第23話 あなたの幸せを
果てしない疲労を感じながら、アオイは天文部の部室へと向かっていた。
「二度目だったとしても、やっぱり気が重いことには変わりないな……」
今月の頭に同級生の子からの告白を受けてから、もう3週間近く。告白を断るということは、何度目であろうと心の負担が大きいものである。
「……でも、これくらいでちょうど良いんだろう。」
アオイは複雑な心境をぐっと心にしまい込む。
先ほど、文化祭の打ち合わせのミーティングの後に、その子から再び呼び出されたアオイ。要件はというと、やはり想像通りのものだった。
「三柳くん。……やっぱり、気持ちは変わらない、かな……?」
僅かな淡い期待を秘めながら、おずおずと彼女が訊ねてくる。
「うん。……ごめん。やっぱり俺は、杉下さんの気持ちには応えられない。」
アオイは苦い気持ちを噛み殺しながら、しっかりと彼女の目を見据えて言った。
この子とはあれ以来話していないし、見かけた時も気まずくて顔を合わせないようにしていたから、気持ちが変わるも何も無いのだが……。
だが、アオイには幸運なことに告白が失敗した経験というものが無いので、その後に断られた人が何を思い、どうするのかということは想像することしかできない。本当に好きな相手だったならば、可能性がある限りはもう一度チャレンジしてみようとする、その気持ちは理解できた。
だったら、アオイが今すべきことはひとつ。
「俺は、他に好きな人がいるから。だから、杉下さんとは付き合えない。君が良い子なのはよく知っているけど……それでも。」
「……そう、だよね。」
彼女は目を伏せて、しっかりと受け止めるように頷いた。
「わかった。……ありがとう、ちゃんと断ってくれて。」
目に涙を浮かべながらも、彼女は満足そうに笑ってみせる。きれいな顔だ。アオイは純粋にそう思った。
「去年、クラス委員に選ばれたとき、嫌だなって思ってた。みんなやりたがらなくて、いつも図書室で本を読んでる私が『真面目そうだから』ってだけで選ばれて。でも、最初のクラス委員の集まりのとき、あなたが声を掛けてくれた。私、こんな引っ込み思案な性格だから友達もいなかったし、浮いてる気がしてたんだけど……そんな私に三柳くんは『こういうのは苦手だよね、一緒だ』って言ってくれて。」
「……ああ、そうだったっけ。」
アオイは、決して社交的な人間ではない。かといって、初対面の相手に対して愛想笑いのひとつもできないほど内気でもない。周りに流されてクラス委員にさせられ、気が進まないながらも他人の目に怯えながら役目を果たす彼女に、ある種の親近感を覚えた。そういう時、アオイは時に空気が読めないときがあることを自覚していた。
「三柳くんは他の人ともしっかりお話しできてるし、そういうのとは無縁な人かと思ってたけど……『苦手だ、一緒だ』って言ってもらえて、すごく気が楽になった。三柳くんみたいな人でも、実は人と話すのは得意じゃない人もいるんだって。なんだか肩の力が抜けたみたいだった。それからは少しずつクラスでも気軽に話せる友達ができて……今も、みんなで頑張ってる文化祭の準備がすっごく楽しい。ぜんぶ、三柳くんのおかげなんだ。」
「買い被りすぎだよ。それは杉下さんの頑張りの結果で、俺は本当に大したことはしてない。」
「うん、分かってる。三柳くんにとってはきっと特別じゃない、普通のことだったんだって。でも私にとっては絶対に忘れられない出来事だったから。だからひと言、お礼を言いたかった。ありがとう。私に声を掛けてくれて。私に手を差し伸べてくれて。三柳くんのおかげで、私はいま幸せだよ。」
「……っ……そうか。よかったよ、そう言ってもらえて。」
「あのとき三柳くん、学校を辞めるかもって言ってたから……。辞めないでいてくれてよかった。」
「あれは……血迷ってた。あんなことを言ってしまうなんてさ。辞めるつもりはもう無いよ。」
彼女としても困ったことだろう。学校を辞めるとまで言われては、食い下がるわけにもいかない。アオイとてあえてそれを狙った部分はあったにせよ、優しいこの子のことだ、必要以上に自分を責めていたのかもしれない。自分のせいで、アオイが学校を辞めてしまうのではないかと。
「ホントだよ。本気で心配したんだから。藤花先生にも相談して……あ。」
「気にしてた割に、菜夏先生が何も詳しく聞かなかったのはそのせいか……」
アオイの知らないところで、多くの人を振り回していた。それでもこうして笑って許してくれているのだ。自分がいかに恵まれているかということを、アオイは改めて思い知る。
「ごめん、心配をかけて。」
「ううん……。……でも、それなら……最後にひとつだけお願いを、いい……?」
「……なんだろう?」
「えっと……」
一歩前に出て、目を閉じる目の前の少女。その意味するところは……
「……」
一瞬迷ったが、やがてアオイは彼女をゆっくりと抱きしめて、顔を近づけた。
「──────」
唇が触れ合ったのは、ほんの少しの間だけ。彼女は、その瞬間を反芻するようにしばらく身体を離さなかった。
