第26話 来訪




 そろそろお昼になろうかという頃合い。そろそろシフトの交代時間が近づいてきていた。


 「先輩。やっぱり先輩はスズちゃんと回るんですか?」


 接客の合間を縫って白石さんが訊ねてきた。


 「まあ、そうだね。できれば友達と回ってくるように言ったんだけど、あちらもあちらで、クラスの出店のシフトの関係で時間が合わないみたいだから」

 「そうですか……。あの、できたらわたしも一緒に回っても良いですか?」


 やはり、という気持ちでアオイは白石さんを見た。アオイとて、流石にこうも露骨に話題を振られれば、何を言いたいのか大体予想はついていたのだ。


 「白石さんもクラスの友達はいただろう。そっちの方はいいのかい?」

 「いえ、今じゃスズちゃんの方が仲良しですから! それに、先輩とも……。ダメですか?」

 「ダメとは言わないけども……まあ、スズとも一緒ならいいか」


 鈴蘭とは従兄妹だから言い訳もできるが、家族でもない女の子と一緒に回るというのは変な噂になりかねないし、アオイとしても彼女ひなたに対しての幾ばくかの引け目を感じずにはいられない。

 それでも白石さんのことを嫌っているわけではないし、最近では鈴蘭にとっても白石さんは大切な友達になっているようだ。一緒に回らせてあげることにやぶさかではない。


 「……ん? というか、それなら白石さんとスズの二人で回ったらいいんじゃ?」

 「先輩、本気で言ってます? それ……」


 白石さんは呆れた顔でため息をついた。


 「わたしはスズちゃんと、そして先輩と一緒に回りたいんです。きっと、スズちゃんも同じだと思います。……いえ、スズちゃんとしてはホントは先輩と二人で回りたいのかもしれませんけど。抜け駆けはなし、ってことで」


 パチンとウィンク。茶化すように明るく言った白石さんだったが、アオイとしては複雑だ。



 口ぶりから察するに、白石さんは鈴蘭とのことを既に知っているのだろう。アオイが鈴蘭から告白されて、それを断ったことを。彼女からは今まで通りに従兄妹として接してほしいと言われたからそのようにしているのだが……ことは感情の問題なだけに、そう簡単に割り切れるものではないだろう。

 ある意味で、そんなアオイたちの関係に真正面から切り込むような彼女からのアプローチ。再会した時からそうだったが、鈴蘭とも仲良くなったとはいえ中々真似のできない豪胆さだ。彼女の気持ちをハッキリと聞いたわけではないが、ここまでまっすぐ来られると逃げることも難しい。


 「わかった。交代したら、スズに話してみよう。どうするかはその時決める。それでいいかい?」

 「はいっ!」


 さすがに、鈴蘭と何も相談せずに決められるほどアオイも無神経ではない。鈴蘭からの想いには応えられなかったけれど、彼女を一方的に傷つけるような真似はしたくない。鈴蘭があまりに悲しむようなそぶりを見せるようだったら断るつもりでいた。その点は白石さんも弁えているようで、納得して頷くとそれでも嬉しそうに仕事に戻っていった。

 白石さんと鈴蘭は、相変わらず息の合ったコンビネーションを見せている。奇妙な三角関係に巻き込まれたものだが、二人が本当に仲良さそうにしてくれていることだけが救いだった。





 そんな一幕もありつつ、気を取り直してアオイ自身もせっせと働く。今は展示スペースにて解説をしているところだった。


 「……この天球図は、今年起こるいろんな天体ショーのことが書き込まれています。近いものだと、11月の皆既月食なんかでしょうか。この天球図は毎年、天文部で作っているんですよ」

 「へぇ~、去年とか、一昨年もですか?」

 「ええ、もちろん。去年は小惑星探査機『よだか2』の地球への帰還もありましたからね。一昨年や去年のものにはバッチリそれも書いてましたよ」

 「そうなんですか。なんだかちょっと嬉しいね、めぐっちゃん!」

 「ふふ、そうですね。私もですけど、チヒロちゃんとしてはより思い入れが深いでしょうし」


 今もまた、同い年くらいと思しき女の子の二人組のお客を相手に解説をしていたら、お礼を言われたので廊下まで見送ったところだ。どこか別の高校の学生だろうか、ひとりの子は髪に若干のメッシュが入っていたのが印象に残った。




 「なかなか、凄いご盛況のようですね」


 今度は、ひとりの男性に声を掛けられた。


 「ちょうど、席が空いたところです。これから混み合う時間帯ですが、今ならすぐにご案内できますよ?」

 「ああいえ、お気になさらず……一人で来ているので、喫茶店を利用するのはちょっと気が引けますし」


 はははと柔和そうな苦笑いを見せる男性。歳はアオイの父親ともそう変わらないだろう。誰かの家族だろうか?


