第3話 だれも戦いたくて戦っているわけではない。

 シコク広域災害医療センター。


 第11特殊歩兵中隊ぼくたちが攻撃目標とする施設の名称である。病床数200。ここ周辺の地域医療の中核を担う総合病院――というのは敵軍の偽装で、諜報部からの情報によると、その実態は生化学兵器の研究と製造を行う軍の秘密基地だ――そうである。偽情報フェイク・ニュースを操るのは、なにも同盟軍だけというわけではない。


 田植えが終わったばかりの水田に取り囲まれた広域災害医療センターは、小高い丘の上に位置していることもあって大きな湖にぽかりと浮かぶ小さな島のように見える。その小島の脇には家々が肩を寄せ合うようにして集落を形作っている。そのうちの何軒かの庭先で、鯉のぼりが誇らしげに空を泳いでいたが、それも戦闘の口火が切られれば、引き裂かれずには済まないだろう。


「敵拠点からの返答は」

「まだです」


 敵の生化学兵器工場であるとはいえ、一部が一般人を診察・治療する病院として機能してきたことは事実である。紅蓮は敵拠点に対し、人道上の措置として24時間の猶予を与え、民間人を退去させるよう敵軍に申し入れを行っていた。申し入れから24時間が経とうとするが、その返事がまだない。


「『人の盾』というわけだ。自国民を軍の盾に使うなど、見下げ果てた連中だ。構うことはない一気に攻め潰せばいいんだ。かえって守りを固めるための時間を与えてしまうだけだぞ」


 紅蓮の方針を聞いた青龍はそういって吠えた。実際に、ぼくたちの作戦行動に気づいた敵軍では、広域災害医療センターへの軍需物資搬入を進めつつある。ドローンからの映像で確認したところでは、医療センターに続く田舎道が火器や物資を積載したトラックで渋滞し始めていた。時間はない。もう一日であれ、この状態を放置すれば、医療センターは強固な要塞と化し、攻略不能となってしまうだろう。今後、わが軍と国民はここで生産される生化学兵器の脅威にさらされ続けることになってしまう。


「ぶっ潰すしかねえのさ。どんな犠牲を払ってでもな」


 青龍の意見にぼくも頷かざるを得ない。速やかに敵の補給線を寸断し、生化学兵器工場を攻略しなければならない。しかし、紅蓮は攻撃命令を発しなかった。はためく鯉のぼりを見ている。


「カイオウ准尉」

「はい」

「准尉に妻子はいるのか、恋人は?」


 突然の質問に言葉が出てこなかった。現在の状況と質問を発した人物の両方が、質問内容に似つかわしくなく、意外たったからだ。


「……郷里に恋人がいます」


 彼女のことは、普段考えないようにしている。もう三ヶ月会えていないことも。今度はいつ会えるだろうかということも。


「そうか――わたしも国に妻がいる。昨日、子供が産まれたと連絡があった」

「それは……おめでとうございます」

「男の子だ」


 だからか。ずっと鯉のぼりを見ていたのは――。

 しかし、彼が考えていたことは、ぼくの考えていたことと少し違っていた。


「わたしは第三階級サードなんだ」

「は?」


 突然、話題が切り替わったように感じたぼくは、とっさに返事することができなかった。サード? 第三身分ということか? まさか、そんなはずはない。紅蓮隊長の階級は「大尉」。士官である。わが軍において非征服階級……第三身分出身者は、士官以上の階級に任官することはない。


「わたしの両親は移民だった。本国人でない両親の子は、本国で生まれたとしてもその身分は第三階層サードに所属する。家は貧しく、高等教育を受けられなかったわたしは、軍に職を求めた。15歳だった」


 15歳で入隊する――。過酷な選択だが、紅蓮が第三身分出身だというなら十分にあり得る話だ。

 非征服民を含めた多民族で構成されるわが国の軍隊において、「兵」の大半は第三階層サードで占められている。生命の危険に晒される戦闘行為の実際を担うのは、非征服民や移民とその子孫だ、現に、この第11特殊歩兵中隊の構成員のほとんどは――ぼくや青龍も含めて――第三階層サード出身者だ。貧しい者から死んでゆく。善悪の故ではない。それが敵味方を問わず戦場の現実だ。ただ、特に優れた軍功を挙げた者は――。


「選択肢は多くなかった。両親ときょうだいを食べさせるためには、兵士として戦うしかなかった。幸いにも上官、同僚に恵まれ、わたし自身も兵種に適性があった」


 使の適性が。


「わたしは負けなかった。勝ち続けた。三度の戦役に軍功を挙げたわたしは、三つの勲章と第二階層セカンドの身分を得、『グレン』と名を改めた。そのとき、父から受け継いだ『タチバナ』という名を捨てたのだ」

「『タチバナ』……」


 聞いたことがある。それは、ぼくたちがいま攻撃しているだ。おそらく、紅蓮はこの国から本国にやってきた移民の子。いわば「敵性市民」ではないか。


「研究職の軍属に転籍し、第二階層セカンドの身分を得たことで通えるようになった大学で妻と知り合った。文学を研究する彼女は無垢で世事に疎い女性だ。わたしが『死神』と呼ばれた兵士であったことも、第三階層サードであったことも知らない。わたしたちは結婚した。ふたたび戦争がはじまり、士官として召集されるとは思いもしなかったからだ。まして、へ派遣されることになるとは」


 軍功を立て除隊した士官を呼び戻さなければならないほど、わが軍は追い詰められているのか。


「思い出したよ。子どもの頃、貧しかった父親に小さな魚の折り紙を折ってもらっていたことを。黒、赤、青、緑……。思えば、あれは『鯉のぼり』だったんだな」


 男の子の健やかな成長を願って飾る――この国のおまじないだ。


「わたしは、生まれてきてくれた息子になにを贈ることができるだろう。『死神の子』という汚名と引き換えに得る勝利だろうか。それとも――」

「隊長……」

「……話しすぎたようだ。敵拠点からの返答は?」

「……ありません」

「やむを得ん。全部隊へ伝達。ただちに出撃態勢。30分後、敵拠点への攻撃を開始する。10分後に最終ブリーフィングを行う。機動装甲歩兵キグルミ使いは時間までにハンガーへ集合すること。以上」

「了解」


 こうして第11特殊歩兵中隊、最期の作戦が開始された。


(つづく)

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