第9話 君のことを知りたいから
「……(じとー)」
暗黙の非難の視線を背中に浴びながら、学校からの帰り道を白石さんと歩く。
「あのー、白石さん?」
「……なんですか?」
明らかに不機嫌そうな声で、そっぽを向いた白石さんが応える。
「なにやら怒っておられるようで……」
「別に、怒ってなんかいませんよ? ただ、先輩って気軽にナンパとかできたりする人だったんだなーって、ちょっと見直していただけです。」
「それは、良い意味で?」
「悪い意味で。」
「ですよね。」
と、このように絶賛ご立腹中である。
「言っておくけど、もちろんあれは言葉の
「どーでしょう。それに、言葉の綾ってことは、他の子に声を掛けたのは事実なんでしょう?」
「一緒に暮らしてる家族に声を掛けて何が悪いんだよ。アレは妹のことさ、妹。正確には
鈴蘭は従妹だが、同じ家で暮らしている手前、もはやアオイにとっては妹も同然の存在だ。実際アオイには実の妹も弟もいるが、あの二人と鈴蘭と、接する距離感はそう変わらない。
「この学校に従妹さんがいたんですか。初めて知りました。……でも先輩、平気でウソつくからなぁ。家が駅から近いとか。」
「まだ根に持ってたんだね、それ。」
「当然です! 傘を返しに来て、どれだけ探したと思ってるんですか。」
「まずそっちの方がストーカーっぽいというか、問題な気もするんだけどな……」
そもそも、「三柳」という姓で家を探していたのだとしたら、見つかるはずがない。アオイは今、鈴蘭の家に居候させてもらっているのだ。その家の表札に掲げられている苗字は「一之瀬」である。アオイの姓もそうそう一般的な名前ではないから、もしかしたら一生見つからないだろう。
「まあ何にせよ、こうして話せる機会ができて良かったよ。昼みたいにまた逃げられるんじゃないかと思ってたから。」
「それは……その。」
俯いて黙り込む白石さん。
「何か俺が悪いことをしたかと思っちゃってさ。」
「先輩は何も悪くないです! ……お昼はその、すみませんでした。心の準備ができてない時に先輩と出くわしちゃって、つい頭が真っ白になっちゃって。」
「うん。俺の方こそ、いきなり声を掛けて悪かった。昨日は白石さんの方から声を掛けてきてくれたわけだし、人見知りなんてしないタイプだと思ってたから。」
元々はこのように引っ込み思案なところがある子なのだろう。初めて会った時のことを思い出して、アオイはそう得心した。
余計な誤解を与えることにはなったが、結果的にはあの勢いのままこの子を連れ出すことに成功したわけで、道化を演じたことが功を奏したといえる。
「わたしこそ、先輩ってもっと真面目なタイプの人かなって思ってました。」
「いや、自分では真面目な人間だと思ってるんだけどな……彼氏だ彼女だって話で騒ぎ立てられるのが嫌だったから、ああいう言い方をしただけだよ。ホントだよ?」
「それはそうなんでしょうけど……さっきのが印象深すぎて、なんだか信じられなくなっちゃって。ああいう冗談が言えるってことは、もしかしたらそういうの、経験豊富なのかなって。」
かなり心外なのだが、もしかして軽薄な人間に見えているのだろうか?
