第26話 お出かけに誘われたら、距離が近いです①

 ランチェスター公爵家にエイヴリルがやってきて、二ヶ月ほどが経った。エイヴリルが暮らす離れ――“宮殿”にはいつも通りちょっと変わった空気が流れている。


 身支度を手伝ってくれていたグレイスが、ブラシを手に聞いてくる。


「エイヴリル様。今日はどのような髪型にいたしましょうか」

「そうね。全体的にぐるんぐるんに巻いて、髪飾りを着けていただけるかしら」

「……旦那様に伺っている今日のお出かけ先には向きませんね。ハーフアップにして、リボンを結びましょう」

「…………。」


 コリンナがよく好んでいた髪型をオーダーしてみたが、だめだった。


 最近、エイヴリルは身支度を自分ですることがなくなった。


 それどころか、朝になるとグレイスが音を立てずにやってきてカーテンをそっと開けて優しく起こしてくれる。それをぼうっとしながら見つめて眠い目を擦っていると、いつの間にかサイドテーブルに白湯が置いてあるのだ。


 初日は何が起こったのかわからず、白湯とグレイスを交互に見比べた。五往復ほどしたところで、彼女は頬を赤くして「身支度を手伝います」と言ってくれた。


 もちろん断ったが、「随分お優しい悪女ですね」と微笑まれて断れなくなった。まだわずかな間しか一緒に過ごしていないはずなのに、エイヴリルが弱い言葉を熟知しているようで、解せない。


 ちなみに、エイヴリルは本来そのポジションにいるはずのキャロルが毎日何をして過ごしているのか知らない。けれど、母屋では意外と真面目に働いているらしいという話は聞こえてきていた。お互いにメリットしかない関係である。


「ねえ。グレイスは今日の行き先を知っているのかしら?」

「はい、もちろんです。旦那様に、エイヴリル様をしっかり着飾るようにと承っております」


「……夜会ではないのよね」

「ええ」


 今日は、ディランの誘いで夕方から出かけることになっている。先日、そのために仕立て屋がランチェスター公爵家を訪れ、エイヴリルにぴったりのドレスをつくってくれた。


 夜にお出かけするためのドレスと聞いて、「悪女らしく露出が多いものを選ばなければいけない」とエイヴリルは意気込んだ。実際に、提示されたデザインは肩まわりが寒々しいものばかりで、スカート部分には深いスリットが入ったものまであった。


 気が遠くなりかけたところで、旦那様も好きそうなデザイン、として死ぬほどお薦めされたのが普通のノースリーブのロングドレスだった。


 エイヴリルは「それならば仕方がないわね」とふんわり毒づきつつ内心ほっとしたのだが、立ち会っていたクリスが笑いを堪えていたことだけは意味不明である。


(グレイスが支度を手伝ってくれると、公爵夫人っぽい見た目になって助かるわ!)


 後は素行の悪さを足すだけ、とばかりに支度を終え、馬車に乗り込んだエイヴリルにディランから知らされたのは意外な行き先だった。


「今日はサロンコンサートへ行く」


「って、貴族の方のお屋敷で音楽家の方を招いて行われる、あの……?」

「ああ。夜会ではないが、華やかな場だ」

「まあ」


 ということで、今日の訪問先は王都内でも少し郊外にあるお城だった。


 案の定、到着したエイヴリルは心の声を抑えきれないことになる。


「素敵です……! ここは、630年前に建てられた古城ですね。当時の城主は王族の血を引き、かつ芸術の分野に造詣が深い方だったと聞いています。この敷地のあらゆるところに当時の文化の名残が、」

「よく知っているな」


 しまった。本で見た事がある場所に気持ちが昂ってしまったが、悪女のお手本であるコリンナはこんなことは知らないだろう。慌てて方向を修正する。


「ええと、仮面舞踏会で来たことがあるので。その時に少し」

「……。エイヴリル。ずっと聞いてみたかったんだが、君は仮面舞踏会で一体何を?」

「!?」

「話せる範囲でいい」


 ディランはなぜか破顔している。揶揄われているようにも思えて、悪女のエイヴリルは高飛車に言った。


「ディラン様。そのようなことを喋らせようなんて、無粋ですわ」

「もう少し仲良くなったら教えてくれるか?」

「仲良く」


(それはどういう意味でしょうか……)


 まるで三年以上先を見通しているような親しげな言い方だった。おっとりと首を傾げたエイヴリルに、ディランは自然な動作で肘を差し出してくる。


「ディラン様、失礼致します」


 軽く肘に手を添えるとディランはゆっくりと歩きはじめる。ついキョロキョロしたくなるエイヴリルを気遣うような速度だ。


「……今日、エイヴリルに行き先を伝えていなかった理由がわかるか?」

「私では、ふさわしいドレスを選べないとお思いになったのでしょう?」

「いや、違う。きっと君はさっきのように喜ぶと思ったからだ。想像通りだった」

「……」


 エイヴリルをエスコートしているディランは、なぜかひどく楽しげに見える。一見冷酷そうに思える美貌の公爵閣下の、優しげな眼差しと甘い声色には周囲の人々も気が付いているようだった。


(ディラン様はこの場にいるだけでとても目立つ方だもの。それが、こんな風に評判が最悪の悪女をエスコートしているとなれば……注目を集めますよね……)


 自分がコリンナと同じ髪と瞳の色をした悪女ということだけが申し訳ない。いや、エイヴリルにとってはそれでこそ満足なのだが、ついこそこそと確認したくなる。


「ディラン様は、私をこんな風に外に連れて歩いてもいいのですか?」

「妻となる人を連れて歩くことの何がそんなにおかしい?」

「それは、」


 エイヴリルは、本当の妻ではなく契約上の妻ですよ、と返すこともできた。


 けれど、美しい横顔に鼻歌でも聞こえてきそうな表情を隠さないディランを見て、何も言えなくなってしまう。


 周囲の注目を集めていることを知ってか知らずか、ディランは人が一番集まっているホールの入り口で立ち止まり、エイヴリルの耳元に唇を寄せた。


「エイヴリル。今日の君は本当に美しく聡明だ。ここの誰よりも、この古城のどんな芸術品よりも」

「……!?」


 エイヴリルはぽかんと口を開けた。悪女にあるまじき振る舞いである。


(ディラン様は……社交の場面でもきちんと婚約者を演じていらっしゃる。すごいわ……!)


 

 ◇



 ただ婚約者を演じているわけではないことは、エイヴリル以外の皆が知っている。

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