第22話 告白




 わたしが先輩と再会したのは、9月5日の放課後のことだった。

 転校して1週間が経ち、学校にも何とか慣れ始めてきた頃。多くのクラブに勧誘されて、活動の見学に連れ回されていたわたしは、突然途中で急用ができたと言ってあの人たちを振り切って、校舎の裏手にある裏庭へと走り出した。そこに、わたしの探し続けていた人を見つけたからだ。しかし、その裏庭の手前まで来て、わたしは足を止めてしまった。

 人気ひとけのない放課後の裏庭に、先輩がいた理由。それは、先輩と向かい合うもう一人の人影を見たらすぐに分かった。


 「───三柳くん……好きです。付き合ってください!」


 その子の、意を決した一世一代の叫びを聞いて、わたしの足はそれ以上進めなくなった。

 滅多に人の来ない放課後の裏庭。告白スポットとしてはまさに絶好の立地だろう。目に飛び込んできたのは、呼び出しを受けたであろう先輩が告白される瞬間だった。

 先輩はどう返事するんだろう。やっぱり、断るのかな。それとも、付き合うのかな。あれから2年……「あの人」のことがあったとはいえ、あれから時間も経ったのだ。お父さんみたいに……新しく大切な人が出来たって、不思議じゃない。


 「……っ……!」


 思わず、唇を噛んでいた。

 もう少し早く見つけられてたら。この学校に来るのがもっと早かったら。あの日、先輩の後を追っていたら。いろいろな思いが去来する。


 「……ごめん。」


 咄嗟に物陰に隠れたわたしからは、先輩の顔は見えなかった。だが、苦渋に満ちた表情をしていたのは間違いないだろう。先輩は他に好きな人がいるからと言って断った。先輩は、悲しそうに涙を浮かべる相手の子を見て、心を痛めない人ではない。

 どうやら相手の女の子は先輩と同級生で、去年は別々のクラスでクラス委員をしていた縁で知り合ったらしい。断られたからといってすぐには諦められない様子で、涙を堪えながらその好きな人とは誰か、なぜ私ではダメなのかと、しばらく食い下がっていた。先輩も、「あの人」のことを言い出すことはしたくなかったのだろう。それらの問いには一切答えず、ただこう言い捨てた。


 「俺は、あの子の他に、誰かと恋人になりたいとは思わない。それに……この学校を辞めるかもしれないしな。」




 その言葉を聞いた時、言いようのない胸の痛みを感じた。わたしはそれまで、先輩は「あの人」の死を乗り越えて、前を向いてしっかり歩いているのだとばかり思っていたから。

 三柳みやなぎアオイ先輩。わたしに、温かさを思い出させてくれた人。亡くした人の思い出を胸に、まっすぐ前を見て微笑みながら先に進もうとしているその姿に、わたしは心から勇気づけられた。あんな風に生きたいという目標であり、常にわたしの行く先を照らしてくれる灯台のような存在。だからこそ、わたしはあの日から心の中で、彼のことを“先輩”と呼ぶようになった。

 そんな先輩が、吐き出すように言った「学校を辞める」という言葉。それを聞いた途端、先輩と出会ったあの日のわたし自身の姿が、今の先輩に重なって見えた気がしたのだ。なぜなら、わたし自身もそれを考えたことがあったから。

 お母さんがいなくなって、「現在いま」に興味を持てなくなった。そして、お父さんが再婚して、家族すら信じられなくなったとき。わたしはこの世にひとりぼっちで取り残されたような心地がした。面倒くさい友達付き合いとかが嫌になって、一人でいることが多くなった。それでも、この髪の色のこともあり、元々自分で思っていたよりもわたしは目立つ存在だったらしい。急に冷たくなったと思われたんだろう、それまで仲が良いと思っていた友達グループの子たちから嫌がらせをされるようになって、一人でいる時間はさらに増えていく。そうして、気が付けば学校や家にすら、居場所が無くなっていた。

 そんなわたしを救い出してくれた先輩。どこにも居場所が無くて、ひとりぼっちだったあの頃のわたしに、ひとりじゃないと教えてくれたあの先輩が……幸せに生きるんだと、わたしの隣であたたかく言ったあの人が。あの頃のわたしのように暗く沈んだ表情をしているのが、耐えられなくて……



