「おやおや。いらっしゃい」

 ゆったりとした口調で、くしゃっとした、やわらかい笑顔で迎えてくれた。

「お好きな席にどうぞ」


 テーブルが一つと、カウンター席が三つの狭い店内。

 セルフサービスの水を汲み、一番おばあさんと近い、カウンターの左側の席に座る。

 壁にかかっているメニューを眺めると、味のある木の札の中に、ひとつ気になるものがあった。

 かつ丼と親子丼の間にある、天井、と書かれたメニュー。

 丼の中の点が消えた、井という漢字。


 ああ、これは私のことだな、と思う。

 会社では井の中の蛙だなんて揶揄されたこともあるけれど、男社会の中でもドンと構えてがんばってきたつもりだ。

 その井戸を飛び出し、会社を辞めると決めた私が今、ここにいる。


「天井ひとつ、お願いします」

 食べてしまおう、全部。

 今日、この日に。


 おばあさんは少し不思議そうな顔をしたけれど、メニューを見てすぐ理解してくれた。

「ほんとだねぇ。天井だ」

 ころころと笑いながら続ける。

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