 「もしかして、ご家族の方がこちらに?」

 「あ、はい。白石と言います。娘がこの部活に入っていると聞いて……」

 「白石さんのお父さんでしたか。娘さんにはいつもお世話になっております」

 「いえいえ、こちらこそ……」

 「今ならちょうど中にいますよ。ご案内しましょうか」

 「ああ、大丈夫です。父親なんかに来られても気恥ずかしいだけでしょうし、足蹴あしげにでもされそうです。少し様子が見れただけでも十分ですので」


 そう言って白石さんのお父さんは窓からのぞく娘の姿を見て優しい顔を浮かべた。扉の小さな窓からは、魔女の三角帽の下で眩しい笑顔を振りまく白石さんの姿が見える。


 「あの姿……本当に妻に、学生時代のあの子の母親にそっくりです」


 しみじみと呟くお父さん。

 その表情を見て、この人もまた、奥さんを亡くしているのだということを思い出した。


 「そういえば偶然知ったのですが、奥様もこの学校の、この天文部のOGだったそうですね」


 お父さんは少しの間驚いて目を見開いていたが、やがて何かを心得たように再び優しい笑顔を見せると、アオイの言葉に改めて首肯した。


 「ええ。僕自身も含めてこの学校の卒業生です。残念ながら僕は天文部ではありませんでしたが」

 「そうでしたか。俺たちにとっても大先輩に当たる方だったんですね」

 「娘がこの学校に転入したいと言った時には、どんな風の吹き回しなのかと思ったのですが……改めてこうして見てみると、やはりここに来れて良かったのだと思います」


 白石さんのお父さんは、しばし物思いに耽るように教室や廊下や、この学校の様々なところを見渡しながら言った。




 「───あなた方のおかげで、娘は元気でやれているようです。どうかお礼を言わせてください」

 「そんな、大したことは。全ては彼女自身の行動の賜物ですから」


 深々と頭を下げるお父さんを、アオイは慌てて畏まらないでほしいと押し留める。


 「人生を変えるほどの出会いというのはあるものです。そんな“先輩”の話を、娘から聞いていましたから」

 「それ、は……」


 それは、何かしらの確信を持った言葉のように感じられた。


 「本当に、俺は何もしていませんよ。相模原にいた頃に一度会ったことがあっただけで」

 「いえ……それでも、いやそれこそが良かったのかもしれませんね。どうかこれからも、ここで仲良くしてやってください」

 「はあ……」


 再び頭を下げられて、アオイもお辞儀を返す。

 やけに畏まられているところが気になった。仮にも女の子の父親が、男であるアオイに対してこうもへりくだった態度で接してくるのも引っかかる。どうやら思っていたより複雑な事情もありそうだが、他人のプライベートにそう易々と踏み込んでいいものではない。




 「先輩! そろそろ交代の時間で……」


 どうしようかと悩んでいたところで、扉が開いて明るい声が聞こえてきた。

 声の主は、当の娘本人である白石さんだった。


 「……お父さん」

 「……やあ。元気そうだね」


 二人の間に微妙な空気が流れる。


 「一人で来たの?」

 「ああ、こずえさんはようの手が離せないから、僕だけで行ってこいってね。娘の晴れの舞台を見に行かなくてどうするんだって言われたよ」

 「そう……」


 一言一言に、間合いを測るようなおそるおそるといった印象を受ける。どうやら、親子ゆえの気恥ずかしさというだけではない何かがあるように感じられた。


 「先輩とは何を話してたの?」

 「別に、いつも君がお世話になってるからって、お礼を言っていただけだよ。良い先輩たちに恵まれたね」

 「それは……っ……」


 なんとも複雑そうな表情をしつつ頬を染める白石さん。気恥ずかしさがあるというのもまた間違いではないようだが、この親子の間にどんな溝が横たわっているのか、アオイには想像がつかなかった。




 「それは、“魔女”の衣装だね。こうして見るのも久しぶりだね……一瞬、樹里───お母さんと見違えたよ」


 お父さんがそう言った途端、


 「お母さんのことなんて、お父さんには関係ないでしょっ!!」


 白石さんが突然、感情を露わにして叫んだ。

 普段は見せない、内心がむき出しになったような白石さんの叫びに、アオイは勿論ちょうど交代のために戻ってきていたナナ先輩や紫苑も呆気に取られ、驚きを隠せなかった。




 「え、あ……っ……」


 すぐに我に返った白石さんは、肩身が狭そうに縮こまって俯いてしまった。


 「……佳実ちゃん。もう交代の時間。この衣装はもらうから、回ってきたら?」


 ナナ先輩が、白石さんのお父さんに軽く一礼してから白石さんを着替え用の控室の方へ引っ張っていく。

 こういう時に機敏に察し、固まった空気にも動じず動けるのはさすがナナ先輩だ。


 「帽子とローブ、ちょうだい」

 「でも、先輩にはサイズが……」

 「問題ない。しおしおに着せるから」

 「なんでですか! 僕が着てたりなんかしたら、絶対変な目で見られますよ!?」

 「大丈夫。バッチリ需要はあるから」


 紫苑に対してナナ先輩がグッと親指を立てる。紫苑は顔立ちも整っているので、こういうのも着こなしてしまいそうだから、先輩の見立ても決して的外れなものではないはずだ。


 「……っ……その……」

 「ん。預かった」


 白石さんは羽織っていたローブと帽子を脱いでナナ先輩に預けると、躊躇いつつも隠れるようにしてそそくさと教室を去っていった。


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