第8話 お誘い




 その日の放課後。


 「あっ、アオ!」

 「お待たせ、鈴蘭すずらん。」


 1年生の教室がある1階に降りてくると、ちょうどアオイの従妹いとこが教室から出てくるところに鉢合わせた。


 「お疲れ様です、三柳先輩。今日も仲良しですね。」


 彼女のにいる友達が、微笑ましそうな顔でアオイたちを見比べる。


 「おかげさまでね。そちらこそ、この子と仲良くしてくれてありがとう。」

 「アオはわたしの保護者なの?」

 「うーん、そういう一面があるのは否定できないなぁ。」


 で交わされる挨拶に不満そうな彼女は、責めるようにアオイの脇腹を小突いた。


 「痛ぇよ。最近容赦なくなったよな、スズ。」

 「アオが遠慮なく物を言うからなのっ!」


 反撃を恐れたのか、器用に自ら車椅子を動かして距離を取る鈴蘭。



 見ての通り、この子───アオイの従妹である一之瀬いちのせ鈴蘭すずらんは、車椅子で生活をしている。事故で下肢の自由を失った彼女。歩けるようになる見込みが無いわけではないが、それには相当な期間の治療とリハビリが必要になる。


 「学校の行き帰りも家族と一緒じゃ、友達もできるか心配だったんだ。だから、本当にありがたいんだよ。多少は保護者目線になるのも大目に見てほしい。」

 「余計なお世話! これでもアオよりは友達多い自信あるから。」


 なぜか胸を張って、偉そうに言い張る鈴蘭。

 この身体ゆえに、彼女の両親から学校の行き帰りもなるべくアオイが付き添うように頼まれているのだ。不自由の多い、車椅子での青春時代を余儀なくされているわけだが……本人が明るく前向きな性格であることがせめてもの救いだろうか。失ったもののために卑屈になることもなく、むしろそれを跳ね飛ばさんとする勢いでたくましく生きる彼女の姿には、アオイの方こそ救われる思いがしている。それを考えれば、少しくらい反発心が強いことなど可愛いものだ。


 「まあそれはそれとして。スズ、帰るか?」

 「あ、えっと……」


 ちら、と友達の方を一瞥する鈴蘭。


 「それなんですけど……今日はスズちゃん、借りちゃってもいいですか?」

 「お、遊びに行くの?いいよ、どんどん連れてっちゃって。今日は天文部も休みだしね。」


 アオイと鈴蘭はともに天文部に所属しているが、今日は顧問の先生の都合で部活が休みになっているのだ。


 「ごめんね、アオ……? せっかく来てくれたのに……」

 「気にしない気にしない。らしくない気を遣うな。友達は大事にしなよ?一生の宝だからな。……って、バン兄も言ってたし。」


 本気でためらっていそうな鈴蘭を、背もたれを叩いて笑って送り出す。


 「いってらっしゃい。あと、迎えが必要なら連絡しな。トボトボ歩いて迎えに行くから。」

 「迎えなんていらないって、いつも言ってるのに。べつに一人で帰れるし!」

 「行き帰りは誰かと一緒に行動すること。それが叔父さんたちとの約束だろう? 心配してるんだよ、みんな。俺も含めてね。」

 「だって、アオに悪いし……」


 歯切れの悪い鈴蘭に、思わず肩をすくめる。

 なまじ自立心が強いことも相俟あいまって、こうしたところには負い目を感じてしまうのだろう。

 どうしたものかと考えあぐねていると、鈴蘭の友達がグッと親指を立てて見せた。


 「あたしが送るので大丈夫です! 責任を持って家まで送りますから、安心してください。」

 「そうかい? 手間をかけさせるのは悪いけど、助かるよ。」

 「帰り道の途中ですから。あ、でもスズちゃん的には迎えに来てもらった方が嬉しいんじゃ?」

 「そ、そんなことないからっ!」


 からかわれて、鈴蘭は頬を赤らめながら友達に抗議する。

 仲が良い友達ができて何よりだ。明るく元気だったこの子が足の自由を奪われて以来、塞ぎ込むことも多かったという。それが今では、こんな風に友達と他愛のない会話で笑顔を見せてくれている。家族としてこれほど嬉しいことはない。その助けになるのであれば、送り迎えくらい喜んで引き受けるというものだ。彼女の家に“居候いそうろう”になっている身としては尚更なおさらである。


