第14話

 密林を抜けた先は、またもや迷路だった。まあ、他のダンジョンだってそうなのだが。

 ダンジョンとは、迷宮ラビリンスの別名を持つ事でも知られている。何故ならば、その道筋は迷路上になっている事が多く、罠もあれば魔物も居る。それは古代の民が造った封印建築物である迷宮ラビリンスと同じなのだ。違いがあるとすれば、迷宮には魔物の類いは無く、ゴーレムらしきものが守護している辺りか。いいや、魔物にもゴーレムと呼べるものは存在するので、やはり大して変わらないのだろう。

 そんな事は俺達の様な冒険者にはどうでもいい事なのだが、しかし変わり映えのしない迷路をただ進むというのは精神的に参るものだ。更に言えば今の所、最初の方とは違って罠の類いまで存在しない。宝の方は言わずもがな。

 初見殺しとも言える、あの小部屋と水路を見た後では、どうも味気ないものだった。目的を考えれば危険が無いというのは当然それで良いのだが、俺は退屈さを感じずには居られなかった。


「のわっ!?」

「うっ……!?」

「ぬおぉ!?」


 それは唐突に起こった。何も無い小部屋に足を踏み入れた俺達は、左手側の壁際まで吸い寄せられたのだ。咄嗟に壁の方を調べてみたが、何か仕掛けがあるような感じは無い。混乱している内に、今度は反対側の壁に吸い寄せられた。このままではダメージが嵩む一方だ。


「とにかく次の通路まで行こう。どうなるか分からんが、距離が短い分だけマシなはずだ。」


 セイネルの案に従って、俺達は何度も体を壁に打ち付けながら、しかし小部屋の先の通路に入り込んだ。そこでも左右の壁に吸い寄せられるのは違いなかったが、確かに距離が短いために、叩きつけられるほどではなかった。


「ううむ。ガンド、仕掛けの類いは有ったか?」

ーな。ぱっと見た感じ、ただの部屋だ、ありゃあ。」

「なら、間違い無いな。部屋自体が動いてんだ。この通路も動いてるってこたぁ、ここから先はしばらく左右に揺れっ放しだろうよ。」


 ダグラスの考えでは、あの部屋――と言うより、この辺り一帯が振り子の様に揺れ動いているとの事。つまり俺達は吸い寄せられていたのではなく、落ちていたのだ。地面を真横にまで傾けられたら、それは地面が壁となった事と等しく、同じく壁だったものは次の地面へと変わるのだ。

 しかし揺れ動いているにしては、やけに変化が急だ。普通であれば、床を滑り落ちるのが精々のはず。だが、俺達は落ちた。空中に放り出されたのだ。揺れていると言うよりも、一瞬で向きが切り替わっているかの様だ。

 だから何だと言われればそれまでだが、俺は酷く危機感を覚えている。この先に広がるエリアに、横幅の広い部屋があるとすれば。風の魔法が使える俺なら切り抜けられるだろうが、他の二人はどうだろうか。セイネルの防御魔法なら希望はあるが、それがどこまでダメージを抑えられるか。

 魔法と言うのは使い勝手は良いが、決して万能なわけではない。一点に集中するほどに強く、逆に分散するほどに効果は弱まる。

 落下によるダメージは馬鹿にならない。地との距離があるほどに、加速度的に大きくなるものだ。その上、鎧を着ていようが関係無い。全身を金属で守っていようとも、その衝撃は殺せない。

 要するに、セイネルの防御魔法で助かるのは一人だけ。俺も全員に魔法を掛けるのは厳しい。ダグラスは多少の回復魔法なら使えるが、防御魔法は使えない。一人ずつ反対側の通路まで渡っていくのが無難だ。

 思考を巡らせている内に、次の部屋の前まで着いた。顔だけ出して左右を確認するが、先は見えない。相当奥まで空間が広がっていると見て良いだろう。


「ちと覗いてくるわ。すぐ戻る。」

「頼む。」


 俺だけが部屋の中に入り、どれほどの広さがあるか、他にも仕掛けがあるのかを調べる。左右の幅はやはり先程の数倍は広くなっていて、対策を怠れば良くて即死、悪ければ生き残って苦しんでからもう一度死の自由落下が始まるだろう。

