第9話 困惑(ディランサイドのお話)

「どう考えてもおかしいだろう」


 エイヴリルが到着した日の夜。書斎で執務をこなすディラン・ランチェスターはどうしても腑に落ちないでいた。


(アリンガム伯爵家の令嬢は悪女だと聞いていたが……決してそんな風には見えなかった)


「今日の到着には同席できませんでしたが……そんなにおかしなことがあったのですか」


 ディランの傍らで目を丸くしている赤みがかった茶髪の青年は側近のクリス・ブロンテだった。ディランからの信頼が厚く、ランチェスター公爵家では片腕として知られた存在だ。


 クリスを前に、ディランは考え込む。


「ああ。彼女は噂と大分違っていた」

「ディラン様もお噂とは相当に違いますが」


「あれは前公爵に関わるものをわざとそのまま否定せず流している。その方が、縁談に煩わされなくていい」

「それはその通りですね。ご結婚はされず、親戚筋から養子をとる予定ですしね」

「まあ、その話は今はいい」


 クリスから視線を外して、ディランは続ける。


「それよりも問題はエイヴリル嬢だ。相当な悪女だという噂だったが、言動は極めて常識的で、身のこなしもよく教育を受けた貴族令嬢のそれだった」


「随分と喜ばしいことで。でしたら、問題を起こさずに三年間をお過ごしいただけるのではないですか」

「それはそうだが……何か理由がある気がするな」


 エイヴリルに結婚の申し入れをしたのはわずか数日前のこと。にもかかわらず、あっさりとありえないスピードで嫁いできたことにも、ランチェスター公爵家の面々は困惑気味だった。


 急に声を落としたディランに、クリスは手もとの資料をめくる。


「事前にざっとお調べしたエイヴリル・アリンガム嬢は……ええと、ピンクブロンドに碧い瞳で、仮面舞踏会をひっかきまわしては男をとっかえひっかえ……いえ、多重交際と婚前交渉をくり返し、周囲の人間関係をめちゃくちゃにし、使用人にもつらく当たる悪女、と。今回は運悪く遊び相手の婚約者に関係が知られ、多額の借金を作って追い出されたようです。まぁ、クズですね」


「……まさか彼女がもう一人いるかのような違いっぷりだな。彼女は双子か」

「いえ、妹がいると聞いていますが双子では」

「……」

「……」


 ディランにとっては軽い冗談のようなものだったが、決してありえなくはない予想に二人の間に微妙な沈黙が流れた。それほどに、ディランにとってエイヴリルの振る舞いはある意味不審すぎたのだ。


「その事前調査通りであれば、あんなに屈辱的な契約を一方的に申し入れられたら憤慨するものと思っていたが。だからこそ、秘密を守らせるため離れを与えてこれ以上ない厚遇にした」


「そうだったのですか。……ただのディラン様の優しさだと思っておりました。あなたは心底お優しい方ですので。嫁いできた女性を邪険に扱うなど向かないのでは」

「黙れ」


 ディランは決まりが悪そうにクリスを睨み、続けた。


「クリス。念のため、明日からそれとなくエイヴリル嬢の行動に注視してもらえるか。気になることがあれば逐一報告しろ」


「承知いたしました。困ったことがあればお助けいたしますね」

「……そこまでは言っていない」


 空気を読みすぎる嘘っぽい笑顔の片腕に、ディランはため息をついた。

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