第15話 その頃、アリンガム伯爵家では

 エイヴリルが嫁いだことで受け取れるはずの支度金のほとんどは、アリンガム伯爵家の借金返済に充てられることになっていた。


 悪女であるコリンナの火遊びがバレたことで至急必要になった資金だったが、実際に請求された慰謝料はごくわずかなもの。


 取り急ぎ返済が必要になってしまった借金のほとんどは以前からのものであり、かつコリンナの火遊びの相手の婚約者は淑やかで強かな才媛なのだという。


 つまり、社交界から居場所を奪うための手段だということは明白だった。


 自分の立場を理解していないコリンナは自慢のピンクブロンドをふわりと跳ねさせる。


「お母様。エイヴリルからの振り込みはまだなのかしら。だって、もう三日も経つのよ? 『好色家の老いぼれ公爵様』は支度金を渡すのをお忘れなのではないかしら」


「そうよね、コリンナ。エイヴリルはぼーっとした足りない子だし、催促なんてできないでしょう。こんなことになるなら、支度金が振り込まれてから送り出すべきだったわね」


 言いたい放題のコリンナと母親に、エイヴリルの父でもあるアリンガム伯爵は神妙そうに手紙を差し出してきた。


「……コリンナ。実は、このような手紙が来ている」


「私に? どなたからかしら?」

「リンドバーグ伯爵家のアレクサンドラ嬢……お前のからだ。内容は、コリンナ・アリンガムを侍女として雇い入れてもいい、と」

「はっ?」


 父親の言葉に、コリンナは顔を真っ赤にして憤慨する。


「何それ! あの堅物令嬢が私にそんなこと言ってくるなんて、ふざけないでほしいわ! これまでにない、絶対に許せない侮辱よ! お父様、リンドバーグ伯爵家に抗議をしてくださいな!」


「お前はエイヴリルの名を騙っていたそうだが……アレクサンドラ嬢はその正体がコリンナだと察しているのだろうな」

「そんなことどうでもいいわ! 私を侍女に、なんてそんなのを言い出してくること自体許せないわ!」


 しかし、コリンナを宥める父親の言葉には焦りが滲む。


「エイヴリルなら大人しく支度金を送金するとは思うが……万一、支度金が渡されないなどということになったら、我が家は窮地に陥る。一応、ランチェスター公爵家には支度金の催促の連絡を入れておく」


「ええ、そうしてくださる? お父様! 私に働けなんて……しかも、我が家をこんな目に遭わせた女の侍女なんて冗談じゃないわ」


「しかし、コリンナ。リンドバーグ伯爵家は、お前がアレクサンドラ嬢の侍女として仕えるなら借金の返済をこれまで通りにしてくれると言っているのだ」

「そんなの知らないわ。だって、うちの借金は私に関係ないもの」


 家の懐事情を無視した自分の贅沢を棚に上げ、コリンナは偉そうに顎をしゃくり上げる。それを見た父親はため息をついた。


「今度の件で、アレクサンドラ嬢がお前の遊び相手と婚約を解消することになったのは知っているな。……噂では、アレクサンドラ嬢は王太子殿下のもとに上がることになるかもしれないそうだ」

「……はっ? それって、あの堅物令嬢と王太子殿下が婚約するってこと? 嘘でしょう?」


 この国の王太子殿下は二十四歳。結婚適齢期にあるにもかかわらず、まだ誰とも婚約を交わしていない。眉目秀麗な外見と穏やかな物腰は社交界でも人気が高く、地位そのままに高嶺の花だった。


 むしろ、コリンナとしては仮面舞踏会で王太子殿下に出会いたいぐらいだった。もちろん、そんなことはありえない。


「もう一つ、お前が怒りそうな知らせがある」

「何かしら? これ以上機嫌を悪くする知らせなんて、思い浮かばないのだけれど!」


「隠しておいても近いうちに知れることだろうから今教えておくが……ランチェスター公爵家は代替わりをし、公爵閣下は老いぼれではないのだそうだ」

「……え?」


 驚きでぽかんと目と口を開けたコリンナに、父親は遠慮がちに告げてくる。


「ランチェスター公爵家は社交界にあまり姿を見せないから知らずにいた。しかし、昨日噂で聞いたところによると、ディラン・ランチェスター公爵は二十二歳の青年なのだそうだ。しかも、歳が近い王太子殿下とも親交が深く、お近づきになるチャンスがあると」


 話の向きを理解したコリンナは、ふんと鼻を鳴らした。


「あら、お父様。それぐらいで私が怒るわけありませんわ。嫁ぎ先がお金持ちの公爵家でも、あのエイヴリルが大切にされるはずがないし、王太子殿下とも懇意になるのは難しいと思うんです。だって……エイヴリルは、ねえ? お母様?」

「え、ええ。そうよ。エイヴリルは気持ちが悪い子なのよ」


「あ、ああ。確かに……そうかもしれないな」


 三人の中で唯一、父親だけが浮かない顔をしていた。

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