第10話 なぜか周りが不思議そうです

 翌朝。


 エイヴリルの食の好みは、少し変わっている。


 もちろん、一般的においしいと言われているものは当たり前においしいと思える。けれど、少し硬くなってしまったパンや、伸びて軟らかくなったパスタ、冷めて脂が固まりつつあるスープなども好きだ。


 なぜかというと、これまでの人生では家族での食事に同席させてもらえなかったからにほかならない。エイヴリルは皆の食事が終わった後に一人でダイニングに座り、食事を摂ってきた。


 使用人として扱われるようになってからは、キャロルたちと一緒に賄いを食べた。けれど、どういうわけなのか大体食事直前のタイミングで用事を言いつけられるため、できたてを食べられた試しがない。


 ということで、今、目の前にある朝食メニューもエイヴリルにとっては普通にごちそうだった。


「古くなって固くなったパンを焼いてさらにかたくしたもの、冷めきったコーンスープ……。あら、オムレツに具が入っているわ!」


 アリンガム伯爵家では、コリンナの指示でエイヴリル用のオムレツは使用人の分の中でも最後に焼かれていた。コック長がエイヴリル用の卵を死守してくれていたので卵料理がないことはめったになかったが、わずかでも具が入っていればごちそうである。


(こんなに素敵な宮殿で、こんなに豪華な食事をいただけるなんて……公爵様、ありがとうございます)


 胸の前で指を組むエイヴリルは、この仮住まいのことを心の中で『宮殿』と呼ぶことにしていた。目を瞑り、ディランにありがたく感謝してから食事に手を伸ばす。


「おいしいわ。パンの固さが私の好みにぴったり……!」


 目を輝かせ、(一般的に見れば)出来損ないの朝食を食べるエイヴリルを、少し離れた場所から呆気にとられた様子で給仕担当のメイドが見守っていた。


 昨日、「ほかの殿方を招き入れることはできる限りお控えください」とエイヴリルの素行に釘を刺したメイドである。


 アリンガム伯爵家からエイヴリルについてきたはずのキャロルは、今日もいなかった。顔を強張らせて自分を凝視するメイドに気がついたエイヴリルは、パンを置いて声をかける。


「あの、あなた、お名前は何と仰るのかしら」

「は、名前……ですか?」


「ええ。これからも、この宮殿……じゃない、離れのお世話を担当してくださるのですよね。でしたら、お名前をお呼びしたいのです」

「……はぁ。グレイス、と申します」


「グレイス。今日の朝食、とてもおいしいです。私はこれぐらいの固さのパンが大好きで……もしかしてご存じだったのでしょうか」

「……は?」


「さすが公爵家ですわね。客人の好みまで熟知していらっしゃるなんて」

「……」


「グレイス、あなたのような方が側についてくださるなんて、本当にありがたいです。これからどうぞよろしくお願いいたします」

「……!?」


 エイヴリルが深々と頭を下げると、グレイスはパチパチと瞬いて、ばつが悪そうにダイニングルームを出て行ってしまった。


(……あら。私は何かおかしなことを言ったかしら)


 首を傾げながら、エイヴリルは自分にとっては豪華な朝食を堪能する。


(もう少し悪女っぽいほうがよかったかしら)


 コリンナならこんなときどうするのか。美味しいものを出されたときは、使用人に毒づくことなく喜んでいた気がする。


(それなら、悪女としてもこの振る舞いで正解ね)




 昨日、到着時に応接室で出された紅茶は冷めきっていた。


 しかし、今朝の食後にグレイスが出してくれた紅茶には、湯気が漂っていた。


 ◇



「今度、茶会がある」


 食後、呼び出しを受けて書斎を訪ねたエイヴリルは、ディランの言葉に目を瞬いた。


「茶会って、あの、お茶会ですよね。皆で社交を楽しむ」

「ああ。君が出入りする夜のお茶会ではなく昼間のガーデンパーティーだ。君がどんなドレスを好むのかは知らないが、ランチェスター公爵夫人として相応しいドレスを選んでほしい」


(なるほど。これは、契約書の『ランチェスター公爵家の品位を保つための活動に協力する』に関わるものね)


 しっかり務めなければ、とエイヴリルはこぶしを握る。


「今回の招待は、一から仕立てる時間がない。今から街に行って選んできてくれるか」

「は、はい」


(では、お茶会の会場と出席者の方々を調べて、その場に一番相応しいドレスを選定しましょう……、って、そうではなかったわ!)


 こくこくと頷いたエイヴリルは、ハッと我に返る。


 アリンガム伯爵家では、そういった下調べや家の品位を保つための手配はエイヴリルの仕事だった。継母はエイヴリルの祖母があからさまに嫌うほどに無教養だったし、父親もそれを咎めることはなかった。


 だからいつも通り……と思ったのだが、ここにいる自分は悪女だ。正解の立ち振る舞いはきっと期待されていないし、何よりもまずコリンナのクローゼットには露出を抑えたドレスなどただの一着もなかった。


 そうなると、エイヴリルの選択肢はおのずと定まってくる。


(お買い物は、コリンナの好みを熟知したキャロルと一緒に行きましょう……!)


 悪女になりきるための決意を固めていると、目の前に人好きのする笑顔の男性が立った。


「お供いたします。エイヴリル様。私はクリスと申します。荷物持ちでも小間使いでも、何でも私をお使いくださいませ」

「クリスさん。エイヴリルと申します。ご面倒をおかけいたしますがどうぞよろしくお願いいたします」


 軽く礼をするとクリスは目を見開く。それを見て、エイヴリルはしまった、と思った。


(違ったわ。私は……悪女。コリンナなら……ええと)


「クリス。に、荷物持ちに……期待しています」

「……っ、なるほど。は、はい」


 なぜかくつくつと笑いを堪えるクリスに、エイヴリルは首を傾げたのだった。

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