第22話 『痛いものは痛い』

 そもそも、瑠衣は普通の女の子とやらを目指しているが本当にそれでいいのだろうか。

 彼女の立ち振る舞いは以前とはまったく異なっている。

 無論それはかわいくて、いじらしくて、男心をくすぐるものなのだが……。

 そうやって彼女が日常に溶け込んでいくほどに、今まで研ぎ澄まされた刃が錆びてしまうのではないだろうか。


 ――もしもこの先、瑠衣の過去が彼女自身に襲いかかったとき、以前のような無双っぷりを発揮できるのだろうか。


 しかし、彼氏なりに心配したところでチンピラ相手の喧嘩とはワケが違うわけで、まさかまさか『俺が守ってやる!』なんて軽々しく宣言するわけにもいかず……。

 こんなところで、いくら頭を捻ったところで――、


「出るわけねえか……」


 いつのまにか便意までも立ち消え、神妙な面持ちで個室を出ると身体を押されて、元いた便座へと戻される。

 ちらっと視界の隅に見えたカラーコーンと、目の前の光景を結びつけて、なんとなくヤバい状況だと感じつつも俺はあえて聞いてみることにする。


「――え? っと、あのー」


 気がついたら、女子二人組に見下されていた。


「七城――と……? ここ……男子トイレなんだけど?」


 金髪縦ロールがトレードマークの七城舞音ななしろまのんと……名前を思い出せない取り巻きに対して、俺は穏便な態度で接してみる。

 入る個室を間違っていますよ――と優しく教えてあげたつもりだ。

 しかし、二人の眉間のシワは深まる一方である。

 あまりの形相に――女の人の怒り狂った顔って、こんな風になるのか……と変な感心を持ってしまっている。


「アンタのせいでこっちはひどい目にあってんの」

「どう責任取ってくれるわけ?」


 七城の言葉を引き継いで、取り巻きの一人が俺を糾弾してくる。

 しかし、彼女たちの言い分よりも気になる点が一つ。


「お前ら――一人足りなくね?」

「黙れ!」

「ぶっ殺すぞ!」


 三位一体だったはずの彼女たちがどういうわけか分裂している。

 ただそのことが気になって所在を聞いたつもりだったのだが、どうやらその質問こそが彼女らの逆鱗だったらしい。


「お前がおかしなマネしたせいでっ、こんなことになってんだろうが!」

「いや、あんま言いたくないけど自業自得だろ?」

「はあっ!?」

「今なんつった!?」

「ホントのこと言われたからって、そんなキレんなよ」


 一人足りない事情が伝わってこないが、はっきりしているのは瑠衣を庇ったあの日が絡んでいるってことだ。

 であるなら、自分の口からポロっと本音が漏れてしまっても仕方がない。

 瑠衣や一輝さんたちのような人と出会ったあとで、丸腰の連中に凄まれても危機感が湧かないのだ。

 今は、デザートイーグルやサブマシンガンの銃口を向けられているわけではない。

 腕に負った傷の、かさぶたのできた勲章の前では取るに足らない相手である。

 どうせ殴る蹴るが関の山なのだから――、


「がっ――は」


 間髪入れずに、固く握りしめた拳で七城に頬を殴られる。

 衝撃に頭を揺さぶられ、視界がぐるぐると回る。

 

 ――痛いものは痛い……っ。


 いくら精神面が鍛えられても、痛みはごまかせねえっ!?

 口切ったし、血の味するし、ただただ痛い。


「一発でへばってんなよ。これからじゃん――」


 しかし、待てど暮らせど後に続くセリフも二発目もなかなかやってこない。

 これ以上顔を殴られたら保たないと思って覆った腕をどけると、目の前には――。


 右手で七城の腕を後ろ手にねじり上げ、同様に左手一本で取り巻きを押さえ込んでいる瑠衣の姿があった。


 二人して逃れようと懸命にもがいているが、壁に体を押さえつけられて満足に身動きが取れないようだ。

 取り巻きなんかは、瑠衣との力の差に慄いて、汗と涙と溶けた化粧で顔面をぐちゃぐちゃにしている。

 「放せよ!」と言ってジタバタと暴れているのだが、瑠衣ももがいているはずの彼女自身も微動だにしていないのだから、怖くないはずがない。


「――静かにしなさい」


 ただの警告。

 瑠衣の抑揚のない、場の騒々しい雰囲気にそぐわない静かな声音に込められた確かな殺気が、七城たちの威勢を殺す。

 喚き声がピタリと止んで、トイレ内を静寂が支配する。

 声を出す気力すら失ったらしい二人に瑠衣が視線をやる。

 俺も二人同様に様子を窺うことしかできなかった。


 数秒の沈黙ののち、ヒヤリと冷気にも似た声音が、


「以前は黙っていた――しかし、今回ははっきりと貴様らに言っておかねばならない」


 重要なことだと、よく聞けと言わんばかりに一拍置いて告げる。


「――いいか、二度と透真に近づくな。今度、私の大事な人に危害を加えてみろ。……こんなものでは済まない」


 そう言って、床に散るのは一房の金髪。

 

「――次は殺す。必ず、確実に、殺す」


 ゆっくりと静かにそう言ってのける瑠衣の声は、先ほど俺に向けて放った七城のような脅しとは全然違う。まして、同い年の女の子が口にした言葉だ。

 ――そのはずなのに、俺も彼女たちも脅し文句や冗談だとは一切思わなかった。瑠衣が声を荒げないのは、声量で威嚇する必要をまったく感じていないからだと瞬時に、頭より先に身体が理解していた。


 そこらへんのチンピラが抱く殺意と、それを押し留める理性から出る脅し。

 そんなものは瑠衣には存在しない。

 本気か否か。半端な殺意なんてあるわけがないのだ。


 もはやこの場における雌雄は決していて、七城たちは不良なんてやっている場合ではなかった。

 怯えからくる震えでかちかちと歯を鳴らして、抵抗する様子など微塵もない。

 何度も喉を鳴らして生唾を嚥下し、なんとか喋ろうとするも声にならないまま数十秒。

 汗やら何やらでドロドロな顔面の取り巻きがようやく喋る。


「――わっ、わか、わかりましたっ」


 瑠衣は微かに頷いて、未だ返事のない七城のほうを見る。

 しかし、酷く恐怖しながらも七城は、


「いて――どいて、離して!」


 強気に自分の拘束を解くよう瑠衣に言ってのけた。

 わずかな静寂。

 瑠衣のほうに目をやると一瞬ではあるが……何やら考え込んでいるように見えた。

 

 やがて、自由の身になった七城が腰の抜けた取り巻きに肩を貸して、這々ほうほうていで退散していくのを見送って、瑠衣がこちらに向き直る。


「大丈夫?」


 便器に座り込む俺に、優しく微笑んで手を差し伸べる瑠衣の声音に抑揚が戻る。

 とてつもない温度差である。


 ――なんにせよ、彼女の内に秘めた刃は鈍ってなどいなかったのだ。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 筆が遅くて申し訳ありません!

 このところ忙しくて、まとまった時間が取れずエトセトラ……エトセトラ……。

 

 遅筆でも絶対にエタりはしませんので、面白いと思ってくださった方は小説のフォローと評価(☆→★)をお願いいたします!

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