第25話 空に繋がる喫茶店




 「……どうしてこうなった」


 アオイは思わずそう呟いた。

 待ちに待った文化祭当日。アオイたちも十分に準備を整えたつもりだったのだが、蓋を開けてみると想定を軽く超えるほどの盛況ぶり。教室内に8つ用意されたテーブルは常に満席で、急遽スペースを詰めて4席を追加してもまだ足りない。終始そんな調子なものだから、スタッフこと天文部員たちはてんてこ舞いの忙しさだった。


 「うちの学校、ちょっとばかり有名になったからね。例年に比べて来場者も多いみたい。入学説明会の参加者も、今までと比べても二倍はいたって話だよ?」


 アオイの呟きに対して、顧問の菜夏先生が答えた。曰く、元々地域の有名進学校ではあったこの学校だが、今年になってからはさらに注目を集めるようになったらしい。

 ちなみにその理由と言うのが、ちょっとした“有名人”を輩出したから、というものである。




 「九条先生、宇宙飛行士になっちゃうなんてねえ」


 菜夏先生が、先任の顧問に対して尊敬を込めたため息をついた。

 昨年度までの天文部の顧問だった九条くじょうたけし先生。彼は昨年末に日本の宇宙飛行士の選抜試験に参加し、見事に宇宙飛行士の座を勝ち取った。

 国際宇宙ステーションISSに乗り込む宇宙飛行士。誰もが毎日のように見上げる空の向こう───宇宙に行ってみたいと思う人はやはり多いらしく、多くても数名しか選ばれない宇宙飛行士の募集には、1000人以上の応募があったという。世界でも未だ限られた数の人間しか到達したことのない宇宙あの場所に挑むミッションは、国家の威信を懸けたプロジェクトだ。それだけに、最終選抜に残った11人のメンバーは指揮官クラスの自衛官に医師、航空機パイロットなど、錚々たる肩書を持った顔ぶれだった。

 その中で、高校教師というある種の“身近な”職業の人間が宇宙飛行士の座を得た。このことは世間的にも中々のインパクトがあったようで、一時期はテレビや雑誌などでは盛んに特集が組まれていた。


 「小さい頃からの夢だったみたいですから。教わっていた俺たちとしても鼻が高いですけど……」


 だがアオイにとっては九条先生は恩師であり、入学前から世話になってきた“兄貴分”でもある。アオイを前に進めてくれた恩人でもあり、色々と規格外の能力を近くで見続けてきたことから、試験に合格し宇宙飛行士に選ばれたことには誇らしさこそあれ、意外だとは思わなかった。

 それゆえに、「宇宙飛行士を輩出した学校」というネームバリューがもたらす影響がここまで大きいとは、予想ができなかったのだ。退職してなお学校と教え子たちに良い影響を与える教師の鑑ではあるが、今現在教え子たちを苦しめているこの鬼のような忙しさの元凶とも言える。




 「佳実ちゃん、コーヒーとパンケーキの用意できた!」

 「りょうかいっ、2番テーブルさんの分だね!」


 一方、店内では例の魔女装束に身を包んだ後輩ふたりが、実に息の合ったコンビネーションで注文を捌いていた。


 「〜〜♪」

 「ご機嫌だね、スズ」

 「文化祭のための予算を使って、堂々とお菓子作りし放題! これを喜ばずにいられますかって」


 手際よくコーヒーを淹れ、カセットコンロでパンケーキを焼く鈴蘭。彼女は車椅子ゆえにどうしてもキッチンに立てないため、普段はなかなか料理をする機会がない。しかし悲しいかな、できないとなると却ってやりたくなるものなのか、料理に対しての意欲は並ならぬものがあるのがこの鈴蘭である。普段は泣く泣く料理をするのを諦めているのかと言えばさにあらず、オーブンやカセットコンロやキャンプ用のバーナーなどを駆使してのお菓子作りに励んでいるのだ。自力ではどうしても使えない水回りの使用頻度を最小限に抑え、「ひとりでできる」料理としてアオイがふと提案したものだが、今ではすっかり鈴蘭の休日の趣味のひとつになっている。

