第3話 赤帽子

 少年は武器屋の建物内で十分な休息を取った後、更に離れた都市の外周部へと密かに移動を始める。

 本能で、中心部に近付くにつれて死の気配が高くなっている事を感じ取ったからだ。


 都市を囲む城壁の近くまで辿り着くと、このまま塀を超える事は出来ないかと上を見上げて見るも、高さ二十メートル近くもあるそれは到底越えられる高さではない。

 即座に諦め、狙いであった魔物の討伐へと思考を戻した。







 都市外周部の一角。


 人型の魔物が人肉を喰らっていた。

 身長は一メートル程度で、頭部には帽子のようなものを被り、鉄製の長靴を履いている。


 この魔物の名は【レッドキャップ】。

 【赤帽子】の異名を持つ極めて危険な妖精の一種である。

 異名の由来は、このモンスター特有のある行動によるものだ。


 彼等は一様に、その頭に帽子を被っている。そして、彼等は帽子に自分達が殺した者の血を塗るのだ。


 例に漏れず、この都市に侵入してきたレッドキャップ達も頭に帽子を被っている。

 そして、彼等の帽子からはおそらくは殺された人間の物であろう夥しい量の血が塗りたくられていた。


 今も尚、人肉を喰らいながら帽子を血で染め、醜い笑みを浮かべている。

 この凶暴性から、初見でこの魔物に出会い、仲間を殺されて引退する冒険者は相当数存在する。


 ある程度人肉を喰らったレッドキャップは、新たな食材を求めにその場を立ち上がる。

 その背後、崩れかけの建物の隙から、二つの光がじっと、レッドキャップの動きを凝視していた。







(あれは、ゴブリンだろうか?)


 魔物の知識が殆どない少年は、視線の先にいるレッドキャップを、街中を通る冒険者達がよく話していたゴブリンという名の魔物との外見が大方一致している為、低級の存在であるゴブリンだと判断する。


 少年は今の自分と、聞いた話とを比べて討伐可能かを考える。

 ゴブリンはレベルが五十以上になるとホブゴブリンとなり、百以上でチャンピオン、二百に到達するとキングと、レベルが上がるにつれて進化する種族だと言う。


 進化に応じて肉体も変化する。

 ホブゴブリンになると、ゴブリンの時と比べ、その全長も二倍となり二メートルを超える巨体となるのだ。


(あれはホブゴブリンではないだろう。ならば、低レベルのゴブリンか・・・・・・俺のレベルは二十後半。敵が四十台だとしても、やりようによっては)


 敵をゴブリンと想定して、少年は戦うビジョンを頭の中で思い浮かべる。


 冒険者に必要とされる絶対常識として、魔物の種類の把握というのがある。

 魔物の種類を把握していなければ、敵に対する対処法、自分と敵とがどれほどの差があるのかを認識できないからだ。


――でなければ、この少年と同じ状況に陥る。


 レッドキャップ、その凶暴性はゴブリンなどとは比べ物にならない。

 恐るべきはその駿足。鉄の長靴を履いているとは思えない速度は、鈍重な冒険者であれば、なす術もなく蹂躙される程だ。


 更には、再三言うようにレッドキャップは非常に凶暴な魔物だ。

 故に、交戦する頻度も非常に多い。つまりは、殺してきた敵の分、それだけ経験値を取得している事に他ならない。


 そして、少年の視界に映るレッドキャップのレベルは・・・・・・


【113】であった。


 その圧倒的な差を知らずに、少年は遂にスキルを発動する。


――生道世界。


 世界が捻じ曲がる。

 しかし、その歪みはほんの一瞬で、周囲の魔物が気付く事はなかった。


 数瞬まで少年が居た場所には、既にその影は無くなっていた。同様に、レッドキャップの姿も見えない。


 遠くで狼型の魔物が遠吠えを上げる。

 まるで歓声を上げるように、祝福するように都市中に轟かせる。


 少年にとっての、巨大な、巨大過ぎる壁の一つが、彼に絶望を齎すように、霧から晴れようとしていた。







「ギャッ?!」


 レッドキャップが驚きの声を上げる。

 それもそのはず、レッドキャップは今、ほんの数瞬まで自分が居た場所とは明らかに違う場所に立っているのだ。両脇にはレンガの建物が立ち並び、後方の遥か先に立っている街灯の光が一切届かないそんな場所。人間であれば一寸先すらしっかりと見る事は出来ないだろう。


 レッドキャップがもう少し知能が高ければ、現状の不自然さに気付くことが出来たであろう。


――どうして街灯があるのだと。


 巨龍がこの都市に降り立つと共に、その余波で、更には押し寄せてきた魔物により都市内部は蹂躙された。まともに残っている建物はなく、僅かに建物としての機能を失っていないものが都市外周部に残っているのみ。それでも、光を発するような目立つ物は、尽くが魔物に破壊し尽くされた。


