第21話 佳実と鈴蘭




 「───好きだったんだ、アオのこと。」


 その一言に、しばらくのあいだ空気が止まった。


 「……そっか。」


 わたしは、止まった時間を押し進めるように、肺の中の空気を吐き出すように深く息を吐いてから言った。

 なんとなくだけれど、「もしかしたらそうなんじゃないか」という予感はあった。先輩と通じ合っているスズちゃんには正直羨ましいという気持ちが無かったわけじゃない。家族だからこその距離感。でもそれ以上のものがあるんじゃないかと、ついつい邪推してしまうこともあった。

 先輩とスズちゃんは間違いなく仲の良い従兄妹同士だけど、スズちゃんが先輩に向ける目は単に家族としてのものだけではないことを、それとなく肌で感じていた。考えてみると先輩のスズちゃんへの態度にも、わたしへのものと似た遠慮が感じられるような気がする。同居しているとはいえ、実の兄妹ではない異性の家族に対する配慮かとも思っていたのだけれど……


 「アオがうちに一緒に住むようになったのって、ちょうどわたしが事故で歩けなくなった、すぐ後だったんだ。3年、いや2年半前かな。なんだか妙にタイミングが良いんだよね、アオって。」

 「それは……そうかも。」

 「学校への送り迎えとか、日常生活の手伝いとか……アオが一緒に住んで助けてくれてなかったら、わたしはずっと部屋に引きこもってたかもしれない。」


 わたしが先輩と出会ったあの雨の日。あの時あの場所で、わたしが先輩と出会えたのは正に偶然の産物。今なお神様に感謝しているくらい、幸運なことだったと思っている。

 そして、3年前といえば、たしかアオイ先輩が相模原市を出た頃だったはず。もしかすると、スズちゃんが足を悪くして大変だったからこそ先輩はここに来たのかもしれない。たしかに絶妙に良いタイミングだ。そして、先輩らしいとも思う。大変で悲しい思いをしているスズちゃんのために、側にいて寄り添おうとしたんだろう。あの日、わたしにそうしてくれたのと同じように。




 「それでね、勘違いしちゃった。今年の夏休みに、告白したの───アオのことが好きだって。」

 「!?」

 「ものの見事にフラれちゃったけどね。他に好きな人がいるから、って。」


 スズちゃんから打ち明けられた秘密に、わたしは心底驚いた。思っていた以上に、二人は先に進んでいたらしいということに。そのことについては心穏やかではいられない部分もあったが、真剣に告白してくれた相手に対して従兄妹だからという理由で断ったりしない、先輩の気遣いに納得もする。どこまでいっても先輩らしい、真剣に向き合ってくれる優しさを感じ取る。

 アオイ先輩の好きな人。その相手は言うまでもない。先輩は今もなお、「あの人」のことを想い続けているのだから。


 「……やっぱり佳実ちゃんも、アオの好きな人のことは知ってたんだね。」

 「え?」

 「だって、知らなかったらもっと取り乱すと思うし。誰だって、自分の気になってる人に好きな人がいるって聞いたら、落ち着いていられないんじゃない?」

 「あー……。スズちゃんってもしかして、名探偵?」

 「この前アオにも言われたから、そうかもしれない♪ 周りの人についてのこと限定だとは思うけど。」


 わたしの反応ひとつで、言い当てられるとは思ってもいなかった。もしかしたら、それを確かめるためにわざとこんな話に持ってきたのかもしれない。策士にして、名探偵。まるで、安楽椅子探偵と呼ばれる探偵ものの小説みたいだ。安楽椅子ではなく車椅子だが。

 そんな名探偵とて、恋は盲目であるという法則には逆らえなかったようだ。


 「わたしは自分のことに精一杯で、アオの事情のことなんて気にする余裕も無かった。なんでアオは、わたしの家に来たんだろう。そんな風に考えてみたら、先に聞いておけたのかもしれないなぁ。」

 「スズちゃんも先輩から聞いたんだね? 先輩の……恋人さんのこと。」

 「うん。告白したときに、話してくれた。5年前に亡くなったひとつ上の恋人で、アオにとっては誰よりも一番大切な人。“絶対に”わたしのことをあの人より好きにはなれないからって、断られた。」


 その言葉に、わたしの胸にもチリッと焼けるような痛みが走った。それを羨ましいと思ってしまうくらいには、わたしは先輩のことを……特別に思っているみたいだ。そしてそれは、スズちゃんも同じだろう。好きな人に告白して、他に好きな人がいると断られたのだから。


 「ショックだったし、泣いちゃったけど……今はアオに感謝してる。アオは今もそれまでと変わらずに接してくれてるから。本当なら、一緒に登下校しなくなったり、うちから出て行ってしまってもおかしくないのに。」

 「それは……」

 「アオ、今も時々わたしを見て申し訳なさそうな顔をするの。わたしを傷つけてしまったこと、わたしが今もアオのことを考えて胸が苦しくなっていることが分かってるから。それでも、アオと一緒にいられなくなるなんて絶対にイヤだから。今は、どんなに苦しくったって、アオと一緒にいたい。アオと一緒の家で暮らしていたい。子供っぽい考えかもしれないけど、わたしにとってアオは、ひとりぼっちのわたしを助けてくれたヒーローみたいな人なんだから……」


 スズちゃんの吐露する心の叫びは、わたしにとっても心当たりのあり過ぎるものだった。先輩に憧れ、先輩と会いたくてわたしはこの学校にやって来たのだから。



 そんなわたしに向けて、スズちゃんは突然、まっすぐ向き直って表情を悲しそうなものから真剣なものへと変えた。


 「一時期、アオは本気で学校を辞めて、うちを出ようと思ってたみたい。」

 「!」

 「居づらかったんだと思う。退学届けについて、調べてるのを見ちゃったこともあった。でも、その準備を始める直前になって、やっぱり残ってくれるつもりになったって。何か気持ちが変わるようなことがあったんだと思う。それってやっぱり、佳実ちゃんのおかげなんだよね?」


 スズちゃんに見つめられて、わたしは少しのあいだ目を伏せて逡巡する。今でもハッキリと思い出せる、先輩と再会したあの月曜日のことを。


 「わたしが引き留めたわけじゃないけど……───」


 あのままだと、先輩はまたいなくなってしまうと直感した。何せ、聞いてしまったのだ。「この学校をやめるかもしれない」と。


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