「……ありがとう、三柳くん。素敵な初恋を、ありがとう。私を幸せにしてくれて、ありがとう。……大好きでしたっ!」
今にも崩れそうな満面の笑みを湛えて、彼女は踵を返して走り去る。笑顔の中に涙がきらめいているのを、アオイは見逃さなかった。
本当に優しく、強い子だった。あんな優しい子を泣かせてしまうなんて。心苦しくはあるが、それでも「幸せ」だと言われたことに感慨を覚えずにはいられない。その言葉が出てきたことに、アオイは運命のようなものを感じずにはいられなかった。
俺は、彼女を幸せにできたんだろうか。ひなた、大切な“
遠いところにいる“魔女”に心で問いかけながら、アオイは走り去った少女の幸せを祈った。
「あ、先輩! 来た!」
部室に入った途端、真っ先に白石さんが声を上げた。
「遅くなりました───って、それは……」
目に飛び込んできた光景を見て、アオイは言葉を失った。何に驚いたかといえば、白石さんと鈴蘭の二人の姿が明らかに朝とは違ったことだろう。
「その恰好は……やっぱり、“魔女”?」
「えへへ、そうです! 可愛いでしょう?」
黒い三角帽子に、魔法使い然としたローブ風のコート。これぞ魔女といった、いかにもな装い。制服の上に着込んだだけなのに、その姿はどう見ても“魔女”だという説得力がある。先に来ていたアキオ先輩や紫苑なども、ほうと感心した様子を見せていた。
「ほらほら、スズちゃん!」
「えっと……」
白石さんは鈴蘭の側にかがんでピースサインを決める。一方の鈴蘭は恥ずかしそうに目を泳がせながらあたふたしていた。
「今朝言ってた見せたいものってのは、それのことだったんだね。」
「そうです! どうせなら魔女のコスプレでも、って話になってましたから。せっかくなら本物がいいと思って、おばあちゃんの家から送ってもらったんです。」
「本物って……本物の魔女の衣装ってこと!?」
「はい。イギリスにいた頃から、こういうのはたまに着てたみたいです。大体はハロウィンのときが多かったみたいですけど。」
さすが本場だけに、その衣装は本格的ながらも動きを邪魔しない実用的なものだった。黄色いリボンや星をあしらった刺繍などは、オリジナルのアレンジだろうか?
「こっちがおばあちゃんが仕立ててくれたもので、スズちゃんのはお母さんのために作ったものだそうです。ナナ先輩は背が高いし、やっぱりおばあちゃんのが良いかなぁ……。おばあちゃん、昔は背が高かったらしいですから。」
「佳実ちゃんのお母さんの……その、良いの?」
「うん! 今はハロウィンのときにしか着ないし、せっかくなら有効活用しないとだもん。スズちゃんに着てもらえたら嬉しい。可愛いし!」
遠慮がちな鈴蘭に対し、白石さんが太鼓判を押す。
「ね。可愛いですよね、先輩!」
「おー、かわいいかわいい。スズは素材が素材だけに基本何を着ても着こなすけど、こういうのは新鮮だね。」
「ちょっと、アオっ……!」
先ほど告白を断ってきたというストレスの反動もあって、アオイにしては珍しく鈴蘭に顔を近づけてグイグイ褒めていく。鈴蘭は焦りぎみだ。
「先輩先輩、わたしは?」
「ん? 白石さんは、さすがの着こなしというか。似合ってるよ。」
「えへへ……嬉しいです。気に入ってもらえて。」
一方、白石さんに対しては未だに距離感も微妙なだけに、あえて褒めちぎるような度胸はない。彼女もそれは分かっているのか、「まあこんなものだよね」といった風に苦笑しつつも、アオイや鈴蘭の様子を見て嬉しそうな顔をしていた。
そんな彼女の優しい表情を見て、思う。きっとあの子に綺麗な初恋をあげられたのなら、本当に幸せだと心から思ってくれているのだとしたら。それは、アオイがこんなにも恵まれているからなのだろうと。
アオイはかつて聞いた、“
「あ、そうそう。先輩も着てみますか? おばあちゃんのなら先輩でも着れるくらいの大きさですし!」
「ええっ!? さすがにこれ着るのは女性陣だけで良いんじゃないか……?」
「そんなことないですよ? “魔女”ってそもそも日本語に訳すときに『女』って漢字が付いただけですから、男の人の魔女だっていますし。」
そう言って白石さんはもう一着の魔女装束を取り出し始めていた。
「ここは素直に従った方が良さそうだぞ、アオ。」
「そうですよ先輩。可愛い後輩の頼みなんですから。」
アキオ先輩と紫苑が、ここぞとばかりに逃げ道を塞いでくる。
そうして半ば無理やりコートを羽織り、三角帽を被らされたアオイ。
「……ぷっ。に、似合ってますよ。」
「笑いながら言うなっ!」
噴き出す紫苑を見て、つい帽子を投げ捨てたくなる。が、これも白石さんが大切に受け継いでいる品だ。とてもじゃないが粗末には扱えない。
「……これはこれでアリですね……。」
「うん。アオ、これで喫茶店の店員として出てみない?」
「それだけはやめてくれえ……」
よりにもよって、文化祭の出店で衆目に晒されるなどもっての外だ。全っ力で反対しつつも、アオイは皆で楽しい文化祭期間を過ごせていることに感謝していた。
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