第12話
「それで、君がダンジョンに入ったのは間違い無いんだね?」
昼下がりの教会内は厳かで静謐な雰囲気で満ちていた。目の前の男を、それに似合わない人だと感じた。
「そうらしいです。」
「らしい、とは?」
「聞いていませんか? わたくし、ここに来るより前の事を思い出せないんです。」
右目を通る様に出来た大きな傷と眼帯が特徴的な、如何にも無骨で野蛮だと言わんばかりな風体の男は、妙に優し気と言うか、紳士的な口調でわたくしと話すのだ。わたくしが記憶を失っている事を伝えると、眉根を寄せて悲し気な顔をする。そういう似合っていない仕草が何だかおかしくて、ついつい口元が緩んでしまう。本来の父は思い出せないけれど、こんな人が父だったら良いなと思う。
「……成る程。失礼したね、シスター・ナイア。記憶喪失とは伺っていなかったんだ。」
「いいえ、お気になさらないでください。むしろ、思い出せなくて申し訳ないです。」
「ううむ。いや、君こそ気にしないで欲しい。無理に思い出さなくても良いさ。それにしても、ナイア殿はまだ若いのにしっかりしているね。」
わたくしは若いと言うよりも幼い。歳はまだ十一だそうだ。それでも言葉を選んでくれている辺り、わたくしを対等の話し相手として見てくれている様に感じて、嬉しく思う。
「えっへへ。ありがとうございます。……わたくし、実は心配だったんです。」
「それは、どうして?」
「エリック様が荒くれ者の長だと聞いて。でも、とっても良い方で良かったです。」
エリック様は再び眉根を寄せる。今度は怒りとも呆れとも呼べる様なものだった。きっと、その感情はわたくしにではなく、エリック様の事を教えてくださった司祭様に向いているのだろう。わたくしも、司祭様にはほんの少しだけ怒っている。後でエリック様は悪い人ではないと教えてあげよう。
それから、エリック様と他愛も無い話を交わして(わたくしにとって、とても楽しい時間だったのは語るべくもない。)、そろそろ面会の時間が終わる頃合で、彼は席を立とうとした。
「――エリック様!」
唐突に、情景が浮かぶ。彼の表情は酷く青褪めていて、その身は震えている様にも見える。とても屈強そうな男が、まるで追い詰められた子供の様に。その対面には、一人の少女が佇んでいる。歳は私と同じか、少し年上だろうか。恐ろしく美しい、どこか作り物めいた感じのする人だ。
数瞬の内に何事も無く消え失せ、わたくしの視界は現実に戻ってきていた。今のは何かの啓示か。不吉の前兆だろうか。
「どうしたんだい?」
「……いいえ。お気を付けて、お帰りくださいね。」
「ああ、ありがとう。またね、シスター・ナイア。」
結局その事は話さずに、わたくしはエリック様を見送った。わたくしが見たのは単なる白昼夢だ。こんな荒唐無稽な話をしても信じてもらえるわけがない。
そんな言い訳を心の内で呟いて。でも、本当は。あの時の様に、わたくしを信じてほしくなかったのだ。そうでなければ、あたしはまた――また、何だっただろう。
圧迫される様な痛みを頭に感じながら、わたくしは祈りを捧げる為に聖堂へと赴くのだった。
◇
休息も補給も必要無いというのは思っていた以上に凄いものだった。ラピッドラット達は二日も掛からずに街へ到着したのだ。
視界に人々の雑踏が映る。懐かしいものだ。もう、あの中に入る事はないのだろうけれど。
街の名はフェンダーレン。どうやらこの辺りは王国の中でもかなり北側にあるらしく、辺境とも呼ぶべき場所のようだ。成る程、王都に比べれば人波は少なく感じる。全く、あの男は随分と遠くまで私を捨てに行かせたものだ。
さて、まずは冒険者ギルドに向かわせよう。影から影へ渡り歩かせる。出来る限り人間に見付からないように。普通の人間には見付かった所でただの鼠としか思われないだろうけど、流石に冒険者には魔物だと見破られそうだ。街に残っているのはそれなり以上の実力を持った腕利きだろうし、気を付けて損は無い。
