第5話 『一般人、織史透真の覚悟』

 あのまま彼を返してしまって良かったのだろうか……。

 私――朝香瑠衣は任務のために仮住まいしている部屋の隅に座り込んで、考える。

 ……当然、始末しておくべき場面だった。

 警察にでも駆け込まれたら、半年以上掛けて練った計画も無駄になる。


「それが分かっていてどうして――」


 答えの出ない疑問が口を突いて出てくる。

 私が所属している秘密組織『レコンキスタ』には損得で動く者しかいない。『トモダチ』なんて関係を築くために命を賭けるような人がいるなんて思いもしなかったのだ。

 ――だからだろうか。


 彼なら信じられるかもしれないと、そう思ってしまう自分がいる。


「あり得ないわ」


 そんな人の存在も、そんな事を考えてしまう自分も。

 まるで論外だ。

 そう自分に言い聞かせるように、ざわつく胸をなだめ、思考のノイズをかき消すように一蹴して、いつものようにボスへの定時連絡をこなすべくスマホを取り出す。


「改装は滞りありません。オープンに備えて準備は万端です」

『――いつもご苦労、瑠衣』


 今まで通り進捗を伝え、電話を切ろうとした矢先のこと。

 耳元で高齢を感じさせるしわがれた声が発せられた。


『ところで、そのリニューアルオープンの件なのだが――急遽日程を早めることになった』


 本来なら確認するような真似は規則違反なのだが、今回の急な変更――私には思い当たるふしがあった。


「しかし、それではお客様へのおもてなしに支障をきたす可能性が出てきますが……」

『じつは一部のお客様から、オープンに際してのクレームをいただいてしまってね』


 客からクレーム……? ――つまりこちらの情報が漏れた?

 一瞬、彼の顔が浮かぶがそこまでの情報を知る術はないはず――なら裏切り者?

 私が黙っているのを怪訝に思ったのか、ボスは補足するように話を続ける。


『瑠衣のせいではない。どうやら他のオープニングスタッフが当社にとって不利益な情報を漏らしてしまったみたいでね。こちらの人選ミスだよ』


 どうやらレコンキスタ内部に裏切り者がいるらしい。

 だが、そういう輩は組織でも浅瀬の人間だ。ターゲットまで情報が直通するようなコネがあるとは考えにくい上に、すぐ始末されるだろう。

 私は心配無用と判断し、これ以上の詮索をせずに話を進める。


「それで日程のほうは……」

『すまないが明日オープンだ。お客様に波及しきる前に店を開けたい。そのための手配もこちらでしておく。詳細に関して変更はない――できるね?』

「――はい」

『では明日、迎えを寄越す。時間通りに』


 そこで通話は終了した。

 スマホを床に置いて、壁に身体を預ける。

 寝袋と定時連絡にしか使えないスマホ以外に何もない部屋で、自分にできることは立つか座るか、トレーニングくらいしかない。

 任務にあたって資金は十分に支給されているが、定住する予定のない間借りしているだけの場所に家具や家電を置く必要はない。

 何一つ変わらないいつも通りの行動の中に、一点の思考が混じる。


 ――彼ではなかった。

 

 そのことに安堵し、拠点を移すでも、彼との接触を避けるでもなく、『明日は任務で会えないのか』なんて考えている自分に違和感を覚える。

 

「でも、昨日のアレは美味しかった……」


 だからしかたない。

 だから、明日の任務が終わったら最後に彼に……。


「はっ――」


 そんなことを考えて、不意に吐息が漏れる。

 おかしかったのだ。恐ろしかったのだ。

 私がこれまで培ってきた価値観が根底から覆されるような感覚。


 いったい私はどうしてしまったのだろうか――と。


 ***


「寒すぎだろ――っ!?」


 ――五階。子供服とオモチャ売り場、そしてスポーツ用品のコーナー。

 このデパートはつい最近潰れたばかりで、商品はほとんど撤去されたが、マネキンやワゴンのような資材は未だにそのまま放置されいていた。


 俺は有栖に視せられた断片的な映像を頼りに、この場所を突き止めていた。

 そして昨日電話したあと着の身着のままで、すぐにここへと忍び込んで一夜を明かしたというわけだ。


「柚乃のおかげだな……」


 マネキンがズラリと並んだ傍らに貼られている五十パーセントオフの張り紙。

 俺は柚乃と閉店セールを狙って、ここに来たことがあったのだ。

 ――倹約家の妹には本当に頭が下がる思いだ。


「やば、朝礼まで時間がねぇ――」


 八時半を過ぎようかという頃。

 どこまでも兄想いの妹のために、そして朝香さんのために俺はスマホを取り出して電話をかける。 


『――ズル休みしてるやつはいいよな、お気楽で。こっちなんか通り雨に降られてマジでクソ』


 開口一番、不満だらけの悪態をついてきたのは俺の小学生来からのマブダチ――風間海斗かざまかいと

 