 ならば、あの街灯はなんなのか。幻か夢の中にいるのか。

 その回答を知るただ一人の少年が、いつの間にか動揺するレッドキャップの背後に立っていた。


「しッ」


 一撃必殺、長期戦が出来るような体ではない為、背後からの奇襲で終わらせようと、本気でナイフを振り切る。

 狙い違わずに、ナイフの軌道はまっすぐにレッドキャップの首筋へと進み、刃が皮膚に触れる。


「――なッ?!」


 驚愕の声を漏らすのは、ナイフを振るった少年の方だ。

 確かに少年の攻撃はレッドキャップに届いた。しかし結果は、首筋の皮一枚を斬るにとどまる。それどころか、逆にナイフの刃に罅が入り、使い物にならなくなっていた。


『ギギャ』


 振り向いたレッドキャップと視線が交差する。

 反応した訳ではない。細胞全てが鳴らす大警鐘に、無理矢理に体を動かし、少年は咄嗟にその場を飛び退いた。あらかじめ、一撃で殺せない事も想定した為に出来た動きでもあっただろう。それでも、本気の攻撃が効かなかったという精神的なダメージは大きい。無意識に呼吸が浅くなってくる。


 少年が飛び退いた直後、地面が爆ぜた。

 正確には、レッドキャップが叩きつけた斧によって地面が抉れた訳だが、至近距離に居た少年には地面が爆ぜたように映った。


「くッ!」


 飛び散る瓦礫を腕を交差して防ぎ、爆心地を見る。

 地面は大きく屠れ、僅かにでも後退が遅かったら、自分があれをくらっていたのかと思うと、少年は頬を引き攣らせて顔を青くする。


『ギィヤァッ!』


 小さな影が飛び上がり、少年に襲い掛かる。レッドキャップの顔には、傷つけられたことに対する憤怒の感情と、戦闘の愉悦が彩られていた。

 少年はハッとした表情をすると、隣の壁へと直進する。それは傍から見れば、壁に吸い込まれているようにも見えたが、よく見ると狭い通路があった。


 中は光が一筋もなく、一寸先を確認するのも難しい。

 しかし、少年は確かな足取りで通路を疾走する。見えている訳ではない。疾走しながら偶に壁に手を触れ、位置を確認しているのだ。


 都市外周部の外壁というのは荒い。

 中央に比べ改修される事も然程ない為、特徴的なものが多く、ずっと暗闇の中で暮らしていた少年は触れればここがどこであるのかを正確に判断出来ていた。


「嘘だろっ!」


 少年はすぐ後ろから聞こえて来る足音に悪態をつく。


 魔物は一部のものを除き、総じて夜目が効くものが多い。

 少年にはその知識がなかった為、ここに入れば魔物が自分を見落とす事になるという予想は、大きく外れた。


『ギギッ!』


 外壁を足場にして宙でジグザグに走る魔物。

 無茶苦茶な動きをしているはずなのに、順路を正確に理解し、最短距離を全力で走っているはずの少年との距離が全く離れない。追い付かれないのは、少年がギリギリで方向を変えて、迷路のような裏路地を最大限に活用出来ているからだ。


 ただ、すぐに限界は来る。


「くッ・・・・・・」


 苦悶の声を漏らし、胸を抑える。

 もう数日間も何も食べていないのだ。栄養がいきわたっていない肉体に持久力などあるはずもなく、すでに体力が底をつきかけていた。


(後、少しッ!)


 曲がり角を曲がる事を止め、歯を食いしばり一直線の道を全力で駆ける。

 瞬く間にレッドキャップとの距離が縮まる。振られた斧が届く寸前、少年は前方に飛び込んだ。


 飛び込んだ先は、古びた建物だ。ボロボロの扉を破壊して、建物の中に入り込んだ少年は、転がりながらも、地面に落ちている球体を拾い上げると、上部についているボタンを押す。


(場所が変わっていなくて良かった)


 レッドキャップが叫び声を上げ、飛び上がりながら建物に侵入してくる。


 その姿を横目に少年は球体を上へと投げる。

 球体に釣られるようにレッドキャップの視線が吸い寄せられ、反対に少年は、腕を屋根のようにして目を伏せた。


 瞬間、解き放たれる眩い光。


 怒りとも苦しみとも分からぬ声が響き渡る。

 一瞬止まった隙を少年は逃さない。地を蹴り上げ距離を詰めると、両手で柄を握り、押し出すようにして腹部にナイフを突き立てる。


『ギギャァアアアア!!』


 ナイフは数センチ程突き刺さり途中で折れた。突き刺さっている刃の部分を伝って血が滴る。

 恐慌状態に陥ったレッドキャップは、我武者羅に斧を振り回すが、既に距離を取っている少年には当たる気配がない。


(あと、二本)


 一本のナイフを構え、眼前の敵を隅々まで見る。


 少年の世界には、格下、同格というべき存在はいなかった。

 いつも格上で、戦うたびに死にかけた。


 必要なのは怒りに任せたドーピングではない。

 何かを犠牲にする覚悟でもない。


 大切なのは、正しく現状を把握する事だ。

 全ての事象を考慮し、少年は高速で脳を回転させて思考する。


 ――自分は何手で詰むのかと。


「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」


 体力はとうの昔に限界を超えている。

 この場所で決めきれなければ勝ち目はない。


(ならば、この場で決めよう)


 相手の動きは見えない。更には敵の攻撃力は異常で、一撃を喰らうだけでも少年は死ぬだろう。


(ならば俺が見るべきは移動前の足、そして斧を持つ手だ)


 暗闇にも多少視界が慣れ、相手の僅かな動作であれば視認できるようになっていた。


 幾度も経験してきた殺し合い。

 今回も格上である事に変わりはない。

 いつもと変わらぬ日常を繰り返すだけだと体に言い聞かせる。


 怒りに狂ったレッドキャップとは反対に、どこまでも冷たい視線が戦場を見つめていた。

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