第2話 霊感
トレーラーの下敷きになって死んだはずの中学2年の私は、75歳の実さんが眠っている時の脳を拝借して覚醒した。甦ったという言い方はちょっと違うんだよね。生き返ったって訳じゃないし、生と死の接点が曖昧なんだよね。
今までの私は制服もちぎれて上半身が、特に左側は生焼けのハンバーガーみたいに道路でつぶれてしまったんだから中学二年で人生が止まったのは事実。
救急隊員のお世話になって病院で心肺停止を確認しなくても、戦争や災害の記憶と照合すれば助からない状態だって判断できた。
中学生なのになんで戦争を知っているのかって?
だって記憶があるんだよね。熱風の嫌な臭いとか、振り返りながら逃げた事とかさ、富士山の噴火も記憶している。確か江戸時代の元禄の次の年号だって学校で教わった気がする。
本当だって、うす暗い日が続いて雪よりもゆっくりと降る灰が町中を覆ったんだ。
知ってるっていっても正確には実さんの脳だけど、実さんだって年齢は75だから江戸時代は知らないはず、だけど恐竜も隕石も記憶している。
だから死も、何度もいろんなパターンを経験しているんだと思う。
むき出しになったひざの皿をつたって流れ出るどす黒い血を見れば、蓄積されたデータから、ああ私はもう助からないんだなって答えが出たんだよね。
それでね、死ぬんだなって覚悟した瞬間に不思議な事があったんだ。
フッとね、本当にフッと幼い頃からママが私をぶん殴っていた理由が解けたんだ。
これで晴れやかに絶命できるんだ。そう覚悟したけど、そうじゃなかった。
意識は続いているんだよね。消えないんだよ。死んだって区切りはなかった。
死ぬまで生きるんじゃないんだよ。使っていた器が壊れたら次に乗り替わりながら死なないだけなんだよ。
ただ、今度の自分を鏡で見て驚いたけどね。
おじいちゃんって、笑える。
トレーラーの下でゴミになった私はニュースで若いアナウンサーが、痛ましい事故ですなんて悲しそうな顔を作って言ってた。逮捕されたドライバーが曲がる時に死角になって見えなかったんだって。
私がこうして消えてないのに、私だった身体を焼いて骨にして墓に残して、泣いたり悲しんだり思い出したりするんだろうなって思うといたたまれないよ。
まあ風習だし、宗教によって儀式も様々だけど、数えきれないほど葬儀を繰り返してきたのは死んだらどうなるのか誰も知らないからだ。
弔辞や送る言葉の多くが天国に行ってもとか、空から見守ってねとか、言ってる方も聴いてる方も誰も答えを知らないからそんな呼びかけを繰り返しているんだよ。
でもさ、時々そういう通夜やミサで居眠りしてる人っているでしょ。その人には確実に誰かだった誰かが伝えてくれていると思うよ、実は死んでないんだよねって。
だから私も実さんに、脳を借りているお礼に死んだらどうなるのかを教えてあげようと思ってさ。試したんだよ。丁寧に図解までしてさ。
だけど本当に実さんには悪い事をしてしまったって反省しています。ハイ。
夢でちゃんと説明したつもりだったけど、やっぱり生きている人にとって死なないなんて説明されても信じられるはずがないよね。
実さんがまじめに説明すればするほど結果は悪い方に向かった。
クリーニング屋のおばさんが保健所に相談しちゃったから、地域の支援センターの担当者がボランティアだという若者と毎日のように様子を伺いにやってくる。
その度に実さんは丁寧に教えていたんだ。
「眠っている時も脳が忙しく活動しているのは生き物だった記憶のタスキを永遠に受け渡しているからで、鏡で確認している自分の姿は今の器でしかない仮の姿なんですよ。あなたもあなたも今は保健所の仕事をしているけど前はレタスを栽培していたり
侍だったり猪や鹿だったかもね。いつも誰かになって生きてきているんですよ」
実さんが熱を帯びるほどちゃんとは聞いてくれない。この二人だって、眠っている時は確実に誰かに脳を使われているんだけどね。
実さんには本当に申し訳ない事をした。
それから私は寝ている時に借用した記憶は、彼が目覚める前に消すようにした。
実さんには三人の娘がいて、みんな結婚している。長女に二人、二女に一人の子供がいる。母親が存命の時は娘たちはよく遊びに来ていたけど、今は小遣い目的で孫がたまに顔を出す程度だ。ゲームやおもちゃもない家で、退屈な孫たちは昭和の時代のアルバムをパラパラとめくる。二女の娘がモノクロ写真の中に自分を発見した。
「私が写ってる」
「それはひいばあちゃんだ。ジジのママだよ。子供が八人もいたからいつも忙しく働いていたよ。食事と洗濯に明け暮れていた。それに知り合いや近所の人たちからいろいろ相談されていたし・・・」
その夜、実さんの脳は記憶の扉が開きっぱなしだった。母親を思い出したせいだ。
これも教えてあげたい事だけど、母親の記憶に包まれ出すと、使っている器が死期って呼んでるゾーンに入ったって事なんだ。つまり私にとっては引っ越しシーズン。
母親と孫の顔がそっくりなのは脳力を受け継いでいたからだ。
実さんの母親はいわゆる視える人だった。
それを生業にはしていなかったけど、当たるって近所で評判になって九州から汽車で訪ねて来た人もいた。
対峙した相手の目の奥をじっと見ていた母親の記憶がある。
中学二年の夏休み前に学校で三者面談があった。並んで座った母親は担任と向き合っていた。生活態度や学力を一通り説明された。
「お母さん、聞いていますか」
担任が問いただしても母親は返事をしなかった。その時二人は初めて目が合った。
「もう帰ろう」
そう言って立ち上がった。担任は一点を凝視して固まっていた。
帰り道で母親がこう言った。
「無事に定年を迎える事しか考えてないようだけど、獣なんだからうまくはいかないって。大丈夫、次の担任に進学の事は相談するから」
二学期に新しい担任になった。夏休み中に卒業した生徒数人やその母親多数と関係を持ち薬物にも手を出していた。
結婚する時も娘が三人誕生する事まで見越して祝福してくれた。
そして実さんは能登に旅行に行った時、母親が海岸の足湯で話していたことを今になって思い出した。
打ち寄せる波のように今度はあなたの娘の子になってまた会える日が来るから。
確かにそう言っていた事を。
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