第12話 『お兄ちゃんには春が来たっぽいんだけど……』

「――彼女でもできた?」


 なんとなく頭に浮かんだことを言ってみただけ。

 返ってきたのは歯切れの悪い返事にもなっていないものだったが、私は織史透真おりふみとうまの妹――柚乃ゆのとして生きてきて十四年。

 この反応は間違いなく、デキてる。


 だから私は一世一代の兄の晴れ舞台を応援しようと、ノリと勢いで決めたのだ。

 そう思っていたのも束の間で――、


「もう制服で良くない? だって――」


 そもそも服がない。選択肢がない。

 スウェットが論外で他には制服しかないのだから、当然だ。


 ――だいたいっ! 私に好きな服を着ろ、遊び盛りなんだから我慢するな、これで好きなものを買えって事あるごとにお金を渡してきて、その上私が寝静まったのを見計らって、財布にこっそりお金を継ぎ足しに来て……。


 そんなんで、自分の服が買えるわけないじゃん!


「そうだよなあ……」


 そんな私の行き場のない憤りを知ってか知らずか、呑気に納得するバカお兄ちゃん。


「あのねえ、お兄ちゃん……」


 金の無心くらいしなさいよ!

 私の財布に、毎日千円ずつ継ぎ足してるのはお兄ちゃんなんだから、少なくとも今月、今現在私の手持ちがいくらあるのかは知っているはずで……。

 それに、私だってファミレスでバイトしているのだ。


 私だけ、知らないふりをして悠長に遊ぶなんて、買い物するなんてできるはずがないじゃない!

 ……そりゃ、まあ、多少は? かわいいワンピとか? いい感じのデニムとか? 一目惚れしちゃったちょっと高めのアクセとか? 買っちゃったりしちゃったけど。


 私は胸のうちに募る複雑な思いの丈をぶちまけたい衝動を抑えて、立ち上がる。

 

「お兄ちゃん、ちょっとそこどいて」

「え、ああ、うん」

「せい!」


 勢いよく日に焼けて毛羽立った畳をめくり、忍ばせていた封筒を手に取る。

 『一月いちがつ分』と書かれたそれを机の上に叩きつける。


「あのー、柚乃さん? いったいこれは……?」

「ちょっと黙ってて! ――よっ!」


 壁と冷蔵庫の裏側に空いた隙間に、思いっきり手を伸ばして手探りで封筒を掴み取る。

 『二月分』と書かれたそれを同じく机の上に叩き置く。

 繰り返すこと十数分。

 

「はあ……っはあ……」


 こんな狭い家の中で息切れしたのなんて初めてかも……。

 封筒を引っ張り出すために、散らかしまくった部屋を見ながら、私はそんな感慨に浸っていた。


「で、この茶封筒は?」

「んなの、決まってる。お兄ちゃんが柚乃にコソコソと継ぎ足してたお金……の一部」

「なんでそんなこと……」


 なんでって――、


「それはこっちのセリフなんだけど!?」

「いや、でも俺は柚乃が不自由ないようにって思って……」

「それが余計なお世話……っ、じゃない、違う。ごめん。嬉しい。けど、使えるわけないよ。お兄ちゃんが我慢してるのに、使えるわけ……ない」

「そっか……。悪いな、気ぃ遣わせて」

 

 ううん、そんなことない。大丈夫。

 私はお兄ちゃんのそんなところが大好き。

 ――なんて、素直に口にはできないけど、言えない気持ちを込めて私は首を振る。


「もういい。それよりこれ!」


 私は、合計十一封の封筒をお兄ちゃんの胸に強引に押し付けて渡した。


「俺にはもったいない、よく出来た妹だなあ……」

「そういう芝居がかったお世辞いらない!」

「照れ隠しで茶化してんの。ホントに、お前が俺の妹で良かったと思ってるよ」


 ――そういう……っ、そういうっ!


