第18話 仲間



 「……ふぅっ。」


 自分の部屋のベッドに大の字に横たわり、わたしはため息を漏らした。


 【これからよろしくお願いします、先輩】


 横になったまま、先ほど先輩に送ったメッセージの画面を覗く。

 文章の横には既読マークが付いた。返事はまだ来ていない。


 「うー、なんか緊張する……」


 メッセージでやり取りするのはこれが初めてだ。正式に入部したことで、天文部のグループチャットに入れてもらった。そこにはもちろん先輩もいるわけで、まだ先輩の連絡先を知らなかったわたしは、家に帰ると真っ先に先輩のアカウントを探した。そして見つけるが早いが、個別チャットでメッセージを送った。


 「……いきなり、送ってもよかったのかな……」


 だが、いざ送信ボタンを押したその後になってから、不安な気持ちがふつふつと込み上げてきてしまった。

 2年前のことがあるとはいえ、先輩にとってわたしはまだ数回会ったことがあるだけの後輩でしかない。そんな自分が特に用もなく何の脈絡もなくメッセージを送ってきたら、先輩はどう思うだろう。

 わたしは本来、初対面の他人に対して率先して関わっていけるほどコミュニケーションが得意なタイプじゃないと思う。そんな自分がなぜ、あの先輩に対してだけはこうも積極的に、むしろ向こう見ずなくらいにまでグイグイ行くのだろうか? 自分の意外な側面に、今更ながらふと首を傾げた。





 先輩との出会いは2年前、あの公園でのこと。色々なことから逃げ出したかったわたしは、しばらく学校を休んでおばあちゃんの家に行くことになっていた。まさにその出発の日、あの街を離れてしまう前に、最後にお母さんとの思い出に浸りたくて訪れたあの場所で───わたしは初めて、先輩と出会った。

 最初の印象は、ひと言で言えば「ヘンな人」だった。公園の隅でうずくまった見ず知らずのわたしに、近づくでもなく遠ざかるでもなく、かといって興味を持たないわけでもなく、ただ「相席する」とだけ告げてそこにいた。あの場所にある思い出を、ただ一緒に共有したいだけ……彼の様子と言動から、そんな風に感じたように思う。

その後うっかり口にしてしまった“魔女”という言葉に彼は感情を露わにして、そのことにわたしはとても驚いたけれど……

 彼の話を聞くうちに、彼の言うとおり、わたしと彼は「似た者同士」だということが分かった。

 彼は、恋人を亡くしている。そしてその恋人のことを、今もずっと大切に想っているのだ。新しい恋人を作ることもなく、その思い出を壊さないように大事に守り続けている。悲しみと痛みを忘れることなく、なおかつ前に進み続けることは大変なことだ。悩み苦しみながら、それでも側にいてくれた人のことを想い、自分のためではなくその人のために幸せであろうとしている。パートナーを失って2年も待たずに再婚した、どこかの誰かの父親とは違って。

 わたしが大切にしたいものを、彼は本当に大事に想っている。そのことが、わたしにとっては何よりも尊く、安心できることだと感じたのだ。



 あれから2年。

 お母さんの足跡を辿って転校した学校で、念願叶って再会したあの人は、今もなお亡くした大切な“魔女”のことを想っていた。そしてそのことで、今も苦しみ続けていた。ずっと探していたその顔はとても悲しそうで、深く苦しみ抜いてきた顔のように感じられた。それは、あの人自身が言っていた「幸せ」な様子だとはとても思えなくて───つい、声を掛けずにはいられなかった。あの人には、幸せでいてほしかったから。そして、あの人を幸せにできるのが“魔女”だけなのだとしたら、それができるのはわたしだけなのかもしれない。

 もう一度、優しく、強く、わたしを救ってくれたあの笑顔が見たい。そしてできるのなら、その笑顔をずっと側で見守っていたい───






 「───どうした、恋する乙女の顔をして?」


 突然、ハスキーな女の人の声がした。


 「み、みそぎお姉ちゃん!?」


 突然部屋に現れた女性の姿に、わたしはびっくりして飛び上がった。

 宮水みやみずみそぎ。このアパートの管理人にして、佳実の従姉。スタイルも良くサッパリしていて、オトナな女性だ。親元を離れて暮らすわたしにとっては、面倒を見てくれている保護者でもある。だからこそ部屋の合い鍵も持っているし、断りもなく普通に入ってこられてしまうのだけれど……


