第14話 支度金のお話をしましょう

 

「……公爵様。そういえば私、まだ支度金をいただいていません」

「は?」

「支度金です。嫁ぐだけでいただけると聞いていたのに、一体どうなっているのでしょうか」


 一瞬でエイヴリルが考えたのは、話を逸らす手段だった。誰かのせいにする――ディランもしくはグレイス、その他ドレスショップに付き添ってくれたクリスにお湯を沸かしてくれた料理人の顔まで思い浮かんだのだが、着せる濡れ衣までは思いつかなかった。ちなみに、キャロルのことは思い浮かばなかった。


 けれど、正解だったらしい。ディランはグレイスへの追及を諦めてバケツを置き、胸ポケットから手帳とペンを取り出した。


「確かにその通りだ。すぐに小切手の手配をする」

「あっ! そ、それでしたらいつでも構わないのです。きちんといただけるとわかっていれば……!」

「……いやいい。結婚に関わる支度はこちらで全て出すつもりだからと、後手に回ってしまった。すまない」


 さっきまで、グレイスに向けていたぴりりとした空気が一転して穏やかなものになる。月の光のような銀色の髪が、ディランの顔に陰をつくる。空色の瞳は真剣そうに手もとのペン先を見つめている。それがとても綺麗だった。


(……なんだか、公爵様って)


「やっぱり優しい人なのですね……」

「は?」

「いえ何でもありません」


 さっきまで申し訳なさそうだったディランの表情が一瞬で怪訝なものに戻ってしまった。エイヴリルは、あわてて自分の希望を伝えることにする。支度金の受け取りに関しては考えがあるのだ。


「それよりも、支度金の支払いは、三年後に私がこの家を出て行くときに慰謝料と合わせてお支払いいただくことはできますか?」

「ああ、もちろんだが……それでは支度金の意味が」

「どうかお気になさらず。私も実家も、お金を持っていると使ってしまう質なのです」


 この場合、使ってしまうのは父親に継母とコリンナである。加えて、エイヴリルについてきた侍女のキャロルはコリンナの味方だ。それをふまえると、多額の支度金はエイヴリルの手もとにあるだけで危険だった。


「……わかった。では、それに加えて必要があればその都度渡すことにしよう。もちろん、君に関わる費用は全てランチェスター公爵家が負担する。使う機会はあまりないだろうが」

「あ、では早速お願いしてもいいでしょうか?」

「……ああ、すぐに」


(……よかったわ)


 これから話すプランは、身代わりで嫁ぐことに決まった瞬間から考えていたことだった。うまくいきそうで、エイヴリルはほっとする。


「では、アカデミーに依頼してアリンガム伯爵家に補佐を派遣したいのです。ぜひそれに関わる費用を。加えて、可能であれば、公爵様のお名前をお借りしたいのですがよろしいでしょうか」

「……もちろんだが、なぜそんなことを?」


「事情により、アリンガム伯爵家と領地はしばらく混乱するでしょう。アカデミーから優秀な方を雇えればいいのですが、恐らく私の実家は手間も費用も惜しむと思います」

「実家に、支度金を渡すのではなく現物を渡したいということだな。どうしてそこまで」


(……いけない)


 ディランがあまりにもスムーズに話を聞いてくれるので、安心しきったエイヴリルは話しすぎてしまったようだ。


「えっと……余ったお金で、遊びたいのです。誰かをお屋敷に招くのも、夜遊びに出かけるのも、私のお金から」


 慌ててエイヴリルはコリンナの日常を羅列してみる。さっき言ったことと大分矛盾している気はするが、ぜひ気がつかずに放っておいてほしい。


 エイヴリルの話を一通り聞き終えたディランは、少し考え込んだ後で頷いた。


「……君の希望はわかった。全て、すぐに手配しよう。アカデミーなら伝手がある。任せてほしい」

「……公爵様が手配してくださるのですか」

「ああ。私は、君の夫となる人間だ」


 ディランがあまりにもさらりと言うので、エイヴリルは目を瞬いた。


(私の、夫……。私に契約結婚だと告げてきたときの公爵様は、こんなに柔らかな表情だったかしら。お優しい方なのはわかっていたけれど……なんだか)


 何が何だかわからない中、階段の踊り場で固まったままのグレイスがエイヴリルの視界に入る。


(そうだわ)


 さっき、少しだけ感じたことを思い出してエイヴリルは微笑む。


「……公爵様は、使用人の名前をフルネームで覚えておいでなのですね。さっき、彼女の名前を呼んでいらっしゃいました」

「それがどうかしたか」


「いいえ。とても素晴らしいと思います。ぜひ、私もそうしたいと思います」

「……君は一体何なんだ……」


 心なしか、ディランは呆気に取られているようにも見える。エイヴリルの方も、何と答えたらいいのかわからない。


(一体何、って……)


「ええと……実家では無能だと呼ばれておりましたわ。悪女でもありますので、無能な悪女です」


「……『』、だと?」


 エイヴリルがにっこりと笑って見せると、訝しげなディランの声が大理石の壁に響いたのだった。



 ◇



 一方、その頃。


 アリンガム伯爵家では、エイヴリルからの送金がないことにコリンナがひどく立腹していた。


「ねえ。一体どうなっているの? エイヴリルは公爵家に到着したはずなのに……どうしてまだ支度金が振り込まれないのよ!」

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