第25話 アリンガム伯爵家の焦り(実家視点)
その頃、アリンガム伯爵家には変化が訪れていた。
「ねえ。キーラ。私がこの前オーダーしたドレスが届かないんだけど、一体どうなっているの?」
不機嫌そうに告げてくるコリンナに、キャロルに代わって彼女付きの侍女になったキーラは眉根を寄せる。
「コリンナお嬢様。この前もお伝えしましたが、それは旦那様にご確認なさってください。支払いが滞っていては、新しく購入したドレスが届かないのは当然のことです」
「何よ! あんたって本当に生意気ね。エイヴリルなんかと仲良くしているメイドなんて、側に置くんじゃなかったわ! 覚えていなさい。キャロルが戻ったら、あんたなんてすぐに追い出してやるんだから」
コリンナが喚き散らしているのを、キーラはツンと澄まして無視した。それを見ていた父親――アリンガム伯爵が声を掛ける。
「コリンナ。その辺にしておきなさい」
「だって、お父様ぁ。この子、使用人の態度じゃないわ……!」
「キーラも一生懸命やってくれているじゃないか。それに、キーラにまで辞められてしまったら我が家は大変だ。あまり文句を言わないでくれ」
「どうして庇うのよ!? そもそも、ドレスが届かないのは前回のお買い物分をお支払いしていないからよね、お父様!? 家令のセバスチャンに言って、すぐに支払わせて欲しいわ!」
「……そ、それは。まぁとにかく、使用人には優しくするように。これは、当主命令だ」
「あぁっ。お父様……!?」
気まずそうに書斎へ引き上げていく父親をコリンナは恨めしそうに見送り、使用人たちはこの家の主たちに冷ややかな視線を送っている。
エイヴリルが出て行ってからまだひと月ほど。アリンガム伯爵家の雰囲気は大きく違うものとなっていた。
行き当たりばったりの領地経営で知られるアリンガム伯爵家の財政状況は、元々火の車だった。そこへ急な借金の返済を迫られては、資金繰りがいよいよ厳しくなってくる。
いつもならどこかから借り入れて補填していたのだが、リンドバーグ伯爵家に一括で借金の返済を迫られているアリンガム伯爵家に、新たな融資をしてくれる金貸しなどない。
しばらくは賃金が支払われないことを知ったツテのある使用人の何人かは、見切りをつけて出て行った。そうでない者も就職活動に勤しんでいて、屋敷は閑散としていた。
黙って話を聞いていた母親が、猫撫で声でコリンナに話しかける。
「ねえ、コリンナ。アレクサンドラ様からの申し出を受けてみたらどうかしら。前に『侍女として雇い入れてもいい』という内容のお手紙をいただいたときはひどいお話だと思ったけれど、よく考えてみれば悪くないかもしれないわ」
「嫌よ! お母様までそんなことを言うの!? 私に、あのつまらない女の下で働けなんて!」
二人のやり取りに、部屋の端でそれを見守っていたキーラはため息をついたのだった。
◇
娘に詰られつつ書斎に逃げ込んだアリンガム伯爵は、書類を前に髪をぐしゃりと掻きむしる。
「全く、コリンナはあんなにわがまま放題に育ってしまって。エイヴリルは本音を話しすぎるところがあったが、文句は言わなかったというのに」
目の前には、書類が堆く積まれていた。
(こんなはずではなかった……エイヴリルにやらせていたのは、ただの書類と情報の整理だけのはずだ。それなのに、どうしてこんなにやるべきことが溜まっていく)
領地を治め、領民を導くのは自分の仕事のはずだった。伯爵位を譲り受けたばかりの頃は優秀な側近が数人いたが、あまりにも自分のやり方に苦言を呈してくるので、暇を与えた。
亡くなった前妻の娘に抜きん出た記憶力があることがわかったのはその頃だった。
エイヴリルに書類の整理を任せて秘書のような役割をさせれば楽だった。もちろん、エイヴリルを冷遇する後妻と娘にはそこまで伝えることはない。
『ただの雑用係』と説明すれば二人は満足げだったし、『貴族令嬢なのに社交の場にも出してもらえず、気持ちの悪い能力を持ったばかりに雑用しかさせてもらえないかわいそうな子』として虚栄心を満足させられた。
そうして十年近くが経ち、急な縁談でエイヴリルが消えた書斎には内容のわからない大量の書類だけが残った。
「とにかく、早くアカデミーから優秀な人間を派遣してもらわないと。しかし、何度仕度金を催促しても返事がないのは……詐欺にでもあった気分だ」
先立つものがなくては、人は雇えないし去っていくばかりだ。
(資金に関しては、このままでは本当にまずいことになる)
「……リンドバーグ伯爵家から借金をする際、この屋敷と周辺の土地を担保にしてあるのだから」
このことは、妻と娘はもちろん誰にも言っていない。書類の整理を任せていたエイヴリルも知らないはずの事実である。
つまり、このまま行けばアリンガム伯爵家は屋敷を失い、没落の一途を辿ることになる。
アリンガム伯爵は書斎に鍵をかけた後、書棚の一番奥、隠し扉を開けた先に現れた金庫の数字を合わせて扉を開けた。
そこには、土地と屋敷を担保にした契約書が隠されている。絶対に誰にも見せられない、重要な書類だ。長ったらしいパスワードで守られた書類が、そこにある……
――はずだった。
「……ない」
呆然とした声が、広い書斎に響く。
それは、エイヴリルが家を追い出される直前にちょこっと拝借し、使っていた使用人部屋のクローゼットに移し替えたせいだった。
だが、アリンガム伯爵はそれに思い至ることすらない。
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