 「じゃあ、また家でな。気をつけて行ってきなよ。」

 「……うん。アオも気をつけて帰ってね。」




 友達と出かける従妹を見送って、アオイは「さて」と周りを見回す。

 偶然、ぽっかりと空いた時間である。

 何をするか……と考えたときに、真っ先に頭に浮かんだのが昼休みの出来事だった。


 「白石さん、か。」


 あの時はロクな話もしないまま、走っていってしまった。逃げるように去っていったあの姿を思い出すと、何か自分が悪いことをしてしまったのではないかと思えてきてならない。

 遠藤さんからも言われたように、とにかく一度話してみるのが得策だろう。そう思って、1年生の教室が並ぶ1階の廊下をさりげなくあの子を探しながら歩いていると。


 「ねえねえ、お昼休みのあの人! 仲良さそうな感じだったけど、いったい誰だったの!」


 見覚えのある女の子たちの姿が目に入った。意外と早く、目的の相手が見つかったようだ。

 白石さんが教室の前の廊下で昼間の友達たちに囲まれて、色々と訊ねられていた。


 「あの人、ひょっとして彼氏!?」

 「『また会った』って言ってたし、もしかして朝も一緒に登校してきてたりとか……!」

 「ち、違うのっ! そういうのじゃなくって……。それに、ただの知り合いだし……」


 予想できていたことではあるが、あの子もあの子で、昼のアオイと同じような状況に陥っていたらしい。なにせ一緒にいた友達のことを放り出して逃げ出していったのだ。「ただの知り合い」に留まらない何かがある……そう思われるのも無理はない。




 「やあ、お邪魔するよ。」


 彼女への助け舟も兼ねて、きゃいきゃいと楽しそうに話す後輩たちの輪に割って入る。


 「あ……っ……!」

 「ああっ、あなたはっ!!」


 白石さん本人はもちろん、周りの友達からも一斉に注目を浴びた。まさに話の中心に上っていた当の人物が現れたのだから、当然色めき立った彼女たちに囲まれることになる。


 「もしかして、白石さんの彼氏さんですか!」

 「残念ながら違うんだよねぇ。まだお互い、顔見知りの域を出ない程度だからね。ただお昼のことで色々問い詰められて困ってそうだから、声を掛けたんだ。」

 「えー、そうなんですか? でもわざわざここまでお迎えに来てるし……アヤシイよね?」

 「ねー。」

 「それは偶然だよ。別の用があって来ただけさ。後輩の知り合いは何も白石さんだけじゃないし。……なんなら、一緒に帰るつもりで迎えに来た別の子にちょうどフラれてきたところだよ?」


 「えっ」という驚嘆の声とともに、(白石さんを含めた)皆から怪訝そうな顔を向けられ、やがてそれは咎めるようなジト目に変わった。

 ……煙に巻こうとあえて誤解を与えようとしたがゆえの冗談だったが、失言だったかもしれない。


 「そ、それはともかく。お昼は結局あれっきりだったから、うまく会えたら白石さんにも話をしておきたかったんだよね! それで、もし用がないようならだけど、ちょっとお借りしても構わないかな?」

 「あ、はい……」


 勢いを殺された彼女たちは、大した追究もなく引き下がった。


 「……悪い先輩にたぶらかされないようにね。」


 白石さんの友達が、コソコソと彼女のそばで耳打ちをするのが聞こえた。

 うるさい、余計なお世話だ。

 心の中で抗議しながら、アオイは白石さんを連れて彼女たちの側を離れた。


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