第6話 『朝香瑠衣の限界、そして……』

 明日学校で――なんて言ってはいたが、もしかしたら彼ならここまで迎えに来るかもしれないと思っていた。

 ……そんなはずないだろうに、私は期待していたのだろうか?


「――ソウルイーター、お早く」

「ああ」


 ボスの言っていた迎えの車。

――その運転手に促されるまま、黒塗りのワゴン車にギターケースを積み込み、自分も乗り込む。


 昨日、関係を断ち切るべきだと思いながらも、実行に移せなかったそんな自分にとっては喜ぶべきことのはずだ。


「だというのに……」


 どうしても――思考の隙間を縫って彼が割り込んできてしまう。


「何かおっしゃいましたか?」

「いや、なんでもない。それより昨日ボスから聞いたが、離反者はどうなった。まさか予定の変更はないだろうな?」

「それはありません。裏切り者については目下調査中ですが、今日の任務に支障はありません。万事順調です」

「……そう」


 計画通り――そう聞いて少し安堵する。

 私が私で居続けられるその承認を得たような気がしたのだ。


 ***


「――おい、貴様。確認しておくが、本当に今回の予定に変更やイレギュラーはないのだろうな?」

「は、はい! 予定の車両に乗った議員を狙撃し、速やかに撤退――ボスから直々にそう仰せつかっておりますので……。」

「そうか……。各自、所定の位置につけ。緊急の連絡はすべてインカムを通して行え」

「了解!」

 

 各々が割り当てられた役割に応じて、所定の位置へと向かうべく素早く散開する。

 私はそれを見届けて、階段傍の窓際に面しているスポーツ用品店――その上の天井に視線をやる。


 ――私には組織にすら、ボスにすら言っていない秘密がある。

 特技とか、能力と言えばいいのだろうか。


 人の気配が半径百メートルほどの範囲ではっきりと分かるのだ。

 まるで衛星カメラでも見ているかのように、つまびらかに。

 そして、その長年培ってきた鋭敏な感覚が、違和感の正体を丸裸にする。


 ――彼がいる。


「どうして……っ」


 いや、いまさら分かりきったことではないか。

 屋上で待機している連中も、我々の計画にはないイレギュラー。

 なぜこれらが上から連絡として入ってこないのかは不明だが、私のこの力を無力化して後をつけ、拠点を割り出すことのできた彼ならばあるいは可能なのだろう……。

 

「駄目だな……」


 私はいつからこんな弱くなってしまったのだろうか。

 私はいつまでこんなことをすればいいのだろうか。

 堰き止めていた何かが決壊したように溢れてきて、私の今までを押し流そうとする。


『――まもなく来店します』


 インカムから流れるエージェントの声が私を任務へと引き戻す。

 

「時間通りか」


 肩に担いでいたギターケースを下ろし、スコープ付きの狙撃銃『H&K G28』を取り出し、窓を少し開けて機を窺う。

 ボスの連絡を受けて念のために『P90』と、ショルダーホルスターに『デザートイーグル』まで携帯して来たが、任務に際しての出番はないだろう。


 ――もちろん無事に済めばの話だが……。


 真上に陣取ったまま、一向に動きを見せない正体不明の連中を頭の片隅に置いて、私は任務に当たった。

 通勤ラッシュの渋滞に並び、ゆっくりとこちらへやってくる黒塗りのプリウスを捉えて、G28を構え、射撃体勢に入るのだった。


 ***


 待て待て待て――っ!?

 

 天井裏で朝香さんを救うべく、スタンバイしていた俺の耳に入って来たのは映画でしか聞いたことのないようなやり取り。

 とりわけ物騒なワードが『狙撃』だ。

 朝香さんに人殺しをさせるって?

 そんでもって、俺はそれを見過ごそうってわけか?

 そうはいかない。是が非でも止めたい……のだが。

 

 ――俺は朝香さんの様子に強い違和感を覚えていた。

 いつもはよそ見もせず、前しか向けないような彼女がうつむき、伏し目がちに悲しげな表情をしていた。あの無表情な鉄面皮の彼女が――だ。

 

 これを見てしまった俺は――今すぐにここから出て行って人殺しなんて止めるよう説得した場合、朝香さんの死に場所や時間が変わってしまうのではないかという懸念を抱いてしまった。


 だけど、やっぱり……っ!


 天井のパネルを持ち上げようとしたそのとき、


『――待つのじゃ、このバカたれが!』


 突如、脳内に響く聞き覚えのある叱声に手が止まり――。


 続いて、二発の銃声が鼓膜を揺らした。


 ***


「ターゲットは後部座席左側に座っているはずだが、姿が見えない。どうなっている?」

『――――』

 

 途中で席を入れ替わっただと……?

