一目惚れした令嬢がアサシンで

五月ユキ

1.一目惚れした令嬢がアサシンで

 パーティーへ向かう途中、馬車の中で。ライナスはため息まじりながら執事の老人に不満をぶつけた。


「同じ顔だからってレナードに化けるわけがないだろ、次男と長男の頭は違うのだ」

「ライナス様、ごもっともでございます」


 ライナスは頬杖をしながら、窓の外を眺めた。夕方のおわりに近い。夜の帳がそろそろ降る頃だ。


 彼はカドバリー公爵家の次男である。次男とはいえ、実際は双子の兄より僅かに遅れて生まれただけだ。

 レナードもいつも彼に冗談っぽく言った。少し遅れて生まれたら弟になれるのに、頑張りすぎたのだと。


「何の準備もないのに、急に今夜のパーティーに出席してほしいと言っても」

「レナード様が体調不良になりましたので」

「きっとお茶会で食べたデザートのせいだ。おいしいおいしいと言って何個も食べたから」


 ライナスは自分に頷く。執事は彼の顔を見て口元が緩んだ。


「ほほっ、それもレナード様らしいですな」

「まぁ、それはともかく。今回のパーティーはきな臭い」


 今回のパーティーの主催者はオルセン公爵家だ。カドバリー家とは仲が悪い。

 しかも最近は別の貴族を手を組んでなにやらいかがわしい取引している。その取引のせいで、多くの貴族が罠にハマって没落していたと聞く。


 用心しないと足をすくわれるだろう、とライナスは隠し持ってた護身用のナイフを見た。

 兄の頭脳は素晴らしいが、剣術になると彼に勝てない。誰が攻め込んでも、確実に勝てる自信がある。


「ライナス様、どうぞお身体ご自愛ください」


 執事はライナスのナイフを見て、心配そうに目を配る。ライナスは『心配するな』と笑いながら親指を立つ。

 窓の外は風とともに熱気を感じる。パーティーの会場が近くにいる証拠だ。

 瞬く間に到着した。華やかな会場の中で、給仕係が目まぐるしく皿を持って、踊るように会場のあっちこっちにまわる。


「これはこれは、カドバリー様!」


 そのいやらしい甲高い声はオルセン公爵だ。

 遠くからでも彼の声が聞こえる。その一声のおかげで、ライナスはまわりの視線を釘付けた。


「オルセン公爵、お久しぶりです。またまた若輩者ゆえ、どうか名前で呼んでください」

「ほほほっ、レナード様、そう言わずとも誰もがあなたの活躍を知っていますよ」


 公爵が彼をレナードと呼んだ瞬間、彼はレナードになったのだ。


「俺なんてまだまだですよ」

「今日のパーティーは特別ですよ、ぜひ楽しんでください」


 公爵が去った後、ハエのように湧いてくる貴族たちと他愛もない話をしながら、注意深く観察したが、なにも起こらなかった。

 結構疲れた。兄のふりをして、貴族の惚気話や自慢話を聞くのは。心底長男じゃなくてよかったと彼は思った。


 会場の片隅でドリンクを持って一息つくと、いきなり誰かが彼の後ろをかいくぐった。

 ライナスは一瞬身の危険を感じて、振り向く。思わず呼び止めるほど、とてつもなく綺麗で上品の感じの令嬢だった。


「初めて見る顔ですね、お嬢さん」

「申し遅れましたわ、アデル・イーストンと申します。もしかして、カドバリー様、でしょうか」


 戸惑いを隠しきれずに女性は問う。

 茶色の髪と浅葱色の瞳、藍色のドレスとよく似合う女性だ。声が柔らかく、その振る舞いも上品さがにじみ出る。


 思わず見とれした彼は一呼吸を置いてから返事した。


「ええ、レナード・カドバリーです。こっちこそ挨拶が遅れて申し訳ない」

「いえ、どうかお構いなく。私はこういうパーティーには不慣れですので、いつも後れを取るのは常でした」


 ふたりはドリンクを持ちながら煌めく会場を見た。ダンスや雑談で皆は忙しく、この片隅だけがまるで切り離された別世界のようだ。


「お気持ちはわかります。こういう場合は息苦しく感じますね」

「そう、かしら。カドバリー様はこういう場合に慣れてると思いましたのに」

「慣れと不慣れがありますからね。無理なものは無理ですよ」


 アデルは不思議そうに彼を見つめた。


「無理なものはございませんわ。無理ならできるまで頑張ればよいのです」


 彼女の瞳は意志が宿ったようにきらめく。その光がさらにライナスのこころを惹きつけた。

 兄なら、慎ましやかな女性が好きなんだろう。兄として振る舞うのなら、さらに話しかけるのは無理そうだ。


 でも、せっかくのチャンスを逃したくない。少しの間だけなら、ライナスに戻ってもかまわないだろ、レナード。


「アデル嬢、少しの散歩はいかがですか」


 彼女はライナスを見て頷いた。喜んでの一言とともに。

 夜風がふたりを優しく包まる。蝉の声が全く聞こえない、静かな夏の夜だった。


「やはり外のほうがいいですね」

「カドバリー様は花が好きなんでしょうか」

「いや、俺は――」


 ここなら、兄のレナードに演じるべきなのか。それとも。もう少し様子を見るか。


「花よりも星空のほうが好きなんですね。あれを見ると、世界の広さを思い知ります」


 アデルは彼の視線につられて空を見ると、感嘆の声が漏れた。まるで星屑をちりばめた空をはじめた見たかのように。


「カドバリー様はやはり素敵な方ですわ」

「まだまだですよ、俺は――」


 話はまだ終わってないのに、身の危険を感じた。彼は反射的にナイフを持ち出して、敵意の方向に牙をむく。


「レナード・カドバリー様、お覚悟を!」


 ギリギリでナイフを防ぎきった。あの上品で華奢なアデルが、得物を持って、背後から死にものぐるいで彼を攻撃したのだ。


「アデル嬢、なぜ」

「言い訳は無用、カドバリーの次期領主に死を下す」


 何度攻撃してもライナスに防がれた。アデルは仕方なく間合いを取り、攻撃する時機を測る。


「いや、俺は長男じゃない」

「言い訳は無駄です」

「俺はライナス・カドバリー、兄の身代わりに来ただけです」

「ライナス・カドバリーだって?」


 彼女は信じられないようにライナスを睨んだ。


「自慢じゃないが、俺の兄はそこまで剣が上手くないんですよ――剣を捨てよう、アデル嬢。剣はあなたには似合いません」


 ライナスの言葉で、彼女は怒りと困惑が入り混じる複雑の顔をした。暫くの間、ナイフを見つめることしかできなかった。


「私には、そのナイフしかいませんから」


 ナイフを収めて、彼女は風とともに庭園から走り去った。彼だけを残して。

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