タイミングが絶妙すぎる

 なぜ私もその1%を期待してしまったのか。

 それは、絶妙すぎるタイミングにある。ちょうど、カクヨムコンテスト短編賞の結果待ちの時だったのだ。忘れた頃にちょくちょくコンテストのページを開き、「まだ中間発表です」の記載を確認する。やがて、「発表されました」という表示に変わったら、「これが優秀作品か……」とぼんやり眺めながら、興味があれば読む、ということをここ何回か繰り返してきた。

 このタイミングってもしや……。いや、やめてほしい、ここまで期待させておいて、公開停止や垢BANとかされた日にはもう立ち直れないんじゃないか。なんでこのタイミングなのか……。

 私の中で妄想が広がっていった。妄想の海の中で、私の今までの軌跡をぼんやりと思い返してみた。


 そもそも私が小説、というものを意識し始めたのは高校時代までさかのぼる。元々シナリオを考えるのが好きだった私は、シナリオライターになりたかった。しかし、書店にあった「なれる! シナリオライター」の本を立ち読みし、これはなれないな、ということを確信し、やめた。そもそも、表舞台に出るまでに時間がかかりすぎるのだ。それだったら小説なら手っ取り早いんじゃね? 紙にペンがあれば出来上がるんだし。それくらいの軽い気持ちだった。

 しかし、「小説は懐中電灯」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887024909


 でも書いたように、シンプルな芸術ほど、それで人を感動させるためのハードルは高くなっていく。簡単にはいかないのだ。今から振り返っても昔書いた作品は読んでて鳥肌が立たち、全身が火照るほど恥ずかしい。それでも好きこそものの上手なれで、書き続け、インターネットが浸透し始めると、各々小説をアップし、交流サイトなども登場し始めた。そこでも交流があり、今はその痕跡すら追うことができない方々、むむさん、小さな図書館というサイト内でのドラえもんの長編パロディ「輝ける未来のために」を書いた方(作者のお名前は忘れてしまいました)、あさぬまこーた様(今は作品はほとんど閲覧できないようになっています)、など多くの方に刺激を受けながら作品をアップしていった。

 その後一旦創作活動は下火になり、このカクヨムに登録したのがどうやら2016年のようだ。ここでもたくさんの出会いがあった。


 しかしこのカクヨムという人生において、一番の分岐点となるのは間違いなくあの方との出会いになるだろう。

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