第16話

「お前、名前は?」

「……名乗りたい名前は、無いです。」

「ふーん。じゃ、お前は今日からエメリィな。」


 そんな軽いノリで、私は『エメリィ』と呼ばれる様になった。後から聞いた話では、その名の由来はかつて最強とまで呼ばれた女冒険者だった。私とは正反対な人間なのだなと、内心で自嘲した。



 心の底から笑ったのは、初めてかもしれない。


「おめえ、細っこいんだからもっといっぱい食いなぁ!」

「わっ、ダグラスさん、多いですって!」

「……馬鹿か、そんなに食えんだろう。エメリィはお前みたいな巨漢じゃないんだぞ。」


 がさつだけど優しいダグラスさんは、こうして私に食べ物を寄越してくる。気持ちは嬉しいが、量が量なので少し困ってしまう。

 それを冷静に対処してくれるのがセイネルさん。少し口は悪いが、クールで真面目な人だ。


「おいエメリィ、これ飲んでみろよ。うめーぞ?」

「ありがとうございます! んっ……!? 苦いぃ……。」

「馬鹿野郎! ガキにエール飲ませるな!」

「へっへっ。馬鹿だからなー。同じ馬鹿を増やしたくなっちまった。」


 ガンドさんは悪戯っぽい事ばかりするけど、私に新しい事を教えてくれる。良い事も、悪い事も。それが嬉しくて、楽しくて。

 だから、今回もきっと楽しくなる。そう思って、エールを一気に飲み干した。


「おいおい……。」

「えへへへ……私も馬鹿になっちゃいました?」

「良い飲みっぷりだなー、この馬鹿はよ。」


 ガンドさんの大きな手で頭を撫で回されて、私は嬉しくなった。それを見たセイネルさんは呆れた様に笑っている。ダグラスさんは、酒よりも肉を食えと言いながら、またも私の方に食べ物を寄越してくる。

 こんな幸せな日々が来るなんて。ああ、この幸せがいつまでも続きますように。



 求めてもいない快楽に喘ぐ。私はこんなもの要らないのに。それでもこの身体は男に悦ばれる為のものだと、心身の奥深くまで覚えさせられていた。

 ああ、ああ。何故だ。どうして、あなた達はそんな所で笑っているのだ。私を売って得た酒は、そんなに美味いのか。

 分からない。解らない。どうして。仲間だと、思っていたのに。

 知らない男達に代わる代わる犯されながら、馬鹿な私は頭の中で何故、どうしてと意味も無く繰り返していた。

 この夜、私が口にしたのは男達が吐き出した欲だけだった。



「孕め……! 孕め……ッ! 俺の子を産めッ!」


 そんな、叶いもしない事を耳元で叫ぶ様に囁きながら、セイネルは私の中で果てた。私が子を孕めないなんて、知っている癖に。


「おめえは本当にまっさらで、綺麗だなぁ。」


 身体の内も外も、汚されている。ダグラスは何度も達しては私の全身をその欲で塗り潰した。


「もう、やめてください……。」

「あ? 何言ってんだよ。ほれ、見てみろ。」


 ガンドは私の眼前に手鏡を翳す。そこには、頬を赤らめ、涙を零し、淫靡な笑みで口元を歪める何者かが映っていた。

 それが自分自身である事を、私は認識させられた。

 呆然としている私を余所に、再び動き始める――


「気付いてるか? 俺は今、動いてねーんだぜ?」


 ――それも、私だった。自身の意思に反して、身体は貪欲に求め続けているのだ。男の欲を、己の快楽と共に。


「やっぱ最高だよ、お前は。こんな事ならもっと早くヤっておけば良かったよなー。お前だって嬉しいだろ? なぁ?」


 違う。違う、違う、違う。

 こんな事、嬉しくなんかない。幸せなんて感じない。

 どれだけ否定しても、私の身体は悦びの声を上げていた。


「ふぃー……。お前ら、もう使良いぞー。」


 欲を吐き出したガンドが声を掛けた方を見れば、同じ荷物持ちの仲間達が私を見詰めていた。誰も彼も血走った目で余裕の無い顔をしていて。股座が酷く隆起しているのが服の上からでも判る。彼等もまた、私に欲情している。