 とはいえお菓子とは一日にひとつも頂ければ充分なもの。案外心ゆくまでお菓子作りができることは少ないらしい。そんな日々の鬱憤を晴らすが如く、鈴蘭はこの機会を逃すなとばかりに張り切ってアイスを盛り、先日の休みに作りまくったシュガークッキーをお皿に並べ、パンケーキを焼きまくる。身を包む魔女装束と相まって、さながら魔法の薬か何かを調合しているように見えなくもない。




 「はーい、パンケーキセットをおふたつですね。お待たせいたしました! ええと次は……」


 そんな次から次へと出来上がるパンケーキにコーヒーを、テキパキと配達して回るのが白石さんだ。さすが着慣れているだけに、よく見てみると動きにくそうな魔女の衣装をものともせず、狭い店内をチョコマカと機敏に動き回る。しかし給仕自体に慣れているわけではないためか、注文を間違えそうになったり、危ういところは所々あった。あたふたと慌てながら、頑張って仕事をこなす姿は可愛らしい。

 ふたりの魔女姿は客にも好評のようで、その評判がさらに人を呼び、お客のおかわりが追加されるという循環。こういうのを嬉しい悲鳴と呼ぶのだろうが、そもそもこれは本来利益を上げることを目的とした飲食店ではないのだ。つい、天文部とは何なのか? という存在意義にすら、ふと疑問を抱いてしまうほど。




 「それにしてもこの大盛況ぶり。わたしも、お店の命名者として鼻が高いよ」


 しみじみと言う菜夏先生。今回のこの喫茶店。店名を考えるにあたっても色々と案が出されたのだが、ある時ふと先生の口にした名前が皆の琴線に触れ、採用された。その名前は───


 「『空に繋がる喫茶店』。なかなか天文部らしい店名ですね」

 「ふふふ、わたしもそのまま採用されるなんて思わなかったけど」

 「いえ。この天文部を端的に言い表した良いネーミングだと思います」


 実際、この部からはこれまでにも宇宙に携わる人材を何人も輩出しているわけで、「空に繋がる」というのも決して間違ってはいない。これからもきっと、アキオ先輩や紫苑のように、宇宙に関わる者たちがどんどん生まれ、巣立っていくのだろう。

 俺はこの先、一体どうしたいのだろう……

 アオイはついそんなことを考え込まずにはいられなかった。



 ひなたとの思い出を胸に秘め、あの子がしたくてもできなかったことを代わりにする。それだけがアオイを今も動かし、生かし続けている“理由”。

 かといって、宇宙飛行士になるという彼女の夢までも、彼女の代わりに叶えようなどとは思えなかった。なぜなら、そのためにはたゆまぬ努力と、何よりも決して折れることのない自らの意志が必要なのだと、実例をもって知っているからだ。それは、“誰かのために”などという理由で軽々しく目指して良いものではないのだ。

 この天文部でそれぞれに未来を見据えて進む面々を見ていると、どうしてもアオイは自分の姿が、ひなたの死を目の前にして何もできなかったあの頃のまま何も変わっていないように見えて、大切な“居場所”である天文部ここにさえ、何とも言えない居心地の悪さを感じずにはいられないのだ。




 「ちょっと、先輩! こんな忙しいっていうのに、なにボ~ッとしてるんですか!」

 「そうだよ、アオ。キビキビ動いて」


 呆けているアオイに、後輩ふたりからの叱咤が飛んだ。

 

 「……はいはい。先輩づかいの荒い後輩たちだこと」


 いつの間にこんなに仲良く、息ピッタリになったのだろうか。

 2乗して手強くなった後輩コンビに苦笑しつつ、今は悩んでいる場合ではなかったと、アオイは気を取り直して店に集中することにした。


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