 「例の憧れのカレとお話し中か~?」

 「もうっ、先輩とはそういうのじゃないから!」


 ニヤニヤ笑いながら、禊お姉ちゃんはこれ見よがしにからかってくる。


 「でも、彼と会うためにわざわざこっちにまで来たんでしょ。連絡先、交換出来てよかったじゃない。」

 「それは、そうだけど……」

 「いいねえ、青春。恋にまっすぐなのは少女の特権さ。」


 ストレートにお姉ちゃんにズバリと言われて、顔が熱くなるのを感じた。


 「……やっぱり……恋、なのかなぁ……?」


 脇にあったクッションを抱えながら呟く。


 「先輩と会えたのは嬉しいけど、今も先輩は“あの人”のことを好きみたいだし……。それに、わたしも先輩にはずっと“あの人”のことを想っていてほしい。」

 「たしか、恋人を亡くしてるんだっけ、その先輩。一途だねぇ。女々しい奴だと思わなくもないが。」

 「大切な人をずっと想い続ける。それってたぶん当たり前のことだし、まっすぐその人だけを想うのはすごいと思う。いなくなった相手のことなんか忘れて、他の人と一緒になる人だっているのに……」


 わたしの声のトーンから察してか、禊お姉ちゃんが言いよどむ。


 「まだ叔父さんのこと、許してないんだな。」

 「……許してないとか、そういうのじゃないの。一人でわたしを育てて働いて……それが大変ってことくらいわたしにも分かる。再婚して一緒に頑張るのが間違ってるなんて思わない。でも……」

 「『お母さんのことを忘れてしまったみたいで納得できない』、か。まあ、それも無理もない話だよな。」

 「……そういうわけでもなくて……。ううん、結局はそういうことなのかな……?」


 悩むわたしを横目に、禊お姉ちゃんは後ろ手にカーペットに手をついて天井を見上げた。


 「それで結局、佳実はその先輩とどうなりたいのさ?」


 お姉ちゃんの問いかけに、わたしはしばらく考え込んだ。


 「わたしは、先輩に幸せになってほしい。先輩が幸せそうにしているところが見たいの。先輩が“あの人”のことを想い続けて、そのせいで辛い思いをしている時には助けてあげたい。あの時みたいに悲しそうな顔をしててほしくないから……」

 「あの時?」

 「あ、ううん……」


 言葉を切って、先輩と再会した月曜日へと思いを馳せる。

 再会したあの日、先輩は悲しそうな顔をしていた。大切な人と二度と会えない哀しみ、あの時以上の幸せには決して出会うことができない虚しさ。その感情はわたしにとっても身に覚えのあるものだったが、わたしは先輩と出会えたことでその暗闇から抜け出すことができた。同じ苦しみを抱えながら、寄り添ってくれる人と出会えた。亡くした人を想いながら、過去を引き摺って生きていてもいいのだと教えてくれた。あの日、電車の中で隣に座った先輩の体の温もりを覚えている。お母さんが死んで……世界にひとり取り残されてしまったように感じていたわたしに、人の温かさを思い出させてくれた。

 あの日、わたしが声を掛けるまでの先輩の姿は、ひどく寂しそうに目に映った。わたしに「ひとりぼっちじゃない」と教えてくれたあの先輩が、その優しさゆえに却ってひとりぼっちで苦しみ続けているのだとしたら。そう考えたら、居ても立ってもいられなくなった。


 「『幸せになってほしい』か。良い子だねぇ。佳実は昔から物分かりが良い子だったからな。」

 「そうなの? よくわからないけど……」

 「佳実が小さい頃に私が遊びに行ったときも、自分の好きなことよりも私の趣味に合わせて遊んでたろ。私と一緒に外を駆けまわってても、嫌な顔ひとつしないで。後々になって実は家の中で遊ぶ方が好きな子だって聞いて心底ビックリしたぞ。」