 もう、良い。結局、私はこういう事でしか求められないのだ。精々以前の様に、淫売の様に振る舞おう。

 私に仲間なんて居なかった。ここに居るのは、メスの私を求めるオスだけだ。

 火照った肉体は、心の寒さを際立たせた。



 兵士達に連れられ、私は見知ったお方の前に居た。私の、ご主人様だ。

 もう二度と会いたくなかったのに、どうして。私はどうしてここに居るのだろう。

 どうして皆、守ってくれなかったのだろう。私はずっと、皆に悦んで貰えるようにご奉仕してきたのに。仲間じゃなくても、手元に置いて貰える様に頑張ったのに。


「久しいなあ、四番目フィーア。全く、よくも勝手に逃げ出したものだ。これはたっぷりと、仕置きをせねばならんなぁ?」


 ――私にはそんな価値、無かったのかなぁ。



「テメー、何者だ?」


 大振りのダガーを、ベッドに腰掛けたそいつに向ける。魔物だか罠だか知らないが、アイツの姿を真似ただけで俺は騙されない。

 昔と同じく男を誘う色香を纏っているそいつは、突き付けられた刃を興味無さそうに一瞥して艶やかな唇を動かした。


「久しぶりに会ったのに、酷いですね。……私は『エメリィ』ですよ。あなたが付けてくれた名前です。」


 確かに、俺が付けた名だ。シャハルマクの矢に相応しい、強さを持った名前を選んだ。当の本人は全く強くはならなかったのだが。


「なんでこんな所に居やがる。」

「さあ? あの男に捨てられて、目が覚めたらここに居ましたから。あの、ここって多分ダンジョンですよね? 一人で来たんですか?」

「……いいや。他の奴等は、ここで死んだ。」

「そう、ですか。残念です……。」


 残念そうな声音と、まるで変わらない表情。ああ、普段はこんな奴だった。思い返せば、エメリィの奴が表情を崩したのは酒を飲んだ時とヤっている時だけだった。

 まさか、本物なのだろうか。有り得ない、こんなダンジョンの奥にアイツが居る筈がない。

 大体こいつ、何故に下着姿なのだろう。それもやたらと扇情的だ。男を誘い込むにしても、こんな殺意丸出しのダンジョンの奥地ではあまりにも場違いだ。こんなの、罠に決まっている。


「もう一度聞くぜ。テメーは何者だ。」

「だから、『エメリィ』ですって……。」

「三年も姿の変わらない人間が居ると思うか? ええ?」

「……三年? 何言ってるんですか? あの日から半年も経ってないじゃないですか。」


 あの日――伯爵の所の兵に連れて行かれた時の事か。こいつの言い分では、その時からそれ程時間は過ぎていない、だから姿も大して変わっていない。それが事実だとすれば、このダンジョンは時間の流れが違うという事になる。有り得ないとは言えないが、今までに聞いた事も無いので信じ難い。もう少し探ってみるべきか。


「外じゃ間違いなく三年以上経ってる。何を根拠にそんな事を言ってんだ。日が昇らない所為とか言うなよ。」

「ううん、それもあるかもしれませんけど。でもね、ガンドさん。あの男は絶対に毎日一度はしてくるんですよ。鞭で打たれたりとか、爪を剝がされたりとか。私はそれを数えていただけです。」


 今は治っていて傷跡も無いですけどね、なんておどけた風な口調で言う。その声も、身体も震わせながら。

 きっと、それ以上の事もされたのだろう。今話したものだけでもお仕置きなんて言葉では生温い、拷問だ。

 エメリィの酷い姿を見ずに済んだ事に、俺は安堵していた。あの最高の身体が傷だらけになっているのを見たら、発狂していたかもしれない。例えそれが、偽物だったとしても。


「……私の事を警戒するのは分かりますよ。普通、私一人でこんな場所に居るはずないですから。いくら頭が悪くても、そのくらい分かります。」

「で? どうすんだ、テメーが本物だって証拠でも見せんのか?」


 そんな事を言っていても、俺はもう目の前の奴をエメリィだと認識していた。寸での所で理性が残っているが、しかしそれも怪しいものだ。

 三年振りの、エメリィの身体がそこにある。言ってしまえば、熱砂の中を歩き回り渇きに渇いた末にようやく現れたオアシスの様なものだ。

 ダグラスとセイネルが死んだばかりだというのに、本当に薄情な奴だ。それも仕方が無い。優先順位で言えば、エメリィの方が上だ。奴等だってそうだろう。


「何もしません。お望みなら、このベッドから出ない様にしますよ。……それとも一緒に寝て、みますか?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はダガーをその場に捨ててエメリィを押し倒した。

