第10話 ソラの魔女




 「は~、たのしかった!」




 この子のことを知りたい。アオイがそう思ってから2時間ほど。

 もっとお互いのことを知ろう、ということでゲームセンターに遊びに来ていたのだが……


 「まさか、ほとんど勝てないとは……」


 存外白石さんはどんなゲームにおいても強く、対戦型のものは勿論のこと、協力プレイのスコアなど、そのことごとくにおいてアオイは見事彼女に惨敗を喫していた。

 この手のゲームについてアオイは経験も疎くそれほど得意ではないのだが、それを差し引いても彼女が上手いことは一目瞭然だった。


 「なんと言うか意外だったよ……白石さんがここまで強いなんて思いもしなかった。」

 「これでも、ゲームセンターにはちょくちょく来るんです。こちらに来てからは初めてでしたけど、案外ウデは鈍ってないものですね!」

 「そうであってくれなきゃ困る。ウデが鈍ってこれじゃ、ボロ負けした俺の立場が無い。」


 いい時間になってきたのもあって切り上げて店を出たのだが、白石さんはまだまだ遊び足りない様子だった。


 「気がついたらこんな時間なんですね。」


 もうすっかり辺りは暗くなり始めていて、そろそろ日も沈む頃合いだ。ちなみに遊んでいたのは調布駅前のゲームセンターで、アオイたちの高校に限らずこの近辺の学生たちの溜まり場でもあり教員たちもちょくちょく見回りに来ているため、お互い一旦帰宅して私服に着替えて来ていた。

 白石さんはチュニックとショートパンツで纏めた垢抜けた装いで、これもまた新鮮な気持ちにさせてくれている。


 「そろそろ帰るとしようか。あんまり女の子を遅くまで連れ回すのもね。もう少し集合する時間が早ければ、もっと遊べたのかもしれないけど。」

 「それはっ、その……」

 「ははは、まあおめかしに時間が掛かるのは女の子の特権ということで。」


 オシャレな格好ではあるが、やはり気合を入れて準備をした成果なのだろう。その結果、当初待ち合わせていた時間よりも30分は長く待つことになったのはご愛敬といったところか。

 ゲームでやられっぱなしというのも癪なので、このくらいの反撃は許してもらいたい。




 「そういえば、今さらではあるんだけどさ。」

 「はい、何でしょう?」


 白石さんを送る帰り道、アオイが改まって訊ねると、彼女は元気に応じる。


 「君は、“魔女”なんだよね?」

 「あ、はい!」

 「君の言う“魔女”って、どういうものなんだろう。その辺りのことについて、結局何も聞いてなかったなって思って。」

 「それは……ふふっ。確かに、今さらですね。」


 改めて訊かれたことに、白石さんは可笑しそうに笑った。


 「そうですね……」


 そう言って、しばし思案顔を見せる白石さん。


 「わたしにとって、“魔女”は『家系』です。わたしのおばあちゃんはイギリスの生まれなんですよ。だからわたしにも、イギリス人の血が入っていて。」

 「……なるほど。確かに、そんな気はしてた。」

 「この髪と、目ですね。流石に目立ちますもんね。もちろん生まれつきです。」


 白石さんは少し俯きながら髪をかき上げてみせる。可憐な容姿からのこの仕草はなかなかサマになっているが……全然嫌味っぽくないのは、このどことなく曇った表情ゆえだろうか。


 「もちろん目立つことは目立つけど……綺麗な髪と目の色だと思うよ?」

 「……あ……ありがとうございます……」


 彼女の言葉の端にも若干のかげりが見えたような気がして、フォローしておく。アオイはただ純粋に思った感想を伝えただけだが、彼女は恥ずかしそうに目を逸らして照れてくれた。

 うちの高校は髪を染めることが禁止されているから、この髪が地毛なのはおそらく間違いない。若干なら生まれつき茶色がかった髪をしている人もいるが、ここまで見事な栗毛色ともなれば日本人以外の血が流れていることは充分推測できる。良い意味でも悪い意味でも、目立ってきたであろうことは想像に難くない。


 「しかし、『家系』か。そういえば、お母さんも“魔女”だと言ってたような気もするな。」


 最初に会った時、おぼろげながらもそう聞いたような覚えがある。


 「はい。お母さん……それと、おばあちゃん。“魔女”のこと、人生のこと、たくさんのことを教わりました。わたしにとっての、“魔女”としての師匠せんせいですね。」

 「『師匠せんせい』か。あの子と同じだな。彼女も“魔女”としての師匠がいると言っていたから。」

 「そうやって、人から人へと受け継がれていく『生き方』。それが“魔女”なんだって教えてもらいました。」


 “魔女”とは、決して怪しげな魔術や儀式なんかを行うものではない。それは、善く生きるための心の在り方であり、「生き方」。あるいはそれは、「思想」、むしろ「信仰」とでも言うべきものかもしれない。“魔女”とは言うが女性である必要すらなく、男性でありながら“魔女”を名乗る人さえいるという。元が英語だったものが日本語に無理やり訳された結果、「魔女」という字が当てられた言葉であるからして、日本語での字面を見ると違和感があるのも致し方のないことなのだろう。




