第16話 『初でえと――VS美の女神』

「これは――だめ」


 まただ。

 六度目の否定が鼓膜に届き、私の脳を揺らす。

 泡を吹いて膝から崩れ落ちたい気分を必死に抑える。

 彼女の言葉は酷くストレートだ。

 こう言ってしまっては失礼極まりないのだが、彼女の声は――人の一人や二人くらい殺していてもおかしくないほど冷え切った、刃物のような切れ味をしている。


 こちらの提案を遠慮がちに、やんわり否定してくるお客様はそう珍しくない。

 しかし、彼女は『だめ』だと言う。

 六度、私は『だめ』だと言われる。


 上半身の曲線美を生かしたタイトなリブニットに、彼女の足の長さを生かしたロングスカートも、細身でロング丈のコートも、ブラウンベースのドットワンピースと合わせたもこもこ感のある白のプードルファーコートも、何もかも――だめ。


「瑠衣……全部かわいかったぞ? いったい何がだめなんだよ?」

「…………」


 私に気を使ってか、チラチラとこちらの様子を窺いながら、難攻不落の女神にこれまでの試着について何が不満だったのかを訊いてくれる。

 それすら、今の私には殴られたかのように感じられた。

 

「透真、こっち」


 言いにくそうにしていた彼女はついに彼に向かって、試着室のほうへ来るように手招きをする。


「え、いや、でも俺、服のこととかさっぱり――」

「いいから」


 ファッションセンスの有無を理由に断りを入れる彼を、彼女は強引に引っ張って試着室へと引き込む。

 二人で入るには狭すぎる試着室に取り付けられたカーテンがもぞもぞと揺らめくのを、私はただ眺めているしかなかった。


「――うおっ……おまっ」


 彼の何かに驚くような声が耳朶を打つ。

 

「だから……」

「あー……分かった」


 男のほうが若干青ざめたような顔で試着室から出てくる。

 私に何か言いかけて、しかしよほど口にしづらいのかひらいた口を噤む。


「ちょっとお店見て回ってもいいですか?」

「……あっ、ええ、構いませんよ」


 女神から拒絶されたのだと、私は瞬時に理解した。

 このモブに私のセンスの無さを指摘して、代わりに自分好みの服を持ってくるよう言ったに違いない。

 

 私の惨敗を見て憐れむ弟子の姿が目の端に映る。

 涙を浮かべ、一緒に悲しんでくれる同志に今すぐ泣きつきたい衝動に駆られる。


 ――しばらくして男が一着の服を手に戻ってきた。

 そのまま試着室のほうに手を突っ込んで、見繕ってきた服を渡す。

 

「ありがと」


 中から聞こえてきた彼女の声は、今までのように端的ではありながらもぬくもりが感じられて、すぐに気に入ったんだと直感で理解した。

 

 ――私、何してんだろ。


 彼女の人となりを知っているとはいえ、モブ顔の冴えない男が選んだ服が一発合格で、十数年アパレルに、この業界に惚れ込んで人生を捧げてきた私がまったく女神の琴線に触れることができないなんて……。


 やがて試着室のカーテンが開かれる。


「――どう、かな?」

「うん、よく似合ってる。ってか何でも似合いすぎてヤバい」

「もう……っ」


 そんなバカップルさながらのやり取りを見て、私はようやく自分の誤りに気づいた。


 腰まで覆うようなだぼついたパーカー。

 彼が勧めたのは男ウケのしそうな――いわゆる萌え袖というやつだった。

 彼女の完璧なスタイルをすべて隠してしまう、ゆるゆるのパーカーにボアの付いたショートパンツ。

 煩悩に溢れ、男の趣味全開の格好にそれでも私は、


「――そっか……」


 小さく納得する。


 そもそもあのモブが言っていたではないか。

 試着のたびに、そしてついさっきも。


 ――何でも似合う。


 そうだ、そんなこと私だって分かっていた。

 その上で、トレンドや彼女の体型に合わせたもっとも映えるコーディネートをしたのだ。


 しかし、私が間違っていたのはそこではない。

 私のセンスなんかではなく、私が選んでいる時点で――つまり最初から間違っていたのだ。


 彼女の見目麗しい外見にばかり目が行って、ヴィーナスなどとはしゃいでいた自分が恥ずかしい。

 彼女はただの恋する女の子だということに、どうして気づかなかったのだろう。

 思い返せば彼に手を引かれて来店し、彼の後ろに付いてきていた彼女はどう見たって恋人のそれであった。


 ――客商売における観察眼を鈍らせた自分が悔しい。


 何を着ても似合ってしまうような子なんだ。

 彼氏に選んでもらった物が着たいに決まっているじゃないか。

 私がお声を掛けた時点で、すでに勝敗は決していたのだ。

 いや、もとより勝負なんてしていなくて、すべては私の独り相撲だったのだ。


 彼女は彼の絶賛を理由に購入を決めたようで、元の制服に着替えてレジ前にいた。

 私は彼女の帰りを待っているモブ顔の彼氏に向かって、


「彼女さんとても美人ですね」

「いやー、分かります? ほんと、あの子が俺の彼女なんて未だに夢見てる気分すよ」

「恐縮ではございますが、彼女さんは私たち凡人とは違う存在のような気がするんです」

「い、いやいやいや!? そんなことっ……何を根拠に――」


 何をそんなに焦っているのか分からないが、彼女とお付き合いしているということがどれほどすごいことなのか理解していないようなので、私は老婆心を働かせてアドバイスする。


「余計なお世話かとは思いますが、あんまり適当な扱いをしているとすぐに遠くに行ってしまうので、手放さないよう大切にしてあげたほうが良いですよ」

「うーん……いきなり耳の痛い話っすね。まあ、たしかにそうかもしれないですけど――」


 彼は彼女のほうをまっすぐに見つめて、


「あの子のためなら俺――命懸けられるんで……。もちろん死にたくはないんですけど」


 そう言いながら照れくさいのか、はたまた情けないとでも思っているのか苦笑している彼を見て私は絶句する。

 バカップルのそれでは到底言い表せられない覚悟が、垣間見えた気がしたのだ。

 彼のことすら私は、モブなどと勘違いしていたのだろうか。

 勝手に親近感を抱いて、大人ぶった助言なんてしてしまった自分が恥ずかしくて仕方ないし、同時に羨ましくもあった。


「――にしても、瑠衣のやつ遅いな? なんか店員さん困ってね?」


 そう言って彼女のほうへと駆け寄る彼を見ながら私は、


「――私も恋、してみたいな」


 三十路をすぎた自分がとうに失っていたはずの願いを。

 自分から捨てたのだと言い聞かせて納得した気になっていた想いを。


もう一度――思い出すのであった。






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