 見張りは一体何をしているというのだ――っ。


 ついさきほどまで連絡の取れていた見張り役からの音信が途絶える。異常事態であることは火を見るより明らかであった。

 しかし、だからと言ってこのまま何もせずにいれば、いずれ完全に射線が通らなくなる。

 ――刹那の間。

 私は素早く照準を切り替えて引き金を引き、やむなく車両左側の後輪と前輪を間髪入れず撃ち抜き、タイヤをパンクさせた。


「――別働隊各位。車両の足止めに成功した。速やかに任務を遂行しろ」


 チャンネルを変えてインカムに乗せた私の指示に従い、車両周辺を取り囲んで息を潜めていた暗殺部隊が次々とターゲットのもとへ押し寄せる。

 狙撃が失敗したときの代替案だった。

 しかし、事の顛末を見届けようと見下ろしていたら、別働隊の一人が真後ろへと吹き飛ぶように倒れ込んだ。

 次いで異変に気づいた残りのメンバーも慌てて姿勢を低くするが、あえなく倒れていった。

 全員、頭部に一発――即死である。


「――っ!」


 上の連中にしては斜線が広い……長距離狙撃か!

 であるなら、屋上に潜伏しているのは……。

 そのとき、背筋を電気が走ったような感覚が襲う。

 ――動き出したか。

 私はギターケースから二丁のサブマシンガン『P90』を取り出し、迎撃体制に入った。


 ――大人しく死んでくれると思うなよ? 貴様ら諸共道連れにしてくれる。


 腹の底から沸々と湧き上がる何かしらによって体温が上昇し、私は初めて明確な殺意を向け――窓の外へとサブマシンガンを連射した。

 上からロープを伝い、窓を割って侵入を試みた三人の奇襲部隊――コマンドが弾幕の勢いに押し出され、そのまま落下していく。

 間を置くことなく素早く階段を登り、五階と六階の中腹で駆け下りてくる二名に向けて斉射。


「が……っ!?」

 

 ボディアーマーごと弾丸の雨が敵の体を貫き、血飛沫を上げる。

 生死を確認することなく、踵を返して五階に戻って半開きのエレベーターに狙いを置き、太いワイヤーを伝って降りてきた敵に発砲。

 落下していく敵を見届けることなくちょうど弾切れを起こしたP90を手放し、ショルダーホルスターからデザートイーグル抜いて、先ほどの階段を登る。


「――ど、どうして……っ!?」


 男は肩と足に銃弾を受け、傍に転がった『AK―47』を手に取ることも逃げることすらままならない。

 しかしそのコマンドは命が惜しいのか、時間稼ぎでもするかのように息を荒げながら尋ねてくる。

 どうして、我々の居所が割れているのか――と。


「悪いが、話すつもりはない。それに話したところで――」


 私は言葉の代わりにデザートイーグルの銃口を彼の眼前に突きつける。


「ま、待ってくれ、これには事情が……! 俺たちは――っ」

「必要ない」


 男の言葉には耳を貸さず、私はただ淡々と引き金を引いた。

 そして流れるように、なんの感慨もなく私は階下へと戻る。

 

「――貴様で最後だ」

  

 私は、戦闘の最中、息を潜めてずっと機を窺っていたであろう人物にデザートイーグルを向けた。


「まさか貴様だったとはな……」


***


 ――飛び出さなくて良かった。

 頭の中で響いた声に従って正解だったのだ。

 あの制止を無視していたなら、俺の身体は穴だらけになっていたところだ。   

 突如始まった銃撃戦……というか朝香さんの独壇場が幕を開けてしまい、俺は戦々恐々としていた。

 朝香さんが死んでしまう――その時がいったいいつ来るのかと神経をすり減らして注視していたが、小さな穴から覗いて見えたのは朝香さんに蹂躙される敵の姿だけ。

 もはや最強レベルと言っていいほどの腕前を披露して、敵を悠々と撃ち負かしていく彼女がどうして銃弾を受けてしまったのか、俺には全く理解できなかった。


 ……そういえば朝香さんが人殺しなんて――とか考えたりもしていたが、彼女は絶賛銃殺中である。この際見なかったことにしよう。

 朝香さんが死ぬよりよっぽど良いことなのだから……。

 そうこうしているうちに、けたたましい銃声が止んで、彼女がこちらへと戻ってくるのを感じた。

 

「――貴様で最後だ」


 そう口に出して、フロア中央に向かって銃を構えている朝香さんの傍には……っ!?

 視界に広がる光景の既視感に俺は体を震わせる。


 ――例のマネキンが彼女の弾幕をくぐり抜けてそこに立ち尽くしていた。


 もしかして……もしかしなくても……今からなのか!?


 銃を突きつけたまま彼女は続けて、


「まさか貴様だったとはな……」


 人生で一度たりとも聞いたことのない、覇気の感じられない掠れたような声を出して、あの朝香さんが笑みを浮かべていた。

 十六年間で出くわしたことのないような悲しげで、儚げで、すべてを投げ出したようなそんな表情をしていた。

 そうしてゆっくりと俺の隠れている位置の真下へ、敵との間合いを保ちながらにじり寄ってきて……。

 とうとう、完全に有栖から視せられた構図と一致してしまった。


 コイツ――っ、もしかして俺の存在に勘づいているんじゃないか!?


