偉人の軌跡

「では、早速インタビューに入りましょう。上村さんが作家を志したのには何かきっかけがあったんでしょうか?」小松氏が尋ねた。


「きっかけ、と呼べるほどはっきりとした出来事があったわけではないんですけど、意識し始めたのは27歳くらいだったと思います。私、それまでは普通にOLをやってたんですよ。新卒で入った会社で、特に不満もなく結婚するまで仕事を続けるんだろうなと漠然と考えてました。でも、ある時から急に不安を覚えるようになったんです」


「不安、というと?」


「自分はこのままでいいのか、みたいな感覚ですね。私がしてたのは事務職で、特にスキルが必要な仕事でもなかったので気楽だったんですけど、入社5年目を迎えた頃から急に虚しくなってしまったんです。もし私がいなくなったとしても誰かが代わりに私の仕事をするわけですけど、本当にそれでいいのかなって。このまま何となく仕事を続けて歳を重ねても何も残らない。そうじゃなくて、もっと自分が生きた証みたいなものを残したいと思ったんです。人生は一度きりなんだから、自分のやりたいことに挑戦すべきだっていう考えもありました」


 それは智子にも覚えのある感覚だった。安定した生活を享受しつつも、心のどこかで満たされない想いが付きまとっている。贅沢な願いだとは知りながらも、空虚さを埋める何かを求めずにはいられない感覚。


「それで他の道を模索するようになったと。でも、どうしてまた作家を目指そうと?」


「私が人より得意なものって何だろうって考えた時、最初に思いついたのが文章を書くことだったんです。私、昔から文章を人に褒められることが多くて、読みやすいとかわかりやすいと言ってもらえることが多かったんです。それに、文章ならペンと紙があればすぐに書けますし、お金もかからない。新しく始めるのにハードルが低いと思ったんです」


「なるほど。最初から小説を書きたいという気持ちはあったんですか?」


「そうですね。私、昔から色々なことを空想するのが好きで、物語を考えたこと自体は何度かありました。実際に書いたことはなかったんですけど、その時になって初めて、一回書いてみようかなぁ、と思うようになって」


「実際に小説を書かれてみて、何か思われたことはありますか?」


「そうですね……。やってみて思ったのは、自分の頭の中にあることを表現するのって意外と難しいな、ってことです。こういう展開を書きたいっていうのはあるんですけど、それを文章で上手く表せない。少し書いては消してを繰り返して、最初の頃は全然話が進みませんでしたね」


 智子は意外な思いでその話を聞いていた。人気作家ともなれば生まれながらに文才があって、言葉が湯水のようにするすると出てくるものだと思っていたが、彼女にも人並みに苦労した時代があったのだ。


「でも、四苦八苦しながら書いてるうちに、ようやく自分のスタイルみたいなものが見えてきたんです」上村春子が言った。

「地の文と会話文のバランスとか、会話のテンポとか、そういうのが掴めてくると書くのもスムーズになっていきました。頭の中にあるものを外に出していく作業は楽しかったですし、それで納得のものに仕上がると書いた甲斐があったな、と思いました」


「ご自分の作品をW&Rに投稿されたのはいつからだったんですか?」


「書き始めて2、3ヶ月経った頃ですね。最初は人に見せるのが恥ずかしかったんですけど、やっぱり書いた以上は誰かに読んでもらいたいって気持ちもあって、勇気をだして投稿してみたんです。そうしたら何人か読んでくださる方がいて、感想をもらえた時は本当に嬉しかったんです。あぁ、こんな私でも誰かを楽しませることができるんだなと思って、ようやく自分にしかできないことを見つけた気持ちになりました。文章を書くことで、自分の存在意義を見出していたんだと思います」


 その感情は智子にもよく理解できた。最初は自分一人の楽しみに過ぎなかったものが、いつしか人を楽しませるための手段になっていた。それは書く喜びを何十倍にも膨れ上がらせ、文章の世界の深淵へと作家を誘っていく。


「アマチュア時代からすでに上村さんのファンがいたということですね。新人賞への応募を始めたのはいつからだったんですか?」


「小説を書き始めてから1年くらい経った時でした。最初は趣味として書くだけでも十分楽しかったんですけど、だんだんこれが自分の転職なんじゃないかと思うようになってきたんです。その頃にはW&Rで作品を読んでくださる方も増えてきていて、自分の作品に自信が出てきたところでもあって。これだけ多くの人が評価してくださっているんだから、新人賞に出してもいいところまで行けるんじゃないかっていう期待がありました」


「結果はいかがでしたか?」


「撃沈しました」上村春子が苦笑した。

「一次選考の段階で掠りもしないで、あの時はさすがに落ち込みましたね。自分では結構自信あったんですけど、上には上がいるんだなって事実を思い知らされた気分で。結果を知ってから1週間くらいは何も書く気になれませんでした」


 それもまた智子には意外な事実だった。人気作家は最初から才能を見出され、賞も難なく通過しているイメージがあったが、上村春子もまた挫折を味わっていた。知れば知るほど自分と彼女との共通点が明らかになっていく。

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