『妖女』(ゴーゴリ)の場合

クレ○リンの大統領執務室で、

某国大統領が一人で仕事をしていた時のことだ。


ノックもなしにドアが開き、

何人かのウクライナ民族衣装を着た男たちが、

「えっさ、ほいさ!」と、

棺桶をひとつ担いで入ってきた。


「え!なんだお前らは!」

大統領は仰天して叫ぶ。


だが男たちはその声を無視して、

「よいしょー!」と、

棺桶を執務室のど真ん中にドンと置くと、

「えっさ、ほいさ!」と、

駆け足で出て行ってしまった。


「おい!ちょっと待て!

何だこの棺桶は!?」

大統領は椅子から立ち上がる。


そこに、男たちと入れ替わりに、

コサックの衣装を着た老人が一人、

悲しそうな目をして入ってきた。


「あんたが、ウラジーミルさんかね?」

老コサックは静かにそう言った。


「な、なんだ、私の名前を呼びつけとは!?

だいいちその棺桶は何だ!?」


「この棺桶の中には、

昨夜死んだ私の娘が入っている。

キーウで勉強をさせていた、

自慢の娘だった、、、

それが、死んでしまった」


「なに?」

大統領はそれを聞いて、

イヤそうに眉をひそめる。

「ということは、

ウクライナ人か、、、?」


「かわいい娘を失った親の気持ちが、

あんたにわかるかね?」

老人は泣き腫らした目を

ハンカチで押さえつつ、

そう言った。

「そして、わしのような、

田舎のコサックには、

都会で元気に暮らしていた娘が

なぜ死んだのか、

理由を説明されても、よくわからん。

なぜこんなことになったのか、

わからんのだ」


「それは気の毒に。

しかし、、、娘さんの死と

俺に、何の関係が?」


「それが、おおいに

関係があるようなのだ」

老コサックは、懐から一枚の紙を取り出した。

「わしにも、よくわからんのだが、

娘の遺言書に、あんたの名前と、

顔写真と、このへんちくりんな

建物の住所が書いてあったんだ。

『この男が、私の死んだ理由を知っている』と」


「へんちくりんとは何だ!

ここはクレ○リンだぞ!」


「ここがクリリンだろうと、

グレムリンだろうと、

わしにはどうでもいい。

肝心なことは、娘の遺言書に

あんたのことが書かれていたことだ。

そして、、、」

老コサックはため息をついて言った。

「今のわしが望むことは、

娘の遺言書に書かれていた、

娘の最後の願いを叶えてやることだけだ」


「ふむ、、、それで、

その遺言書には、

なんて書いてあったんだ?」


「『葬儀は特に不要だ。

ただ、このへんちくりんな城で

仕事をしている、この写真の、

ウラジーミルという男の部屋に、

一晩、自分の死体を置いてくれ。

それが供養になるから』と。

わしにも理由は、さっぱりだ。

だが、かわいい娘の最後の願いなのだ」


「えー!」

大統領はめちゃくちゃ困った顔をした。

「死体を、ここに、一晩?

それは不吉すぎる!

イヤだなー、、、

モヤモヤするなー、、、

なんだか怖いなー、、、」


「わしにも理由はわからん。

父親としても非常に気がかりではあるが。

あんた、わしの娘とどういう関係だ?」


「し、失礼な推測をするな!」


「ともかく、頼む。

この遺言のとおりにさせてくれ。

娘の最後の頼みなんだ。

それでは、明日の朝、

娘の死体は引き取りに来るからな。

イヤとは言わさんぞ。

それじゃ、また明日。

今夜は娘とごゆっくり。

、、、ヒヒヒ」

老コサックはそう言い残し、

すたすたと執務室を出ていってしまった。


「あー!ちょっと待ってくれ!

・・・困ったな。

本当に棺桶を置いていっちまった・・・」

まあ、でも、よくよく考えれば、

ただの死体、無視を決め込めば

よいか。

そう思い直し、

大統領は仕事に戻った。


*****


ふと、大統領は時計を見る。

「おっと。もうこんな遅い時間か。

今日は書類確認の仕事に集中していて、

すっかり、気づかなかった」

モスクワはもう、すっかり日が暮れ、

夜の帷に閉ざされている頃合いだ。


ふと、、、。

大統領は、棺桶の方が気になった。


そっと立ち上がり、

恐る恐る、棺桶に近づき。


少しだけ、蓋を開けて、

中を覗いてみる。


棺桶の中では、

ウクライナの民族衣装を着た、

ぞっとするほど美しい娘が、

目を閉じて静かに横になっていた。


「これは美しい娘だ、、、

それだけに、なんか、

こんな娘の死体と二人っきりで

夜の部屋にいるなんて、

ものすごく気味悪くなってきたな。

今夜は仕事を切り上げようかな、、、」

その時、緊急の電話が鳴ったため、

あわてて大統領は机に戻った。


電話の相手は、国防相だった。

いつもながら弱気なことを言う国防相を

叱咤激励しているうちに、

大統領はまたしても、

時間の経つのを忘れてしまった。


*****


ようやく電話を終えて、

また棺桶のほうを見た大統領。


「ええっ?」

思わず変な声を上げてしまった。


棺桶の蓋が、完全に開いている!


しかも、駆け寄って覗き込んでみると、

棺桶の中は、カラッポになっていた!


「あれあれ?

これはおかしいなーー、

なんだか気持ち悪いなー、

ヘンだなー、怖いなー、、、」

大統領は冷汗をかきつつそうひとりごち、

あわてて執務室の中を

キョロキョロ見回した。


だが、部屋の中には、やはり、

自分以外には、誰もいない。。。


と、その時!


天井をガサゴソと

何かが這い回る音がした。


見上げた大統領の頭上から、

「ケーケケケ!」

という甲高い笑い声と共に、

おぞましい表情をした女のバケモノが、

わっと覆いかぶさってきた。


(ああ、これ、

ウクライナ出身の文豪ゴーゴリが

書いた短編怪談に、

これに似たようなハナシがあったな、

つまりこれはウクライナの魔女なのだ、、、)


薄れゆく意識の中で、

大統領はそんなことを考えた。

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