2.辺境伯の罠
アデル嬢の攻撃は精確だった。彼女が庭園から去ったその瞬間からずっとそのことを考えた。
ライナスは無類の剣好きだ。兄が頭脳派なら、彼は武闘派だ。双子で、顔は同じなのに、考えが真逆。
「ライナス様、昨日頼んだものはこちらに」
執事は書斎で黄昏れてるライナスを見て、何冊の本を机の上に置いた。ライナスはさっそく本を取り、読みはじめた。
アデル・イーストン。彼女は確かにイーストン家の長女だ、記録上もそれを証明した。
イーストン家はもともと豊かとはいえない侯爵家だ。侯爵家の領地は職人の街だが、最近はきな臭い取引のせいで信用が地に落ちた。
領地の経済は破綻し、今はエングルフィールド辺境伯の支援おかげで皮一枚でつながっただけだ。
考えるまでもなく、きな臭い取引の後ろにはオルセン公爵の暗躍があるだろう。あのパーティーが『特別』だと言ってたし、彼も黒幕に違いない。
しかし、いったいなにがあって、彼女はアサシンめいたことをしないといけないのか。
「よくわからないな」
「ライナス、こんなところにいるのか」
扉から兄レナードの声が届く。
「珍しいね、本を読んでるなんて」
「失敬だな、俺だって本を読む。それにただの本じゃない、レポートだ」
「アデル・イーストン――ああっ、ライナスが一目惚れしたあの令嬢か」と、レナードは口元が緩む。
「なにが悪いのか」
「いや、ライナスもついに春がきたのね」
「レナード、言い方が父様っぽいよ」
「しまった。伝染ったのか」
どうやらレナードはつい先まで父と会議を開いたらしい、と彼は推測した。
「それで、なぜレポートを読んでるのか」
事の仔細を話したら、レナードは熟考した。
「エングルフィールド辺境伯はうさんくさいね」
「なぜだ、ちゃんとイーストンを助けたじゃない」
「そこが怪しい。なぜそこまで手際よく援助できるのか。イーストン家とエングルフィールド辺境伯はそこまで仲がよろしくない、むしろ国王派と王妃派でいがみ合ったはずだ」
さすが頭脳派だ。ライナスは思った、自分とは大違い。やはり長男と次男の頭の出来は違う。
「ライナス、何事も剣のようにまっすぐというわけにはいかないからね」
「そう言ってもな、いきなり賢くなれるわけじゃないし」
「コツは他人を思うことだ。俺があいつならどうするのか、なぜそんなことをするのかを考えればいい」
「簡単にいう」
「ライナスもできるよ、俺より少し遅れただけだし、顔も頭もきっと同じさ」
「口がよく回る」
「それで、次にアデル嬢に会えるのはいつなのか、わかるか」
なぜかレナードが興味津々で聞く。
まさかレナードもアデル嬢に興味が湧いたのかと、ライナスはかすかに危機感を覚えた。
「そんな嫌そうな顔するな。俺はパーティーに出る暇なんてないよ」
レナードは彼の肩を何度も叩いて、微笑む。
「イーストン嬢は一度カドバリー家の長男を仕留め損ねたから、次回は彼女の身も危ないと思う」
「次回のパーティーでなにかあるというのか」
レナードの推測を聞くと、心臓が早鐘を打つ。
「わからないね。俺も調べていく。王妃派の勢力を広げるわけにはいかない」
疑問を増やすものばかりだ。
イーストン家はカドバリー家の盟友でもあるのに、なぜわざわざ敵対関係であるエングルフィールド辺境伯の援助を受けたのか。
なぜ次期領主を暗殺するような真似をするのか。
数日が過ぎたら、急にレナードから話があった。
どうやらアデル嬢はエングルフィールド辺境伯が主催するパーティーに出席する予定だ。
イーストン家の領地は最近流通が滞るようで、領主であるイーストン侯爵から苦情が出た。だが、エングルフィールド辺境伯の返事は一切なかったようだ。
嫌な予感がした。辺境伯はなにかを企んでるのか。
「アデル嬢は直接辺境伯に問いただすつもりか」
「気になるのなら、ライナスも出席するといい」