 「それは、単にそれ以上にお姉ちゃんと遊べるのが嬉しかっただけなんだと思うけど。」

 「でも佳実は本当に昔から自分の意見を言わなかった。ワガママとは真逆の子だったな。だからこそ、家にいたくない、一人暮らしがしたいと言ってきた時は、私が手伝ってやらないとって思ったんだよ。佳実の方からどうしたいって言ってくるのは初めてだったから。それほどまでに、こっちに来たかったんだろ?」


 禊お姉ちゃんはぽんぽんとわたしの頭を撫でて言った。

 この街にお姉ちゃんがいるのは知っていたから、ここに来たいと思ったわたしは真っ先にお姉ちゃんを頼った。それを聞いたお姉ちゃんは二つ返事で、「うちのアパートがひと部屋空いているから来い」と。


 「さ、だったら迷わず好きなものにまっしぐらに進むべきだ。佳実はこれから、あの先輩とどうしたい?」

 「わたしは……」


 禊お姉ちゃんに言われて、先輩の顔を思い浮かべる。


 「わたしは、先輩のそばにいたい。先輩のこと、もっと知りたい。……それ以上は今は分からない、かな。」


 わたしは目を伏せて答えながら、自分の心の中をゆっくりと見渡してみた。



 おそらく───お姉ちゃんの言うように、わたしは先輩に恋をしているのかもしれない。わたしはあの人に会いたくてこの街にやって来た。それでもわたしは、「恋人になりたい」と思っているのか?と聞かれると、首を傾げずにはいられなかった。

 先輩はわたしにとって、誰よりも安心できる“仲間”だった。わたしと同じ気持ちを抱えている人。喪ったものの、二度と取り戻せないもののために、その居場所をずっと空けておきたいという価値観を共有できる人。

 誰よりもわたしの心に“近い”場所にいる人が、先輩だったのだ。気の合う者同士が集まって自然とグループを作るように、生き物が同じ種類の生き物と集まって群れをつくるのと同じように。わたしにとっては、あの人のそばにいることが一番「自然なこと」だったんだ。

 ならば、今はこの気持ちに、無理に名前を付ける必要はない。わたしは先輩と同じ学校に来れて、同じ部活に入ることができた。今までずっと心の中だけの存在だったあの人の近くに、これからはいつもいられるのだから。




 「……そうか。わざわざそんなに焦ることはない、か。」

 「うん。」


 わたしの答えを聞いてうんうんと頷いた禊お姉ちゃんが、唐突に頭をポンポンと撫でた。


 「わわっ……」

 「大人になってたんだなぁ、佳実も。そんなにもしっかり物事を考えてたなんて。先月私に頼み込んできた時には、自信無さげで頼りない雰囲気だったのに、いざ学校に通い始めてみたら案外何事もなく楽しそうにしてるし。」

 「そうかな? これでも人見知りで、仲の良い友達もまだいない気がするんだけど……もしそうなんだとしたら、やっぱり先輩のおかげかなぁ。」

 「そうなんだろうな。ちょっと私も会ってみたくなったな、その先輩ってヤツに。」

 「いくら禊お姉ちゃんでも、先輩は渡さないよ?」

 「そんなつもりはねぇよ。というか恋愛じゃないんじゃなかったのかよ。」

 「それとこれとは別なの。それに、恋人になりたくないってわけじゃないし……」

 「はー、複雑だねぇ。」


 ちろっと本音をこぼすと、お姉ちゃんはいっそう激しくわたしの髪をくしゃくしゃにする。



 そんな時、ちょうど先輩からのチャットの通知が鳴った。


 【こちらこそ。としてこれからよろしく、。】


 明らかに、距離を置こうとしている言い回し。「部活仲間」ということをわざわざ強調したり、念を入れて苗字呼びを使ってきたり。恋人という“席”が既に埋まっている人間としては、当たり前の対応とも言えた。“彼女”に対する配慮ともいえる、他の女子との距離の取り方。だが、今のわたしにとってはそんな先輩の距離感すらも心地よく感じられた。

 

 【はい! 後輩として、ビシビシ指導しちゃってください。雑用だってやります!】

 【雑用って……ウチはそんな上下関係ガチガチの体育会系の部活じゃないよ。】

 【いえいえ、わたしは途中参加の新人ですからそれくらいがちょうどいいかなって。他の人とも仲良くなるのはこれからですから、最初はキチンとしておかないとなって思って───】


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