「そういうっ! バカ正直なのがっ! いっっっちばんいらない!」


 私も……お兄ちゃんがお兄ちゃんで良かったと思ってる。


「さて、じゃあありがたく頂戴するとして! あとは服を買うだけだな!」

「バカね。お店が空いてる時間なんてとっくに過ぎてるでしょ」

「お金もらった意味ないじゃん!?」


 半べそで、喚き散らすお兄ちゃんをよそ目に、私はとある人に電話をかける。


「……あ、もしもしぃ海斗にぃ? 柚乃だけどー」

「あれ、なんで海斗に電話かけてんの?」

『こんな時間にどうしたんだよ、織史妹? あと透真帰ってきてね?」


 この人は本当に察しがいい。耳ざといし、目ざとい。

 お兄ちゃんにも少し分けてほしいくらいだ。


「そう、帰ってきたよ。……それより、海斗にぃに頼みがあるんだけど」

『そりゃ内容次第だな。ま、透真にドヤされないようできるだけ善処するつもりだぜ!』

「お兄ちゃんに服貸してくんないかな? 体格一緒くらいだし、いつだったかチラッと見た感じセンスも良さげだったし――お願い!」

「おいおい柚乃、何勝手に――っ!?」


 後ろのおバカはこの際無視だ。

 今までお兄ちゃんがやってきたように、今回は私の好きなようにやる。


『なんで急に……もしかして、女か。女なのか!?』

「――女よ」


 これはお兄ちゃんのことを多少知っている人間なら誰でも思いつく。

 察しなんて関係なく、バレバレなんだから……。


「何話してるか知んないけど、いや何となく分かるけど、二人して変なところで息合わせんのやめてね!?」

「後ろのはともかく……。で? 貸してくれるの?」

『そりゃあ、あの干物ひものみたいな女日照おんなひでりのやつに、春が来たってんだからな! ここで協力せずして、何がマブダチかって話よ』


 ……良かった。


「じゃ、適当に見繕って。服は今からバカ兄貴に取りに行かせる」

『あいあいさー!』 


 これで一件落着と、電話を切ろうとして耳から離しかけたそのとき――、


『でも――透真のお守りなんて損な役回り、やめといたほうがいいぜ?』


「――っ」

『いや、ほら、母ちゃんみたいだし! な!?』


 ……いまさら取り繕ったって遅い。

 興味本位で藪をつつくのは海斗にぃの悪いクセだ。


「茶化したって駄目。そうやってなんでも知ってる感じ、出さないほうがいいよ」

『……そうだよなあ』


 ごめんって安易に謝らないのも大っ嫌いだ。

 

「とりあえずよろしく……」

『へーい……んじゃ』


 そう言って、電話は切れた。

 

「――ありがとな。俺じゃ、服を借りるなんて思いつかなかったわ」

「……っ良い妹でしょ!」


 自分で言っていて、ちくりと胸が痛む。

  

「お金はデートで使って、彼女に甲斐性の一つでも見せなさい!」

「……っあざーす!」


 満面の笑みで礼を言うお兄ちゃんを見て、私は――。


「さっさと海斗にぃん行って! もう日付変わるんだから!」


 追い出すようにして、お兄ちゃんを向かわせる。

 走って遠ざかっていく彼を見送り、安心したのか独り言が漏れる。


「あーあ……取られちゃった」


 自分の声が、本音が耳を打つ。

 

 私って――どうしようもないブラコンだ。

 キモすぎて笑っちゃう。


 お兄ちゃんには春が来たっぽいんだけど……私は、今日が一番寒かった。

 

 それと同時に、気づかされたから、気づいてしまったからこそ湧いてきた衝動が一つ。


「どんな人なんだろ……」


 ぽつりと落ちた疑問はどんどん私のなかで大きくなっていって――。


「こっそり付いて行こっかな……」


 私の頭がそんな提案を持ちかけるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る