すると、レナードが何冊の本を彼の前に置いた。
「辺境伯とオルセン公爵が裏で繋がってる証拠もある」
本をめぐると、公費横領、不当徴税などの仔細があった。しかも、辺境の砦の修繕費だと称して、オルセン公爵に流れたみたいだ。
「俺に告発しろというのか。辺境伯はともかく、オルセン公爵を告発しても失脚しない。あの公爵は王妃様の親戚なんだろ」
「あくまで情報だ。どう使うのかはライナスに任せるよ。戦うにも武器がいるだろ?」
レナードはまるで悪党のように顔がほころぶ。ほんと、敵に回したくないタイプだ。
アデル嬢にそのことを話して、説得するしかないか。彼は本を見て、難しい顔になった。
「単にレナードがパーティーに出席したくないんじゃないか」
「――見抜かれたか」とレナードは爽やかに笑う。
「もう一回頼む。最近は忙しいから眠る暇もないんだ」
そこまで卑屈に頼まなくてもパーティーに出席するつもりだ。もう一度アデル嬢に会えるチャンスだ。見逃すわけにはいかない。
「今回だけだからな」
レナードが胸をなでおろす。『イーストン嬢の心を打ち抜いてこい』と言いながら。
あっという間にパーティーの日が来た。今度は前とは違って、準備は万端。
アデル嬢ともう一度会えるだけで彼の心が躍る。たとえもう一度剣を交えても受け止める自信がある。
会場までたどり着くのはそこまで時間がかからなかった。今度は長男としてじゃなく、ライナスとして出席した。
前の時と比べて、対応はあきらかにすこし雑になった。
彼も一応カドバリー家の一員だが、他の貴族からすれば、次期領主であるレナードほどの価値がないのだろう。
そのほうがいい。アデル嬢を探すのに、無駄の時間を費やしたくない。彼はまわりを見渡した。
すると、彼女の姿がすぐに見かけた。
前と同じ藍色のドレスで、なにかを探していた様子だ。彼女の目は辺境伯のところに止まった。辺境伯のまわりには大勢の人がいる。
その手の動きが庭園で彼と話したとき、いや、彼を攻撃した時と同じだった。
まさかここで辺境伯を殺すつもりか。
ライナスが慌てて彼女の側に飛び出し、強引に手を引いて会場から離れた。
「手を、放してください」
アデル嬢は走りながら彼の手を振り解こうとした。結局庭園にたどり着くまで、手は繋がれたままだ。
「なぜ邪魔するのです、カドバリー様」
夜風に吹かれながら、アデル嬢は彼を見て不満げに話した。やはり袖の中にナイフが潜んでいた。
「あの場で辺境伯を殺すつもりですか、無謀だ」
「私はただ任務を果たすだけです。たとえカドバリー様でも、邪魔すれば排除します」
「任務とはなんです」
「カドバリー様にわかるはずがありませんわ」
「領地のためなら、金がほしいなら、カドバリー家がなんとかすると約束しよう。こんな危ない真似をしなくても」
「今更。今更そんなことを言っても遅いです」
彼女の目に悲しみがたたえる。
「私はもう箱入り娘ではありません、殺し屋です」
「あの時、俺を殺していないんじゃないですか。ほかに誰かでも殺したというのか」
アデルは頭を振る。「心はもう違います」
瞳は冷え切ったまま、まっすぐに彼に突き刺さる。
「あなたがどんな人でも、俺は、あなたの剣さばきに心を奪われたんです。あなたが危ない真似をするなら止めますよ」
「い、いきなりそんなことを言われても」
彼女は視線を避けるみたいに逆方向に向けた。頭を垂れるその後ろ姿が華奢に見える。
「もう私の邪魔をしないでください」
彼女はことごとくライナスの言うことを拒絶した。危ないことをする理由すら聞き出せなかった、彼はただただ悔しかった。
いったいどうすれば彼女を説得できるのか。
彼女はすぐに庭園から後にして、彼ひとりだけが残った。
庭園を駆け抜ける夜風の冷たさが心に染みる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます