第20話 『ブラコンな妹、柚乃の尾行録』

 ――早朝、聞いていた待ち合わせの時間より早く、お兄ちゃんが静かに玄関ドアを開けて出て行った。

昨日もそうだったが、あのお兄ちゃんがひけらかすようなこともせずにコソコソと……きっとろくな女に違いない。

 援交? レンタル彼女? ママ活?

 どれであってもロクでもないことには違いない。


 ――私は妹として、お兄ちゃんを尾行することにした。


 ***


 お兄ちゃんが出ていってすぐに、時間差で家を出て電柱の裏に隠れて様子を窺う。

 自宅を出てすぐのところで、お兄ちゃんの目当ての人が待っていた。


 ――あれが、彼女!?


 制服を着ていて着飾っているわけでもないのに、モデルか何かかと思うほどの魅力で、とてもお兄ちゃんに釣り合っているとは思えないほどの美人だった。

 鼻の下を伸ばしきったお兄ちゃんは、どうみても相応しいとは思えない。


 急にこちらへと猛ダッシュしてくる兄。

 何事かと思いきや自宅へと戻って数分。

 出てきたと思ったら制服を来ているではないか。

 私の不在に気づいた様子はなく、再度彼女の元へと走っていく彼を見て、私は底知れぬ憤りを覚える。


 私が昨晩気を回して、海斗かいとにぃに頼んで用意してもらった私服をあっさりと脱ぎ捨てる薄情っぷり。

 どこを取っても、いつものお兄ちゃんと雰囲気がぜんぜん違う。


 ――きっとあの女のせいに違いないわ!


 ***


 その後も、私の二人に対する不信感は募っていくばかりだった。

 ショッピングモールでお金を払っていたのは全部お兄ちゃんだったし、公衆の面前でイチャイチャと悪目立ちして、身内として見ていられない光景ばかりだった。

 ショッピングモール内にある映画館内まで付いて行った私はポップコーンを片手に持ってヤケ食いしながら、ベンチに座って雑談している二人を眺めていた。


「え、なんでこっちに――っ!?」


 もさもさとポップコーンを頬張りながら、さっさと解散しろとか考えていたら女のほうがこちらへと近づいてきて、


「何よアンタ!? ちょっ、離して――っ」


 服の襟をつままれて、足が宙に浮き上がる。


 ――どんな腕力してんのよ!?


「この声……?」


 お兄ちゃんまで近寄ってきて、尾行終了のお知らせ。

 

「むっ、やっぱり知り合いなんだ……どういう関係? 場合によっては――」

「いや、頬を瑠衣がむくれるようなけしからん関係ではなくってですね……」


 ていうか、場合によってって何なの!?

 絶対にロクな答えが返ってこなさそうだから聞かないでおこうかしら……。 

 お兄ちゃんも似たようなことを思ったのか、スルーしている様子である。


「――ちょっと! この女なんなのよ!?」


 何もかも気に入らない、そんな怒りをぶつけてお兄ちゃんに問いただす。

 しかし私とは裏腹に、呆れた表情のお兄ちゃんは自分を持ち上げている女に向かって、


「とりあえず、下ろしてやって? んでもってワケを聞こう」

「ん? もう怖くないの?」

「ああー……それね――俺の妹」

「ふむ、妹か……妹!?」


 女が私を二度見する。

 顎のラインまできれいな顔が私を見つめていて、とても劣等感を煽られるがまだまだ私だってこれから伸びるはず……と自分に言い聞かせる。


「そう、柚乃ゆのっての。いつか紹介しようかなと思っていたんだけど……」

「だから、殺気がなかったんだ……」

「いや、その納得の仕方はどうなんだ?」


 『さっき』って何?