 告白を拒まれ、走り去っていった相手の人を振り返りもせず、先輩は沈みゆく夕日を眺めていた。張りつめたその背中から感じる痛々しい空気と、触れてはいけないような刺々しさと。それ以上に、やっぱり会えて嬉しい、そんな気持ちを胸に、わたしは先輩に声を掛けた。


 「お久しぶりです、先輩───」









 「そんなことがあったんだ……」


 わたしは、先輩と再会した日のことを一通り話した。スズちゃんはじっと目を伏せて、わたしの言葉に耳を傾けていた。


 「先輩って、友達付き合いとかで悩んでる感じはしないし。やっぱり、気を遣ってたのかな……その、告白してくれた相手に。」

 「うん、そうだと思う。……というか佳実ちゃん、中学のとき大変だったんだね。仲の良かった友達に嫌がらせされたって……」

 「あはは、うん……。でも、冬休み前だったし。冬休みまでの間は学校を休んでおばあちゃんの家に行ってたし、3年になってからは受験もあってそれどころじゃない空気になってたから、あんまり深刻なことにはならなかったけどね。それに……先輩と出会えたから。」


 あの日のことを思い出すと、今でも胸があたたかくなる。わたしにとっては一生忘れることのない、大切な思い出だ。


 「そっか。やっぱり佳実ちゃんは特別なんだなぁ。わたしだったら、アオを引き留めることはできなかったから。……ちょっと、羨ましくなっちゃった。アオの隣にいられるのは、佳実ちゃんだけなんだなって。」

 「そんなこと───」


 とっさに否定しようとして、言葉を飲み込む。恋愛云々は置いておくとしても、先輩の“特別”になりたいと思っているのは事実。そしてそれは、スズちゃんにとってみれば先輩を奪い取られてしまうことに他ならないのだ。


 「わたしは、それでいいの。アオがつらそうにしているのが、アオがわたしのことで苦しんでいるのが、わたしには耐えられないから……」

 「スズちゃん……」


 スズちゃんの目は、それが確かに本心からの言葉であることを証明するかのように、悲しそうでありながらも優しい色をしていた。先輩と同じ目だ。わたしはふと、心の中でそう呟いた。誰かを想い、その人の幸せのために尽くすことのできる、そんな心の内が垣間見える瞳。その目を見て、わたしは……






 「おー、来てたか。待たせたな。」

 「遅くなりました……って、まだ二人だけだったのか。」


 ふと部室に新しい人影が現れる。


 「アキオ先輩に、四宮くん。」

 「クラスの出し物の話し合いが長くなって……他の先輩たちは?」

 「ナナ先輩は塾があるって言ってた。アオは、アキオ先輩と一緒だって言ってたけど……」

 「ああ、アオならさっきまで打ち合わせで一緒にいたんだが、ちょっとな……。そのうち来るとは思うんだが。」

 「?」

 「ああいや、知り合いと話してたから俺だけ先に戻ってきたんだ。」


 なんとなく歯切れの悪いアキオ先輩の答えに、わたしの勘が囁いたような気がした。


 「それって、先輩と同じ2年生のクラス委員の人ですか?」

 「ああたしかに、アオも去年はクラス委員だったしな。それでか……。……いや、大した用じゃ無いと思う、ぞ?」

 「なんで疑問形なんですか……」


 アキオ先輩は隠し事が苦手みたいだった。

 あの人がアオイ先輩に用がある、となると……


 「アオ……大丈夫かな……」


 スズちゃんも何かを察したようで、落ち着かない様子を見せる。わたしとしても、先輩があの人とどんな話をしているのかと考えるとそわそわしてしまう。どんな話をしているにせよ、先輩はきっと居心地の悪い思いをしているはずで……


 「……そうだ、スズちゃん! ちょっと着てみてほしいものがあるんだけど……」


 そう言ってわたしは例のカバンを持ち出した。そうだ、すっかり忘れていたけれど、今日はこれをお披露目するつもりだったんだ!


 「え、え? 佳実ちゃん……?」


 戸惑った顔をするスズちゃんを横目に、わたしはを取り出してみせた。


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