはやめてほしい」

「はい、承知いたしました」


(ディラン様の今の反応で、悪女の中でも特にはしたない振る舞いということは理解しました……!)


 しっかりと頷くエイヴリルだったが、ディランの意図するところは少し違うようだった。


「その手紙は、受け取った方が動揺する。相手が君だと知っていれば、なおさら愛しく思う人間が出てくるかもしれない。私にとってもあまり気分がいいものではない」

「?」


 気分がいいものではない、の意味がわからないでいると、ディランはエイヴリルの答えを待たずに続けた。


「エイヴリル。今日、帰ったら私にも手紙を書いてくれるか」

「はい、もちろんですわ!」


 エイヴリルは手紙を書くのが好きだ。もし今夜、ディランに手紙を書くのなら、この古城のコンサートの思い出をたくさん書けるだろう。


 日頃の感謝の気持ちと、契約をしっかり履行する決意も添えたいところである。


 今夜の予定ににこりと微笑んでみせると、エイヴリルの手を取っていたディランの指先に、少しだけ力が入る気がした。


「君は、本当にかわいいな」

「……!? かわ、!?」


 驚いて、うっかり大きな声が出てしまった。


 エイヴリルとディランのやりとりは、周囲でこちらの様子を伺っていた令嬢方のところまで届いたらしい。俄にざわめきがホールに広がっていく。


(ディラン様こそ、お外で妻を大切にする演技が本当にお上手です……!)


 エイヴリルは、ただ心からの賛辞を送るしかなかった。




 ◇



 その後すぐに始まったサロンコンサートは本当に素晴らしいものだった。


 それはさておき、幕間、化粧室へと席を外した帰り道のエイヴリルはとても困っていた。


(……ど、どうしましょう。すっかり、覚えてしまいました……)


 エイヴリルが何に困っているのかというと、かわいらしい音色に似つかわしくない難曲を響かせるバイオリンに対してである。


 ホールから少し離れた場所の練習室で、六〜七歳ぐらいの男の子が一人でバイオリンを練習している。しかし、どうもそれが楽譜と違うのだ。


(そういえば、私も子どもの頃にコリンナの身代わりでサロンコンサートに出たことがあったわ。こんなに素敵な古城が会場ではなかったけれど……)


 きっと、あの子もこの後サロンコンサートに出演するのではないだろうか。いや、これだけ上手いのだ。絶対にするだろう。


 奇しくも、この曲はその時にエイヴリルがコリンナとして弾かされたバイオリン協奏曲と同じで、しかも同じ楽譜を使用したものだった。記憶力がいいエイヴリルはいまだに楽譜を覚えているし、違うところまでわかる。


(出過ぎた真似は良くない……けれど)


 こんなところで盗み聞きしている自分は、間違いなく不審者である。


 練習室の入り口から中を覗いて、どうしましょうか、ともじもじしていると。


「誰」


 とうとう投げかけられた男の子の声に、エイヴリルはびくりと肩を震わせた。


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