第13話 なぜか公爵様はお怒りです
買い物を終え、クリスにお礼を言い部屋に戻ったエイヴリルは疲れ果てていた。
お風呂にでも入りたいな……とバスルームを覗いてみると、親切にもバスタブにお湯が張ってあった。恐らく、帰る時間を想定して準備しておいてくれたのだろう。
(なんて素敵なの……! 公爵家のメイドの方は本当に気が利くのね……!)
屋敷に到着すると同時に、またしてもキャロルは姿を消してしまった。自分が仕える相手はエイヴリルではない、と行動で示しているようでいっそ清々しい。
それはともかくとして、バスタブに手を入れてみる。しっかり冷たかった。
「きっと、私が帰るのが遅いから、お湯が冷めてしまったのね」
アリンガム伯爵家にいた頃、エイヴリルの入浴場所は使用人専用のバスルームだった。けれど、コリンナの入浴の準備はこれまでに何度となくこなしてきた。だから、冷めてしまったバスタブのお湯の温度を上げることなど造作もない。
「厨房に行って熱いお湯をいただいてきましょう。何度か往復すれば、すぐに適温になるわ」
早速、エイヴリルが厨房で用件を伝えると、料理人はギョッとしながらお湯を沸かしてくれた。それを、使用人たちにジロジロと見られながら自分の部屋に運ぶ。
(やっぱり、高級なお店でのショッピングよりもこうして動いている方が落ち着くわ)
何度目か、自室に続く階段を登ろうとしたところで。エイヴリルは、階段の上で呆気に取られているメイド――グレイス、の姿を見つけた。
「エ、エイヴリル様。一体、何を……」
「ええ。お風呂に入ろうと思って。バスタブのお湯が冷めてしまっていたから、運んでいるところなの」
「バスタブに水が張ってあった!? それは、大変申し訳……、」
なぜか謝ってくるグレイスに、エイヴリルはにこりと微笑みかける。
「いいえ。私のお買い物に時間がかかって帰るのが遅くなってしまったのが悪いの。気にしないで」
「……決してそのような理由ではないと思います。今日のエイヴリル様のお部屋の担当は別の者でして。注意しておきます。この続きは私が、」
「あら、大丈夫よ? このお湯を入れたら、そろそろちょうどいい温度になると思うの!」
ついこの間までアリンガム伯爵家の使用人扱いだったエイヴリルは、自分の行動が公爵夫人としてはおかしなことになかなか気づけない。
その証拠に、目の前のグレイスは初日の仏頂面が嘘のように動揺している様子だった。グレイスは少し考え込んだ後、遠慮がちに告げてくる。
「……エイヴリル様は……お噂とは随分違いますね」
「!」
(……いけない。コリンナは、こんな風に自分でお風呂の支度をすることはなかったわ!)
今さら気がついても後の祭りである。少し考えればわかるものを、しみついた長年の使用人としての振る舞いは全く抜けてくれない。
(ど、どうしましょう……)
そう思ったところで、手もとが急に軽くなった。
「一体、何をしている」
「だ、旦那様……!」
顔を青くして叫んだグレイスにつられて振り向くと、そこにはなぜかディランがいた。たった今までエイヴリルが手にしていたバケツを持ってくれている。
(バケツを持っていても絵になる人だわ)
エイヴリルが感心すると、彼は不機嫌そうに片眉を上げた。
「……私の妻となる女性は、どうしてお湯の入ったバケツを抱えているんだ?」
「あら、あのこれそんなに重くは、」
「そういう問題じゃない。説明しろ、グレイス・フィッシャー」
エイヴリルの言葉を遮ったディランは呆れた顔をしている。フルネームを呼ばれたグレイスは真っ青になって謝罪を口にした。
「も、申し訳ございません。私どもが至らず……」
「……エイヴリル嬢。今朝の身支度はどうした? 君がここに連れてきたメイドはどうした」
(ええと)
エイヴリルはそっと目を逸らす。
きっと、エイヴリルの身支度がいまいち整っていないことを言っているのだろう。けれど、エイヴリルはこれまでの人生で誰かに手伝ってもらった記憶はないし、むしろ継母やコリンナがドレスを着るのを手伝う側だった。
記念すべき公爵家での悪女としての初日の朝――つまり今朝、エイヴリルのことを起こしに来た者は誰もいなかった。ということで外出のために自分で着替え、適当に髪を梳かした。
行き先は街のドレスショップと聞いていたので、特に丁寧に準備して悪女っぽく口紅も引いた。大満足の仕上がりだった。
(恐らく……公爵様はメイドたちが私の世話を怠っているのでは、と心配してくださっているのよね……)
ちらり、とディランの表情を窺い見る。ほかほかのお湯が入ったバケツを持った彼は、何となく怒っている気がする。自分の身支度がいまいちだったせいで誰かが怒られるなんて、エイヴリル自身も居たたまれない。
(こんなとき……コリンナならどうするかしら)
同じシチュエーションにコリンナがいることはまずありえない。けれど。
(私の悪女としてのお手本・コリンナなら、きっと誰かのせいにして逃げるわ)
あっさりと思い至ったエイヴリルは、ディランの涼し気な瞳を見上げた。
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