 ホント意味わかんない。

 意味不明なのにお兄ちゃんは楽しげだし、マジでむかつく。


「――ってそんなことより、さっさと下ろしなさいよ!?」

「あ、ごめんなさい」


 間の抜けた謝罪とともにゆっくり下ろされる。

 地面に足の付いた私は、削がれた怒りをなんとか取り戻してお兄ちゃんの横に立つ女にぶつける。


「だいたいアンタね――」

「まあ落ち着けよ、いったいどうして……」

「どうして!?」


 こちらの気も知らずに駄々っ子でも見るかのような適当な宥め方をしてくる兄に対しても腹が立っていた。

 そんなことも分かんないのか。

 いや、分かんないか。

 それがお兄ちゃんだ。


「あのね! こっちがどういう思いでお兄ちゃんを見送ったと思う!?」

「いや、見送るどころか付いて来てるんだけど……」

「屁理屈言わないで!」

「えー……ごめん」


 お兄ちゃんの気の抜けた謝罪はこの際無視である。

 ここに兄妹喧嘩をしにきたわけではないのだから。


「私はお兄ちゃんを返してもらいに来たの!」

「何言ってんの、柚乃ちゃん!?」

「お兄ちゃんが喋ると話が進まないから黙ってて!」

「いや、そういうわけにも……」


 お兄ちゃんがなおも私に食い下がろうとするが、無言でそれを制したのは彼女であった。


「柚乃さんは私に用がある。透真が口を挟んではいけない」

「……分かったよ」


 なんでそこは素直なのよ!?

 大人しくベンチまで戻っていく忠犬のような兄を見て、私はさらにイライラを募らせていく。

 とはいえ、これで目の前の女と気兼ねなく話せるわけだ。

 私は顔を上げて、お兄ちゃんと同じくらいの背丈をした女と目を合わせる。


「アンタは――」

「瑠衣」


 有無を言わさず、名前で呼べと短い圧が飛ばされる。

 いちいち言葉や態度が常人離れしている気がして、私は反論する気もなく呼び方を改めることにした。


「――っ瑠衣さんは、いったいお兄ちゃんのなんなの!?」

「彼女よ、子どもは五人産む予定」

「…………たっ、ただのへ、変態じゃないっ……!?」

「……?」

「いまさらかわいく首を傾げたって無駄よ! この……っどへんたい!」

「そう、あなたたちって本当に家族なのね」


 どこに納得を得たのか分からないが、今はそれどころではない。

 こんな痴女がお兄ちゃんの初恋なんて、性癖歪みまくりじゃない……っ!?


「だいたいっ、付き合って日も浅いのに男を試着室に入れたり、プリクラで抱き合ったり、胸押し付けたり、性の乱れも大概にしなさいよ!?」

「…………もしかして、私は普通じゃない……?」


 痴女呼ばわりされて怒るかと思いきや、そんなことを聞かれて私の舌はヒートアップしてしまう。


「はあ? まさか無自覚ってわけ? 知んっじらんない!」

「そう、普通じゃないんだ……」


 どうやら彼女は『普通』に拘っているようで、どうにも会話にかかっている熱量が違いすぎる気がした。

 端的に言って、怒っているのが馬鹿らしくなってきたのだ。


「ちょ、ちょっと、そんなに落ち込むことないじゃない……」

「でも私が普通じゃないから、柚乃さんはこうして怒っている」

「ちがっ……う」


 ではなぜ自分は腹を立てているのか。

 考えて、自然と目線が行くのはベンチにお座りしている駄犬の姿。

 そして昨晩、自分が呟いた独り言が想起される。


 ――『あーあ……取られちゃった』


 私は……深呼吸する。

 

「普通じゃないのは私だ……」


 羞恥心の混じった自嘲気味の笑いが漏れる。

 ほんとに。

 何言ってんだか。何怒ってんだか。


 目の前で落ち込んだままの彼女はこの状況に気づいていないのだ。

 瑠衣さんもそれなりに普通ではないんだろう。


 ――普通……デートに付いてくる妹なんて、いないって。


「ごめんなさい……」

「……なんで瑠衣さんが謝んのよ」


 謝らなければならないのは私の方だ。


「私がもっと普通にしていれば、柚乃さんを泣かせなくて済んだはずなの」

「泣いっ、てなんか……ないわよっ!」


 普通じゃないのは私の方だ。


「それでも、透真が好きなの。私は……透真と離れたくない」

「そんなの……っ」


 私だって、そうだ。


「でも、柚乃さんと喧嘩したくない……仲良くしたいっ」

「……っ!?」


 ……なんで抱きついてくんのよ。

 なんで私と仲良くしたいなんて言えるのよ。

 アンタなんか……っ。


「アンタなんか――だいっきらいなんだから!」


「……ありがと」


 耳元で囁かれた言葉は私が向けた言葉にふさわしくなくて、


「なんでそこでお礼言ってくんのよ、ばっかじゃないの!?」


 私はいつぶりか分からないくらい大泣きしてしまった。


「――ちょっと!? 二人してこんなところで何してんの!?」


 ――兄の困惑ぶりが面白くて、少し声量を上げて泣いたのはナイショの話。

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