遠くの花火
「ねえちゃん、見ないの?」
遠くで、夜空に花ひらく音が聴こえた。
隣町の花火は、丘の上に建つうちのベランダからもよく見える。弟のりんたろうは、ソーダ味のアイスキャンディを咥えながら、ベランダの手すりに身を乗り出していた。
「ねえってば」
りんたろうは、花火からは目を離さずに返事のない私を呼んでいる。
始まっちゃった。さっきなっちゃんとりょうすけのグループメッセージで「風邪をひいた」と一芝居うってから、もうそんな時間が経ったんだ。
ベットに沈んでいた体を起こす。せめて見届けよう。ベランダに出ようとすると、本棚の上に置いてあったラムネの空瓶が目に入った。あの縁日の日からなんとなく残しておいたものだ。手に取ると、中のビー玉がカランと心地いい音を鳴らす。このラムネ瓶も一緒に花火を見せてあげよう。
ベランダに出ると、りんたろうの横へ一緒になって手すりに身を乗り出す。冷房の効いた部屋に居たからか、夏の暑さがこれみよがしに絡みついてくる。
「きれいだね」
「別に?」
そう言いつつもりんたろうの目は、キラキラと輝いている。この子は小さい時から花火が大好きだった。りょうすけと花火大会に行っていた時も、りんたろうが誰よりもはしゃぐもんだから、それがおかしくってふたりして笑ってたなあ––––
「ねえちゃんはもうりょうくんとは行かないの?」
「へ?」
どきりとした。私の心を見透かしたようなりんたろうの問いにすっとんきょうな声が漏れてしまう。
「いや……なんで?」
「えーだってねえちゃんが小学校の頃とか一緒に行ってたし。この前の神社の祭りだってふたりで行ったんでしょ?」
「あー……今年はだってほら受験だし? お母さんも言ってるでしょ? 遊んでる場合じゃないって」
「でも結局勉強してねーじゃん」
「うるさい」
りんたろうは妙に勘のいいところがある。何かそういうことを感じ取る器官が発達しているんだろうか。うらやましい。ついでに永遠に終わらない夏休みの宿題も思い出してしまった。
決まりが悪くなって、手に持ったラムネ瓶をカランと鳴らす。
「そう言うあんたは行かないでよかったの?」
「あー、友だち誘ったんだけど、暑いからやだって。その代わり明日その子のうち泊まりいく。あ、ゲーム持ってくからね?」
「ふうん。現代っ子め」
そうこう話しているうちに、花火も数が増えて盛り上がってきた。終盤に差し掛かってきたのだろうか。りんたろうも口数が少なくなって、鮮やかな花火に見入っている。遠くからでも、迫力は十分だ。
今ごろ、ふたりはどうしてるかなあ。りょうすけは最後の一発で告白するって言ってたし、ずっとそわそわしてるんだろうな。わたしだったら、そんなりょうすけに気づいて、からかったりして、その後に、わたしだったら––––
わたしだったら、良かったのに。今りょうすけの隣にいるのが、今日告白されるのが、りょうすけの好きな人が、わたしだったら良かったのに。
ずっと好きだった。いつからかも分からないほどずっと前から。ずっと好きだった。それがどういうことか気づかないほど当たり前に。ずっと好きだった。これからもそうなんだろうなと、なんとなく分かってたはずなのに。
どうして言わなかったんだろう。「好き」だって。そりゃ恥ずかしいし、フラれたらどうしようとか考えたけど。ずっと先延ばしにしていた。ずっと「いつか」と思っていた。そういう気持ちを自分の中で、茶化して、蓋をして、真剣に取り合わずに、もう手遅れになってから後悔するんだ。
色とりどりの光の粒が、夏の
一瞬、花火がピタリと止んで、静かになる。その静けさを、ヒューと切り裂く音がひとつ。
一番大きな光が夜空に花開いた。眩しく、きらびやかに街を照らし、パチパチと余韻を残してゆっくりと散っていく。まるで誰かを祝福しているかのように。
「終わっちゃったね」
静寂のまましばらく経ったあと、隣でりんたろうがつぶやいた。
「あれ? ねえちゃん泣いてるの?」
りんたろうは、わたしの顔を覗き込み、ニシシと笑う。咥えた木のアイス棒がいたずらっぽく揺れる。
「泣くほどきれいだった?」
「……そうだね、きれいだった」
涙を拭って、そう言い返すので精いっぱいだった。
花火が終わってから、ひとりでぼーっと夜空を眺めていた。ふと、背後の部屋の奥でスマホの通知音が鳴る。りょうすけだろうか、なっちゃんだろうか。りょうすけは上手くやれたのかな。なっちゃんはどうやって返事したのかな。今はあまり知りたくない。メッセージを見るのも後でいい。もう少しこのぬるい夜風に当たっていたい。
手元のラムネ瓶をカランと鳴らす。涼しげな音も、少し寂しい。なんとなく、ベランダの手すりにもたれていた腕を外に伸ばし、空中で瓶を逆さに持ってみた。
瓶の中のビー玉は、飲み口の手前につっかえる。左右に小さく振ってみる。ビー玉は力なく揺れ、ちらちらと輝く。この輝きには見覚えがあった。夜空を見上げて輝きの主を探し、もう一度ラムネ瓶を透かしてみた。さっきまで花火に隠されていた月が、瓶の中のビー玉を慰めるように照らしていた。
<おわり>
ビー玉 綴ブチ斜劇 @closedrimshot
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