憧れの人

 そんな風に小説投稿サイトが生活と切っても切り離せない関係になった頃、智子はいつものように朝食をかじりながら、サイトを立ち上げて新着通知をチェックしていた。通知がない日は一抹の寂しさを覚えるのだが、幸い今日は赤ランプが点灯している。誰かが感想を書いてくれているといいな、と思いながら通知マークをタップする。すると、一番上に表示された公式からのお知らせが目に飛び込んできた。


『人気作家・上村春子かみむらはるこの独占インタビュー。明日20時からYouTubeで生配信!』

 その通知を見た瞬間、智子は心臓が大きく跳ね上がったように感じた。最初は見間違いではないかと思ったが、そこには確かに『上村春子、インタビュー』と書かれている。

 上村春子。それは智子にとって重要な意味を持つ名前だった。なぜなら彼女は、智子が作家を志すきっかけを作った人物だからだ。


 智子が初めて上村春子の作品を読んだのは中学2年生のこと。友人からの勧めでデビュー作を手取ったのだが、少し読んだだけでその傑出した才能に驚かされた。


 まず瞠目したのは文章のリズム感で、流れるような文体が非常に読みやすく、内容がするすると頭に入ってきた。また文章も美しく、琴線に訴えかけるような文章がここぞという場面で登場しては、場所を問わず涙を誘った。だが、何より特筆すべきは心理描写の巧みさで、登場人物一人一人の心の動きがありありと感じられ、血肉の通った人間として物語を牽引していた。これほど言葉を巧みに操り、また人の心を震わせる作家がいることが信じられず、以来、智子は貪るように上村春子の本を読んだ。読めば読むほど彼女の文章と、それが織り成す世界観の虜となっていき、いつしか上村春子は、智子の憧れの存在として君臨するようになっていた。


 上村春子の作品は世界的なベストセラーになり、映画化やドラマ化もされていたが、当の本人はメディアへの顔出しを一切しなかった。そんな彼女が、智子が使っている小説投稿サイトの運営者からインタビューを受けるという。そんな運命的ともいえる邂逅に智子が飛びつかないはずがない。


(明日は絶対定時退社しよう。急いで帰ってご飯食べたら、20時には間に合うはず)


 智子はそう決意を固めると、早くも明日に向けた仕事の段取りを考え始めた。




 そうして迎えた翌日の夕方。智子は決意どおり定時退社に成功し、夕食や後片づけを手早く済ませてスマホを片手に待機していた。画面に表示されているのはもちろん例の動画サイトだ。時刻は19時57分。後3分で夢にまで見た上村春子のインタビューが聴けるのだと思うと、否が応でも気持ちが高ぶっていく。


 スマホの時刻が定刻を告げる。検索画面に「上村春子」と打ち込むと、すぐに投稿されたばかりの動画が表示された。迷わず再生ボタンをタップすると画面が切り替わり、軽快な音楽と共にスタジオらしき場所が表示された。スーツ姿の男性と、私服を着た50代くらいの女性が並んで座っている。初めて見る憧れの作家の姿に智子は目を見開いて見入った。


「皆さんこんばんは。小説投稿サイト『W&R』運営の小松です。今回はサイト開設25周年を記念した特別企画として、作家の上村春子さんへの独占インタビューを行いたいと思います。上村さん、よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 上村春子が笑みを浮かべて会釈する。有名作家と言えども華やかなオーラは全くなく、どこにでもいる普通の主婦といった風体だ。街ですれ違ったとしても素通りしてしまうだろう。


「上村さんは今年でデビュー20周年を迎えられるんですよね。今までメディアへの顔出しはあまりされていなかったとのことですが、今回、インタビューを受けてくださったのには何か理由があったんでしょうか?」小松氏が尋ねた。


「はい。実は私、昔『W&R』に作品を投稿したことがあったんです」


「え、そうなんですか!?」


「はい。この前パソコンの整理をしてたら昔書いた原稿のデータを見つけて、それが『W&R』に投稿した作品だったんです。懐かしいなって読み返してるうちに今回のインタビューのお話をいただいて、せっかくのご縁なのでお受けしようかなと」


「それはまた不思議な縁があったものですねぇ……。『W&R』の利用者の方にも上村さんのファンは多いでしょうから、今回のインタビューで上村さんの素顔に迫れればと思います」


 小松氏がマイクを握り締める。彼の意気込みは智子にもよく理解できた。智子がこのインタビューの存在を知っただけでも驚くべき偶然なのに、上村春子自身もかつてこのサイトを利用していたという。雲の上のような存在だったはずの彼女が、智子には急に身近に思えてきた。

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