 我慢の限界だった。こいつの姿を見ているだけで、声を聴いているだけで、勝手に興奮が高まっていく。花や果実の様な香りに混じって、懐かしいエメリィの体臭が鼻腔をくすぐる。それがまた、酷く情欲を掻き立ててくる。

 宝珠の様に輝く美しい緑の瞳も。熟したエルペ色の、濡れた様に艶やかで柔らかな唇も。淡雪の様に白く儚い肌も。長く伸びた、上等な絹糸の様なホワイトブロンドも。今は全て俺の物だ。俺だけの物だ。

 早く交わりたい、重なりたい、一つになりたい。だのに服を脱ぐのすら覚束ない。それがもどかしくて、どうにかしたくて華奢な身体をきつく、強く抱き締めた。情けない事にたったそれだけで暴発し、下着の中で大きく脈打っている。


「は、あ……っ。」

「いくら他の奴を抱いても、駄目だった。忘れられなかった。お前でしか満足できねーんだ! お前以上の奴なんてどこにも居なかった!」

「ふ、ふふ……。嬉しい……。ねえ、私だけを、愛してくれますか……?」


 耳元で囁かれた言葉に驚く。抱擁を弛めてみれば、エメリィは不安そうに笑みを浮かべていた。初めて見る表情だった。胸の奥が針に刺された様に痛む。

 ああ、なんだ。俺はこいつに恋焦がれていたのか。本当は、独り占めしたかったのだ。仲間とか優秀な肉便器とかではなく、俺だけのものにしたかったのだ。


「ああ、良いぜ。お前だけ、を……?」


 エメリィを下敷きにして、前のめりに倒れる。力が入らない。何だ。何が起きた。胸の苦痛が増していく。呼吸がままならない。


「ふふ、ふふふふっ。嬉しい、本当に嬉しいですよ。まだ生きてますか? 生きてますよね? どうせすぐに死ねるんですから、ちゃんと死ぬ間際まで私の恨み言を聞いてくださいよ。」


 俺の頭を支えて真っ直ぐに見詰めてくるそいつは、屈託の無い満面の笑みを浮かべていた。まだ肉体関係の無かった頃、こんな顔をしていた事があった。あれは、出会って間もない頃の事だっただろうか。もう、遠い昔の事の様に思える。

 死の際で、やっと俺は気が付いた。俺はいつの間に、ここまで理性を失っていたのだろう。普通に考えればおかしい事ばかりだったのに。

 それが当たり前だと思っていた。最初は気の迷いだったのに、俺はエメリィを強引に犯し続けていたのだ。何故これ程に、俺はエメリィに執着しているのだろう。どうして俺は、他者がエメリィを汚すのを許していたのだ。


「裏切られた気分はどうですか? 悔しいですか? 悲しいですか? ……私は絶望しましたよ。仲間だと思ってたあなた達に性処理の道具にされた時も、あの男から守ってくれなかった時も。」


 違う、と言いたかった。俺はただ、お前と一つになりたかっただけなのだと。あの頃の俺達では、伯爵の権力からは守ってやれなかった。だから早く救い出して、俺達の元に帰ってきて欲しかった。

 それでも、俺達がエメリィを裏切った事に変わりはないのだろう。俺達が何を言った所で、ただの言い訳にしかならない。エメリィ自身がそう思っているのなら、それが事実なのだ。


「他の二人に同じ事が出来なかったのは本当に残念でした。でも、あなただけにでも……ねえ、何、笑ってるんです?」


 エメリィからダグラスとセイネルの事を聞いた瞬間、俺は優越感を覚えた。奴等は最期までエメリィには会えなかった。触れなかった。俺だけが辿り着いたのだ。

 だからだろう、俺は笑っているらしい。それはそうだ。死にかけているのにも関わらず、こんなにも嬉しいのだから。

 ああ、俺はまた、おかしくなっている。思考が狂ってしまっている。それを自覚しつつ、しかし心地良かった。


「ふざけるなッ! なんで笑って死のうとしてるんですか! 何を綺麗に死のうとしてるんですか! 皆、皆、楽に死んで! 私はあんなに痛くて、熱くて、苦しくて、辛くて、それでも死ねなかったのに!」


 ――キレてんのは初めて見るけど、それもまた綺麗なモンだな。やっぱ最高だ、お前は。

 逆上したエメリィにそんな事を思う。いつまでも見ていたいのに、視界は霞んでいく。

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