ライフ・ワーク4

瑞樹(小原瑞樹)

新たな居場所

 月曜日の朝、田原智子たはらともこは朝食を食べながらスマホの電源を入れた。トーストを片手に、慣れた手つきでサイトを起動する。もはや毎朝の恒例となっている行動だが、それでもこの操作をする時には毎回心臓が早鐘のように打つ。


 見慣れたホーム画面が表示されると、通知マークに赤いランプが点いているのが見えた。智子はどきりとしたが、早合点してはいけないと自分に言い聞かせる。フォローしているユーザーが新作を公開したか、あるいは自分が書いた感想に返事が来ただけかもしれない。それでも智子の動機は収まらず、震える手で通知マークをタップした。画面が遷移する僅かな時間が異様に長く感じられる。


 間もなく通知の一覧が表示される。週間ランキングの変動、フォローしているユーザーの近況などの新着通知が並ぶ中、智子の目に一つのメッセージが飛び込んできた。星マークと並んで表示されたメッセージ。


『今回の作品も面白かったです! 登場人物の心理描写が濃密で引き込まれました。次回作も楽しみにしています!』


 たった3行の短い文章。それでも、その文章を一目見ただけで安堵が全身に広がり、智子は肩から一気に力が抜けていく気がした。湯気の立たないコーヒーを飲みながら、ゆっくりと他の通知にも目を通していく。

 彼女が見ているのは小説投稿サイトだった。この田原智子という女性は作家の卵なのだ。




 田原智子が小説投稿サイトの利用を始めたのは、今から1年前のことだった。

 きっかけは新人賞への落選だった。作家になるという幼い頃からの夢を叶えるため一念発起して応募したはいいものの、あっさり一次落ちして激しい落胆に襲われた。一時は小説を書く意味すら失われていたのが、友人からの励ましを受けたことで情熱を取り戻した。その友人との会話がきっかけで自分の作品を読んでほしいと思い至り、小説投稿サイトの利用を始めたのだ。


 とはいえ、サイトの利用も最初から順調なわけではなかった。誰でも無料で投稿できるという気軽さゆえ、サイトには無数の作品が溢れかえっており、無名なアマチュア作家に過ぎない智子の作品は当然のように埋もれた。サイトを開くたびに伸びない閲覧数を見ては落ち込み、多くの読者を獲得している作品と自作を比べては何が違うのかと自問自答した。そんなことを繰り返しているうちに疲弊して、いっそ利用を止めようかと思うこともあった。


 そんな矢先、智子が最初に投稿した作品に反応があった。それは読者によるレビューで、智子の作品にはこんなレビューが寄せられていた。


『社会人なら誰でも感じるような悩みが描かれていて、とても共感できました! あまり読まれていないけどお勧めです!』


 レビューが書かれたのは新人賞に落選した作品で、新入社員を題材とする現代ドラマだった。自分の経験を元にしているので描写のリアルさには自信があったのだが、新人賞に掠りもしなかったので独り相撲だったのだろうかと落ち込んでいた。サイトに投稿したところで傷の上塗りになるだけではないかと思いつつ、何とか勢いをつけて投稿した。そんな作品を認めてくれる人がいた。その事実に、智子は胸の内から温かいものが湧き上がってくるのを感じた。


 それ以来、智子は細々と小説を書いてはサイトに投稿することを繰り返した。いろいろな企画などに参加しているうちに徐々にフォロワーと呼ばれる人達が増え、定期的に感想をくれる人まで現れた。中でも多いのは『板野青葉』と『Fumi』という二人のユーザーだ。


 『板野青葉』は、新作を投稿するたびに真っ先に読んでくれ、各話に感想を書いてくれる。内容はごくシンプルなもので、文面も『面白かったです!』とか、『共感できました!』といった短いものだけれど、それでも自分を継続的に応援してくれているというメッセージは十分に伝わっていた。


 一方、『Fumi』の方は主に長編小説を読んでくれた。各章の終わりに感想をくれるのだが、それがものすごく長文で、どの場面の描写がどんな風によかったということを具体的に挙げてくれた。また、逆に改善点を指摘されることもあり、自分で読み返してみると確かにそのとおりだと納得できる内容ばかりだった。Fumiの評価や指摘はいずれも説得力のあるものばかりで、まるで本物の編集者のようだと智子は毎回感心するのだった。これだけ丁寧な感想を書くには時間がかかるだろうに、そうまでして自分の作品を深く汲み取り、長きに渡って読み続けてくれる人がいることが智子は嬉しかった。


 この二人以外にもぽつぽつと感想をくれる人が現れ、自分の作品が誰かに届いたことに言いようのない嬉しさを覚えた。もらってばかりでは申し訳ないと思い、人の作品を読むこともした。大半は好みに合わない作品だったが、たまに「これは」という作品に出会えると嬉しくなり、熱意を込めた感想を送った。するとそこで新たな交流が生まれ、智子のネットワークはどんどん広がりを見せていった。小説という大好きな媒体で人と繋がれることが嬉しく、智子はいつしかサイトの中に自分の居場所を見出していたのだった。

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