 その思考に至って、ようやく俺は朝香さんの危うさに、その脆さに気づくことができた。


 だとしたら彼女は頂上決戦のような死闘の末に破れたわけではなく――おそらく……。

 

 今ここで、俺の目の前で、何もかもすべて終わりにするつもりなんだ――。


 ***


「――貴様で最後だ」


 私はフロア中央で殺気をたぎらせている人物に向けて、デザートイーグルの銃口を突きつけた。

 天井裏に潜む彼などもはやどうでも良かった。

 コマンドを差し向けられたときは、あれほどまでに激情に駆られていたというのに、いざ終わってみれば残っていたのは虚しさ、ただそれだけだった。


 この先――私がこの人に向かって引き金を引いたところで、展望も救われるものも何一つありはしないのだ。

 いや、そんなものはなからなかったろうに……。

 彼に出会って、明日を望んでしまった自分に笑いがこみ上げてくる。


「まさか貴様だったとはな……」


 睨み合いの続くなか、目の前の殺気に対して再度確認を取るような言葉を投げかけながら、私は彼の直下へとゆっくり移動し、立ち止まった。


 ここが――自分の死に場所だ。

 いつも一人で平気だったのに、なんとも思わなかったのに。

 たとえこの人が裏切り者だったとしても――最期くらい誰かに見届けてほしくなってしまったのだ。


「――どうしてここにいると分かった?」

「さきほども同じことを聞かれたな。だが、答える必要はあるまい」


 目視同然のように気配が読めるなど、説明しても否定されるのがオチだ。

 わざわざ自分が手間をかける理由など、この場においてどこにもないだろう。


「それもそうだな……」


 それを知ってか知らずか、自分で投げかけた質問に大した執着も示すことなく、最新鋭の光学迷彩――その機構を停止させて現れたのは二十代後半ほどのやつれた男だった。

 コケた頬に似合わぬ引き締まった身体に、黒いウェットスーツを纏った妙な出で立ち……コイツが――、

 

「……そんな見た目だったのだな、『インビジブル』」


 私は死ぬ間際の餞別としては毛ほども相応しくない驚きを感じながら、男のコードネームを口にした。


「相変わらずセンスわりいよな、ボス。お前は『ソウルイーター』だったか? 呼ぶ方の身にもなってほしいもんだ、まったく」


 気怠げにヘラヘラと笑いながら語る彼に釣られ、私も言葉を返す。


「貴様こそ舌の回り具合は健在らしいな。その口八丁であの子を私に仕向けたのか?」


 組織の上層部から口が軽いと定評のあったこの男ならタネ明かしくらいしてくれるだろうと思って聞いてみたのだが、意外にも彼は首を傾げて――、


「あ? ああー……お前にやたら絡んでたガキのことか。何、俺とグルだと思ってんの? あんなヤツとツルんでたらイライラしてぶっ殺しちまうよ」


 大仰に身を震わせて、仲間の存在を否定してみせる。


「それより……光学迷彩がまるで意味をなさないんじゃあ、仕方ない。これで決めようや」


 インビジブルは言いながら、自身の足元に転がっていたP90の空薬莢を手に取って、私に見せた。


「これを投げて、地面に落ちたのを合図にするってのでどうだ?」

「……貴様の好きなようにするといい」


 なんともまどろっこしいことを考えつくものだと感心する一方で、私は適当に受け答えする。


 ――とうに勝敗など決しているのだから……。


「ほんじゃま、恨みっこなしの一発勝負ってことで」

「私はもとより狙われている身だ。恨んでも構わんだろうが……」

「ちげぇねえ」


 インビジブルが空薬莢で手遊びをしながらからからと笑い声を上げる。

 ひとしきり笑ったところで彼は再度殺気を強め、目の色を変えた。


 ――同時に空薬莢が二人の中間にゆっくりと落ちるような柔らかい弧を描いて宙を舞う。


 嫌に遅々とした間が場を支配するなか、私の直上でガタガタと騒がしい音がした。


 インビジブルのこちらを捉える視線がわずかにブレる。


 それでも手に持った彼の愛銃――リボルバー式の『S&W M29』は見知った動作で流麗にこちらへと向けられようとしている。

 

 私は右手に持ったデザートイーグルを下ろしたまま、ただそれをぼうっと見ているだけ。


 しかし、彼が引き金を引くのを待つのみだった私めがけて――。


「プルス・ウルトラああああぁぁぁぁぁ――っっ」


 謎の掛け声とともに、今まで沈黙を貫いていた彼が飛び出してきたのだ。

 これには、幾度も死地を経験してきた私ですら判断に戸惑う。


 なおも継続するゆっくりとした時間の流れのなか、顔面からろくに受け身も取れなさそうな体勢で落ちてくる彼と、自然――目と目が合う。


 目を潤ませ、表情筋の強張った顔は、今まで見てきた屈強な戦士たちとは比べ物にならないほどひ弱で――。


 ――発砲音が彼の叫びをかき消した。






――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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