屋根伝いに窓から侵入を試みる。何とも不用心な事に、窓は開いているし誰も居ない。今ならきっと下手な泥棒だって入れるだろう。
どうやら侵入した部屋は執務室の様だ。部屋の左右には本棚が置かれていて、中央の大きな机の上には書類が山積みにされている。この机から調べてみよう。
直接調べるにはラットの小さな手では不便だ。一緒にシャドウを付けておいて良かった。影が形を持って起き上がると、器用に引き出しを開けていく。
目的の物を探しながら、あまり痕跡を残さない様に気を付ける。彼等に対して警告は行うつもりだが、一目で異常に気付かれても効果は薄いと思う。変化はほとんど無いはずなのに、いつの間にか不自然な物が一つだけあった方が、私は嫌だ。
引き出しを上の方から探していって、一番下の鍵が掛かった引き出しに影を突っ込ませて無理矢理錠を開ける。こういう時、不定形の体を持つ魔物は便利だ。
その中には、目当ての依頼状があった。ギルドの承認印と何者かの拇印が押されている、依頼を受諾した冒険者は既にこの街から出立しているようだ。ラピッドラットには街道より少し離れた場所を走らせていたが、私が見ていない内に馬車と擦れ違っていたのだろうか。
「へえ、私を殺せば十億コールか。……まさか、こんなに高値になるなんてね。昔はもっと安かったのに。」
最初の時の事は知らないが、自分で売っていた時は一晩五百だった。思えばあの頃が生きるのに一番苦労していたかもしれない。奴隷として売られる前は一応仲間も居たのだから。多分誰も生きてはいないだろうけれど。
しかし、ここまでの額ともなれば本気で私を殺しに来そうだ。Aランクの冒険者がどれだけ稼いでいるのかは分からないが、十億ともなれば莫大な金額だ。辺りにはギルド内の掲示板に貼られていたであろう依頼完了書も置いてあるが、これに比べれば端金と言える。
適当な討伐依頼を見ればゴブリンは一体三百コール。中堅と呼べるCランク向けに載っているフレイムリザード(炎を纏う蜥蜴の魔物。外であれば火山地帯付近に生息しているらしい。)なら一体四千コール。この程度の稼ぎでは十億コールなんて何年かかるか分からないし、続けている内に引退を迎えるだろう。
それが、新発生したダンジョンを潰すだけで一生遊んで暮らしても余るほどの金が手に入るのだ。これが年数を重ねたダンジョンならば最奥までの攻略難度は計り知れないため、手を出さないと思う。けれど、このダンジョンは発見されてからの時間を見れば、一般的に見て簡単なはずなのである。狙わない理由が無い。
「ほらね。来ちゃったよ。」
正に今、Aランク冒険者のパーティがダンジョンの入口付近に到着したのだ。見張り役の冒険者達といくらか話した後、こちらに入ってきた。全く、大して情報を得られないまま侵入されてしまった。まあ、パーティ名は書かれていたから驚かずに済んだけれど。僅かでも隙を見せれば命取りに成り得る、私に動揺は許されない。
彼等はシャハルマクの矢。私が荷物持ちをしていたパーティだ。まさか、Aランクになっているとは思わなかった。まさか、こんなに早く再会する日が来るだなんて。
「あなた達には絶対に死んでもらいますからね。」
私の頭の中では、最早危機であるという事実は問題ではなくなっていた。彼等がここに来てくれるのだ。私の腹の内に。背中がぞくぞくして、胸の奥がきゅうと締め付けられる。ああ、本当の殺意とはこれ程に甘く切ないものなのか。
私を愛してくれた彼等を、絶対に殺す。
さて。彼等が来てしまっては、こちらに集中しなければならない。先に雑事を済ませておこう。視点をギルドへ移し、シャドウを使って指名依頼状を裏返し、警告文を書かせる。あとはラットとシャドウを退避させて街に潜んでおいてもらおう。
これでギルドが更なる戦力を差し向けてくるのなら、私も街の人間を無差別に殺す。あの街を誰も住めない様にしてやる。どんな手段を使ってでも、私の平穏を勝ち取ってみせる。
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