 他に罠は無さそうだが、この揺れを解除するための仕掛けも無さそうだ。これに関して言えば、不幸中の幸いだと思った方が良いだろう。両方の対処などやっていられない。いいや、出来ない訳ではないが、相当厳しい事になるのは想像に難くない。

 先の毒煙が出てきた小部屋でもそうだったが、俺は他の奴等に先んじて調査や索敵を行う事が多い。何故なら、俺の役割は斥候兼遊撃だからだ。

 探索や索敵において、基本的に俺が最前で行動する。パーティの中では身のこなしは素早い方であり、魔法の傾向もあって咄嗟の事態に対応し易いのだ。戦闘においては遊撃、所謂サブアタッカーと呼ぶべきポジションに居る。補助や防御の魔法も使えるために一見万能の様にも思えるだろうが、それは間違いだ。俺一人では、Aランク冒険者は到底名乗れない。

 攻撃面ではダグラスが担当し、防御面ではセイネルが担当する。そして、その隙間を埋める様な形で俺が居る。お互いが補い合う様に、俺達はパーティを組んでいる。誰か一人でも欠ければ、例えこのダンジョンを攻略出来たとしてもパーティは立ち行かなくなる。それだけは避けなくてはならない。

 ――俺達はこの三年間、の事を忘れられずに生きてきた。直接聞いたわけではないが、ダグラスもセイネルも、様子を見れば明らかだ。二人から見れば、俺もそうなのだと言うのはきっとバレているだろう。

 だが、アイツにもう一度会う前に死んでしまっては元も子も無い。俺達はアイツに会う為に、アイツを連れ戻す為だけに、Aランク冒険者を目指したのだから。たかが伯爵程度の権力なんて跳ね除けられるくらいの力が必要だったのだから。

 だから、こんな所で躓いているわけにはいかない。新規のダンジョンだからと言って侮っていたのは認めよう。だが、それもここまでだ。俺達は絶対に、三人揃って突破する。

 この件が終わったら、二人に提案してみるのも良いかもしれない。完全攻略の功績と財を持って、アイツを取り返す。きっと、頷いてくれるはずだ。



 エメリィは本物の天使だ。奴を穢した時、俺はそう思った。

 生まれは違えど、俺とガンド、セイネルはド田舎の農民の子として産まれた。だが、畑を継げるのは長男だけだ。俺達は皆、兄弟の中では下の方だった。だからこそ、今の俺達が在る。

 親兄弟を含めて、村の連中はどいつもこいつも冒険心も向上心も無い奴ばかりだった。畑仕事をしていれば生きていられるのだから、それで良いのだと。身の丈に合った生き方をしていれば良いのだと。奴等は皆生きてなどいない、死んでいないだけだ。

 俺達は生きていた。冒険者という一縷の希望を辿って、必死に生き抜いてきたのだ。泥水を啜る様な生活を経て、生死の境を彷徨う様な戦いを経て、生き延びてきたのだ。だから、あの時の俺達はBランクにまで登り詰めた。

 そして、俺達は死んだ。エメリィを穢した時――いいや。出会った時に、既に死んでいたのかもしれない。

 最初はそんな気は微塵も無かったはずなのに、しかし奴を穢すのは簡単だった。エメリィは無知で、無力で、愚鈍で、素直だった。人と世の穢れを知っている癖に、それに染まらない無垢な清純さを俺は尊いものだと思ったのだ。

 だから、穢した。澄んだ水溜まりに沈んだ泥を掻き混ぜる様な、真っ白い服にどす黒い血をぶち撒ける様な、下卑た快感。美しい命を穢す。それはきっと俺の生まれ持った性質であり、変えられないものであると気付いた。

 あれはもう、三年程前になるだろうか。俺達はエメリィを失った。セイネルは寄ってくる女を片っ端から喰い始め、ガンドは見目の良い男を漁り始めた。そんな事をしても、意味は無いというのに。エメリィの代わりになる人間など居ないというのに。

 だから俺は穢し続ける。天使をかたどった像にエメリィの虚像を重ねて、ひたすらに俺の色で塗り潰すのだ。

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