 「それで、なんですけど……。わたしもひとつ、もしよかったら。先輩に聞きたいことがあったんです。」

 「聞きたいこと?」


 今度は彼女の方から改まった態度で訊ねてきた。


 「なんだろう。答えられることなら、何でも。」

 「じゃあ……。先輩の、大切な人───その人の名前、聞いたことがなかったな、って。」


 アオイは思わず目を見開いた。


 「そう、だね。……言ってなかったな。」

 「あっ、あの! 無理に教えてほしいってわけじゃ……」

 「分かってるさ。あえて言ってなかったのはまあ、事実だから。」


 考えてみれば当然の疑問だった。この子とは何度か彼女の話をしたけれど、その「名前」については言ったことがなかった。それは単純に言う必要が無かったのと……心のどこかで、そこに踏み込ませたくなかったからなのかもしれない。

 だがこの子は、アオイのことを、アオイのことを知りたいと言った。アオイと彼女との“在り方”を、「素敵なもの」と言った。そんなアオイのことを、「幸せになってほしい」と言ってくれた。

 こうやって純粋にアオイのことを知りたいと思ってくれているこの子に対して、頑なにまでそれを拒むべきなのか……。改めて自問してみると、アオイにはそれが不誠実なことに感じられてきた。

 あの子が、アオイに“秘密”を明かしてくれたように────




 「あの子の名前は、夏野ひなた。忘れられない夏をくれた、“魔女”。」


 その名前を口にするだけで、たくさんの思い出が脳裏を過ぎる。


 「まあ、“魔女”という以前に、色々と印象深い子だったんだけど。」

 「夏野ひなたさん。素敵な名前ですね。」

 「だろう? なんでも、宇宙飛行士を目指してたらしいよ。しかも、わりと本気で。病室には星や宇宙に関する本がいっぱいあったな。」

 「宇宙飛行士ですか……それはまた、ものすごい夢ですね。」

 「ああ。ものすごい人だった。人間としても、恋人としてもね。」

 「たしか、先輩の一つ年上の人でしたっけ。」

 「ああ、話してたっけ。よく覚えてるね。まるでそうとは思えないくらい、遥かに大人びたものの見方をする人だった。」


 目を閉じると、彼女と交わした会話がまるで昨日のことのように思い出される。

 彼女は、大きな人だった。アオイよりも遥か遠くの視点から世界を見つめているような、世の中の全てを等しく愛しているような、そんなあたたかさと大らかさを持った目をしていた。

 彼女がどんなものを見て、何を感じ、何を考えているのか。それを知りたくて、アオイはずっと彼女の側にいたように思う。


 「会ってみたかったな……」

 「……」


 もし彼女が、白石さんと会っていたらどうなっていただろう。あるいは、今のアオイと白石さんを見たとしたら、彼女はどう思うだろうか。

 こうやって二人で遊んで、肩を並べて家路を辿る。できることならひなたと一緒に送りたかった時間を、こうして白石さんと二人で過ごしている……


 「……ッ……」


 心がピリッと痛んだ。アオイは咄嗟に左手のブレスレットに触れる。

 隣にいるのがあの子ではないことへの悲しみ。そして、そこに他の誰かがいることを許してしまっていることへの───それは、罪悪感、なのだろうか?




 「あっ、あれ!」

 「ん?」

 「流れ星……?」


 そのとき、隣を歩く白石さんが、燦然さんぜんと輝く一番星のすぐ近くをすいすいと走り抜けていくひとつの星を見つけた。

 流れ星のように尾を引くこともなく、飛行機のように点滅することもなく、静かに整然と通り過ぎていくあの光は……


 「ああ、そうじゃない。あれは……」


 ───“あれは、ヒトが打ち上げた人工の星。”


 「国際宇宙ステーションISS。世界で一番、宇宙ソラに近い場所だ。」


 空の向こうへと走り去っていく人工星を、ただ黙って見送る。


 「宇宙ステーション!? あれがそうなんですか?」

 「ISS……国際宇宙ステーションは、地上約400kmの上空を常に高速で周回している宇宙船。地球を約90分で一周する。一日にだいたい地球を16周くらい回っているんだよ。」

 「それであんなに早く、すいーって行っちゃうんですね。あれ? でもそれなら、毎日何度も何度も通り過ぎてるのが見えるはずですよね。なんで今まで気づかなかったんだろ……?」

 「日中は周りが明るすぎるし、夜は地球の陰に入る。自分で光ってるわけじゃないからね。月や惑星みたいに、太陽の光を反射して光っているんだ。日が昇る前や日が落ちた後で、かつ上空にはまだ日光が届くほんの僅かな時間帯に、ちょうどそこを通るときにだけ光って見えるのさ。」

 「へぇ~……知りませんでした。」

 「たしかに、言われなければ気づかないことかもね。俺はたまたま、教えてもらう機会があっただけだけど。」


 国際宇宙ステーション───大地を離れて人類が暮らす世界で唯一ただひとつの宇宙船。

 ヒトは、あんな所にまで辿り着くようになったのだ。それは遥かに遠い上空の存在であり、普通の人にとってまず関わることのない雲の上の話かもしれない。

 しかしアオイにとっては決して他人事とは思えなかった。あの空を目指し、宇宙へ旅立ち、宇宙ステーションに乗り込む宇宙飛行士を夢見てきた人を知っているのだから。

 彼女は言っていた───「あの空の先に、どんな景色が広がっているのかを見たい」、と。



 人はなぜ、皆ソラを目指すのだろう。

 あのソラへ上っていった彼女の顔を思い浮かべながら、アオイは黙って、薄明の空を静かに走り去っていく人工の星を見つめていた。


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