そんなアオイの不安に拍車をかけるように、白石さんはアオイの方をチラッと見ながら、おそるおそる訊ねた。
「あの……その、もしかして……彼女とかって、いたりします、か……?」
「いや、いないよ。少なくとも、現在付き合ってる相手は。というか、もしも今付き合ってる彼女がいるとしたら問題ありまくりだろう。そんな状況で、知り合って間もない女の子を誘って二人で帰る度胸は俺には無いかなぁ。」
「それは確かに……」
散々からかわれていた相手と、こうして二人して帰っているのだ。周りから見たら、仲を疑われても仕方がないだろう。もしも他に恋人がいて、その相手にこんなことが知られたとしたら、それこそ破局に向かってまっしぐらである。
「それじゃあ、本当にあれは冗談だったんですね。」
「そこは素直に信じてほしかったな……。君も知ってるだろ。俺にはもう、これ以上彼女は要らないって。」
まっすぐ前を見つめ、左手首に手をやりながらアオイは静かにそう言った。
アオイには既に恋人がいる。今はもう亡くなった、「ひなた」……アオイにとって唯一の、誰にも代えられない大切な相手。
その思い出を上書きしてまで、新しい恋人を作りたいなんて思わない。むしろ、もしも誰かと付き合ってしまったら、彼女のことを忘れることにすらなってしまうんじゃないか……そんな風にすら思ってしまうのだ。
「だから正直、昨日君と出会ったときは、困ったことになったとすら思ったよ。自惚れた話だけれど……声を掛けてくれたことは嬉しかったけど、もし
アオイは、できる限り角が立たないよう言葉を選びながら言った。
そもそも、アオイはそんなにモテる人間でもない。仮定の話とはいえ白石さんに全くその気がなかったとしたら、勝手に好意を寄せられていると思い込んでいる、ただひたすらにイタい奴でしかないのだが。
「はい、分かっています。」
アオイの言葉を黙って聞いていた白石さんは、ふっと優しい笑顔を見せてそう言った。
「わたし、まだ恋愛のことはよく分からないですから……あの、もちろん先輩がカッコよくないとか、そういうわけじゃないんですけど。先輩が亡くなった彼女さんのことを大切に想っていることは、よく分かります。素敵だなぁって。そんな風に想ってもらえる彼女さんのことも、そうやって想い続けている先輩のことも。だからわたし、思ったんです。この先輩には、幸せになってほしいって。」
“幸せ”か。
昨日も言っていたな。「わたしは……先輩を幸せにできますか?」───かつてアオイが彼女に言った「魔女は人を幸せにする」という言葉、それを彼女なりに噛み砕いて自分のものにしたがゆえの表現である。
「わたし、もっと先輩と一緒にいたいし、もっと話したい。先輩のことを知りたいんです。あなたの見たもの、考えたこと。“あの人”のことを、どれだけ大切に想っているのか。あの日先輩とわたしが出会うまでのこと、出会ってからのことを、ぜんぶ。」
まっすぐアオイの目を見て語る彼女を見て、なんて優しい子なんだろうかと思った。
他人の幸せを願い、それを側で見ていたいという。
考えてみると、この子ははじめからそうだった。初めて会った時、この子はひとりぼっちでいたいと言っていた。───自分が、“魔女”が人を不幸にしてしまうと信じていたから。他の誰かを不幸にすることが嫌で、自ら誰とも接しないことを望んでいたのだ。
「……すごいね、君は。」
白石さんの
「えっ!? あっ、あの……っ……?」
「良い子だなぁ。優しいにもほどがある。」
あまりに健気な物言いに、つい手が伸びて妹弟と同じノリで頭でも撫でそうになったのだが、さすがにそれはまずかろうと思いとどまった。泳いだ手で彼女の肩を軽く叩いてから、気恥ずかしくなって先に行く。
「『“魔女”は人を幸せにする』。あの言葉が正しいことを思い知ったというか。君が“魔女”たる
「それはいいんですけど……。こういうの、もしかしてやっぱり慣れてます?」
恥ずかしかったのか、白石さんは触れられた肩を気にしながら急いでついてくる。
「従妹に、弟妹もいるからな。」
「妹さんたちがいるから、慣れてるってことですか……。もしかして、彼女さんにもこういうこと、いつもしてたんですか?」
「いや、あの子は年上だったし、むしろ俺がされてた側だったような。」
「ううう……なんだかわたし、人としても女としても、だいぶ発展途上な気がしてきました。」
「決して、そんなことはないと思うけど。」
むしろ、アオイなんかよりもよほど大人びた考え方の持ち主のように思う。自分のことではなく、いつも他人のことを思い、誰かのために行動できるのだから。
……とんでもなく「良い子」だ。
アオイはかつて自らを“魔女”と呼んだ、大切な人の姿を彼女に重ね合わせる。あの子とは、声も見た目も違えば性格も違うけれど、確かに共通するところもあった。
あの子もこの子も同じように、アオイのことを知りたいと言ってくれた。
やはり、これは運命なのだろう。
アオイもまた、この子のことを知りたいと思った。
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