第11話 『でえとしよう』

「簡単に言うと、私は死んだことになっているわ」


 ……言葉足らずじゃね?

 俺が首を傾げると、瑠衣は馬鹿な猿でも分かるように噛み砕いて説明してくれる。


「一輝はレコンキスタと取引をしたと言っていた。今回の事件を不問にする代わりに、計画に関与していたメンバーのことは追及するな――と」

「……なるほど、全員始末したって筋書きか」

「そう。だから、これで私は自由の身」

「死んでる扱いってのが、俺としては微妙なところなんだけど……」


 瑠衣はまったく気にしていないらしい。


「私は嬉しい。これで――透真とずっと一緒にいられるから」

「そっか……瑠衣が良ければ俺も――って今なんて!?」


 瑠衣はもう一度言おうとしたが、恥ずかしくなったのか開きかけた口をそっと閉じ、代わりに赤みのかかった頬を緩ませて優しく微笑んでいた。


 ――くっ、こんなに健気な子が俺の彼女なんだよな……。

 

 ***


 ――火照った身体を撫でる師走の風。

 病院を出たのは起きてから一時間後のことだった。

 

 たった一時間で女の子と手を繋いで帰っているってのがどういうことか分かるか?

 俺にも分かんないね。

 この手撫で回したりしたら怒られるかな?

 そんなことを考え、お伺いを立てるようにして瑠衣のほうを向く。

 瑠衣と目が合って恥ずかしくなり、一瞬で逸らしてしまう。 


 ――てか手汗!?


 寒空の下、冷えた手汗が俺を正気に戻す。

 俺は慌てて手を離そうと――!?


「瑠衣さん!?」

「なんでさん付けなの?」

「いや、気が動転して……ってかこれ」


 俺は素っ頓狂な声を上げてしまった原因を、瑠衣に見えるように持ち上げて見せる。


「……? これって?」


 『これ』が何か知らないらしい。

 俺の手指をがっちりとホールドした貝殻つなぎ。瑠衣の細い指と絡み合った恋人つなぎ。

 

「あの瑠衣さん? 自分……手汗が」


 今もじとじとと湧いては冷えてを繰り返す手汗まみれの貝殻つなぎに目をやりながら、言葉を濁して瑠衣に察してくれと願う。


「それで? だから離そうとしたの?」

「……そりゃ、手汗びっしょりなんてキモいだろ」


 なんとも思っていないような、それどころかなぜか咎められているような気さえして、俺は正直に白状する。

 瑠衣が足を止めて、俺の正面に回る。


「ね、透真。これ」


 短い言葉とともに、瑠衣のつないでいる手とは逆の手のひらが俺の頬に押し当てられる。

 

「私も同じ」

「なっ……、おまっ……っっ!?」

「緊張したら、誰でもこうなる。だからっ――このままでいい!」


 そう言ってくれた瑠衣も相当恥ずかしいのか、すぐに頬に当てられた手が遠ざかっていく。

 しかし、あとに残るしっとりとした感触を、真冬の冷たい風が忘れるなよと言わんばかりに、色濃く海馬に焼き付けていった。

 

 ――しばらくの間俺たちはだんまりと、恋人つなぎはそのままに歩き続ける。

 

 それでも、俺が喋らないと、言葉を発信しないとと思い悩んでいる最中のこと。


「でえと、したい」


 片言でぽつりと、不意に落とされるにはあまりに大きな爆弾発言。


「透真が教えてくれた。『でえと』をするのが恋人だって」


 そういえば、イチャラブな関係とはなんぞやと瑠衣に聞かれたときに、願望たっぷりにそんなことを言った気がする。

 

「最初はゆーえんち? に行くのがマストって」


 言ったな。


「ナイトパレードを見ながら、夢中になっている女の子の手の甲にそっと触れて、それをきっかけに初めて手をつなぐって」


 そこまで言ったのか。言ったんだろうな……我ながら掘り返さるとキツイな。

 しかも、もう叶っちゃってるし。

 どう予定変更すんの? キスか? キスなんか?


「おーけー瑠衣、ステイだ」

「はい」


 『はい』って……急にしおらしいな。


「まずはじめに、瑠衣が俺をそんなにも愛してくれて嬉しい」


 俺の渾身の自虐ボケでもって、会話の主導権を握ろうと試みるも、瑠衣が間髪入れずに、


「そう、愛してる。とても」

「ううん!? うん……うん……待ってしんどい」

「怪我が痛む――っ?」 


 そんなに心配な表情をしないで、もっとしんどくなる……かわいすぎて。


「――慌てないで大丈夫。一過性のものだから」


 俺のメンタルが保たない。

 瑠衣成分の過剰摂取に身体が付いて行けない。


「ほんとに?」


 俺はその問いに返すより先に、自分の想いの丈を強引に告げる。


「デートはしよう。んでもってそれは俺から言わせてほしいかな……リテイクで」

「……どうして?」

「俺が最初に琉衣に惹かれて、色々お近づきになろうと頑張ったから、かな。やっぱ、デートも俺から誘いたい。だから――」


 俺は繋いでいた手を離して、彼女の前で片膝立ちになって、手を差し伸べる。


「俺と明日――デート、しよう」


 下から見上げる彼女は月明かりに照らされてとても綺麗で――、


「はい」


 俺の手を取ってくれる彼女はとても嬉しそうで――。


 嬉しいのはこっちだってのに……。


 彼女の愛を、その大きさをひしひしと感じてしまう。

 そんなことを思ってしまう自分は気持ち悪いだろうか……。

 でも、本当にそう思わずにはいられないほど、彼女が俺を大切に想ってくれているのだ。


 喜びの敗北感に苛まれながら、俺はホテルに泊まるという瑠衣を見送って、帰宅した。


 ***


「――何着て行こう……」


 困った。

 まともな私服が一着もない。

 妹と二人、月のおよそ半分をモヤシ炒めで過ごす生活をしている俺に私服を買うような余裕はなく、家ではゴムの伸び切ったスウェット二着を交互に、外着は制服という具合である。

 

「ただいまぁ……ってお兄ちゃん!?」

「よぅ柚乃……おかえり」

「急に帰ってきたと思ったら、やけにテンション低いじゃん。マグロ釣れなかったの?」


 そういえば、俺は漁的なバイトに行っている設定だったか。


「いや、バイトは大成功だったんだけどな。じつは明日も日帰りで出かける用事があって……着ていく服がないことに気づいてな。灰になってたとこ」

「だから――っ! 柚乃の財布にお金入れてる余裕があったら、服でも買いなって言ったじゃん……てか、なんで急に服がほしいわけ?」


 毎回、柚乃が寝ているのを確認してから、入れていたのになぜバレているのだろうか……。

 しかし、その妹はうんうん唸り、「いやまさか、でも……もしかして」などと独り言を繰り返して、


「彼女でもできた?」

「あー…………」

「マジで!? ってかマジじゃん!」


 ……俺って顔に出やすいんだろうか?

 柚乃は興奮しているのか、「マジでマジだ……マジなのか」とマジの三段活用をしている。

 やがて、落ち着いた我が妹がそれでも興奮冷めやらぬ勢いで、


「――私がお兄ちゃんの勝負服をコーディネートする!」


 成長期真っ盛りの形の良い胸を突き出して、そう高らかに言い放つ。


 ――マジでマジだ……マジなのか。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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