第21話  『謹慎明け』

 初デートから数日。

 今日は謹慎明けで久しぶりの登校だ。

 謹慎が明けるまで一週間以上あったが、単位を落としたくない俺は瑠衣に、先生から渡された課題が溜まっているので、しばらく会えそうにないことを説明して今に至る。


 妹は瑠衣と一悶着あったようなのだが、あれから雨降って地固まるといった具合で和解したみたいだ。

 『瑠衣ねぇ』、『柚乃』とフランクに呼び合うほど気心知れた仲にまでなったようで、俺が課題をやっつけている間も二人で遊びに行ったり、夜通し通話していたりと仲睦まじく過ごしていたらしい。

 また、柚乃は瑠衣に欠けていた一般常識を教えてくれている。どうやら柚乃が持ちかけたのではなく、瑠衣が妹に教えを請うたとのことで、俺としては彼女が日常に溶け込もうとしてくれている嬉しさで胸がいっぱいであった。

 なにより、彼女を寝取られたようで複雑な気分だが、俺以外に気を許せる友だちが瑠衣にできたのはとても微笑ましいことだった。


 そんなことを思いながら、例に漏れず朝食抜きでボロアパートを出ると、これまた例に漏れず目の端に美少女が映り込んだような気がして――。

 

 ――瑠衣が佇んでいる。

 シワ一つないブレザーの制服を学生離れしたスタイルで着こなし、背筋を伸ばして姿勢よく待機している。

 入学当初から見慣れた彼女の佇まい。

 しかし、そこに付け加えられた微かに浮かぶ笑顔だとか、視線からにじみ出る優しさだとかいった部分から感じ取れる好意。

 それらを俺に向けてくれている、しかも自意識過剰とかではなく本当に向いているという事実にまったく慣れることなんてなくて……。


 以前は路傍の小石でも見るかのごとき冷めた目つきでこちらを見てきたのに、今は好意がはっきりと感じられる。

 前髪を気にするような素振りなんて、前は決してなかったはず――。


「アンタに会うために待ってたわけじゃないんだからねっ」


 ツンもデレもない棒読みのセリフに、俺は思わず後退あとずさってしまった。

 ……どうやら柚乃が何か吹き込んだみたいだ。

 柚乃仕込みの、予想外の言葉に思考が付いて来られなかったのだ。

 俺が瑠衣のツンデレ風『おはよう』に対して返す言葉を見つけられずにいると、


「……おはよっ、透真」

「お、おは……よう」


 照れたような、控えめの笑顔を浮かべて言い直される。

 普通の挨拶でここまで男を魅了するのも彼女だけだろう。

 初デートのときに聞いたはずなのに一生慣れる気がしない。何度でもときめく自信がある。


 そして瑠衣と一緒に登校している最中。

 俺の隣にピッタリと寄り添って付いてくる彼女のほうを見ると、やっぱりいつ何時なんどきであっても目がかち合ってしまう。

 首が疲れないかと聞きたくなるくらいに、瑠衣の視線が俺に固定されているということだ。

 以前と対して変わらないのは、自発的に会話をしようとしないことくらいだろうか。ほぼ聞き役に徹している。

 

 世間話のような雑談なんてしたことがないのではないかと思うくらいの無口っぷりである。

 あるいは俺の振る話題がよほどつまらないものである可能性の二択である。

 そもそも男女間で喋る共通の話題というカテゴリーの引き出しが空っぽの俺が、週間少年誌の話をしている時点でネタのチョイスとしてはなかなかアウトな気がしないでもない。


 そんなことを考え出すと不安は募る一方で、気になって会話できなくなってしまう前に瑠衣に訊いてみる。


「もしかしなくても、つまんなかったりする?」


 瑠衣はふるふると首を横に振って、こっちの魂を揺さぶるような笑顔を振りまいて、


「もっと聞かせてほしい。タイトル覚えて、あとで全部買い揃えるつもりだから……」


 ……この子、健気すぎんだろ。


 ***


 学校に到着してみれば、俺に向けられる視線の多いこと。

 どうやら、悪評極まった様子で校内中に広まっているらしい。

 それでも特別何かちょっかいをかけようなんて輩もいないみたいで、久しぶりのホームルームも授業も滞りなく進行していく。


 ――しかし時が経っていくにつれ、とある変化がクラス中の生徒の目に留まるようになる。

 ……瑠衣は俺以外に対してまで態度を軟化させたわけではない。

 つまり相変わらず、地蔵のような不動っぷりで愛想なんて皆無である。

 では何が変わっているのか。


 何も得意げに語るようなことではないのだが、俺はまごうことなきフツメンである。決して男が羨み、女が見惚みとれるような顔の造作ぞうさくはしていない。

 それなのにも関わらず、いつ左斜ひだりななめ前を見ても瑠衣の優しさ溢れる眼差しに出会ってしまう……。

 入学当初から俺が瑠衣に向けていたはずの視線を、逆に向けられる立場になるなんて……どうにも落ち着かないものである。

 時折、前の席に座っている俺のマブダチもとい腐れ縁の、風間海斗かざまかいとが『朝香さんと何かあったのは聞いてたけど、そこまで進んでたわけ!?』とでも言いたげな複雑怪奇なアイコンタクトを送ってくるのも手伝って、心の安寧はもうどこにもなかった。


 昼休みになり、謹慎以上の悪目立ちをして居たたまれなくなった俺は、ぎこちなく席を立つ。ほぼ同時に立ち上がり、付いてこようとする瑠衣に「トイレだから、待ってて」と言い残して、クラス内に漂う空気感から逃げ出すように廊下へと出る。

 別に嘘をついたわけではなく、出すものはしっかりと溜まっていたのでそのままと便所へと直行。

 様式便器に座り込み、長めの物思いに耽る。


 ――柚乃はいったいどんな一般常識を教えたのだろうか?

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