「自宅謹慎な。そんなに羨ましいなら代わってやろうか? 反省文と課題のおまけ付きだけど……」

『言ってみただけ。……で? お前はともかく、朝香嬢も来てないんだけど、この電話ってそれ絡みだったりすんの?』

「あー……まあ、そういう面もあるな」

『お前、いっつも朝香嬢のこと気にしてたもんな。だが残念、お前の蛮勇も虚しく、あの子なら欠席みたいだぜ?』


 海斗のやつめ……。

 昔からそうだが、この男は妙に察しが良すぎるのだ。

 おかげで聞きたいことの半分は、海斗が自発的に喋ってくれていた。


『おいおい、電話で黙んなよなぁ……。他にも何かあるんだろ? さっさと言ってくんないと、鏡っち来ちまうよ』

「その点は大丈夫だ、あのクズ中年が始業時間に合わせて教室に来たことなんてなかったろ?」

『それもそうか……』

「それより、もう一つ頼みたいことがあるんだけどな。しかも、その頼みのほうが本題、超重要案件」

『あー、あれか。お前がマグロ釣ってる間、柚乃ちゃんのことを気にかけてりゃ良いのか?』


 んー……なんだかなぁ。

 もしかして海斗って、俺のヒロインかなんか?


「お前ってやつは……マジでキモいな? 何なの、心読めんの? 以心伝心なわけ?」

 

 気づいたら、思っていたことが口に出ていた。

 

『小一からずっと同じクラスの超絶大親友に向かって、その暴言。柚乃ちゃんに言いつけるかんな』

「なんだそれ、柚乃は俺の母親か?」

『実際そうだろ』

「その通りだ。あんなによく出来た母ちゃん他にいねぇよ……」

『即答すんなよ……』

「お前が言わせたんだろ……っていうかこんなやり取りしてる場合じゃねぇよ。とりあえず、柚乃のこと! ――頼むわ」

『頼まれてもいいけど……いいんだけどよぉ! ――お前……』


 急に頭でもおかしくなったのか、いつもおかしい頭をさらにおかしくして何やら電話口で苦悩している様子……まさかコイツ!? 

 一体どこまで勘づいて――、


『謹慎明けたら、この前貸した「私のヒロインアカデミア」――ちゃんと返しに来いよ?』

「…………」


 コイツ……真面目なトーンで『頼むわ』とか言っちゃったのが恥ずかしくなるくらいのボケを、最後の最後で投げて寄越しやがった。


『あれ……おーい』

「分かってるよ!」


 乱暴に返事をして、そのまま通話を切り上げた。

 他にも話さなければならない人がいる以上、本当は海斗ごときにこれだけの時間を割くのはもったいなかったのだが――。


「気合い入れろや。死を勘定に入れて勝手に萎えてんじゃねえぞ」


 日常から切り離されつつある感覚に陥りつつある自分を奮い立たせ、昨日もらったメモ書きを見ようとポケットを漁る。

 

「あったあった。えー……っと――ってタイミング良すぎか? もしもし、一輝さん――」

『おい、テメ――っ!? 今、自分がどこにいるか分かってんのか!?』


 電話に出た瞬間、怒号が響く。

 俺はスピーカーにしていなくて良かったと安堵する。

 どうやら昨日の天邪鬼のおかげか、一輝のほうから通話履歴を辿って掛けてくれたようだ。


「そりゃもちろん。分かってて、ヤベェって思ってるから、電話かけようとしてたんじゃないんすか」

『いや危機管理甘すぎんだろ!? どんだけ鈍感なんだよ……とにかくそこから離れろ!』

「でも、彼女を助けてあげられるのって俺しかいないと――」

『自惚れんな! すでに周りを狙撃班で固めてある。お前がそこでなんかやらかすほうが、よっぽど迷惑なんだよ!』

「狙撃って……アンタら変人だとは思ってたけど、そんなヤバい人たちだったんすか!?」

『いちいち驚くな! あと俺を有栖とセットにした挙げ句、変人呼ばわりしたよな? 絶対殺してやるからさっさと出てこい!』

 

 ……そう言われて出てくる人がいたら、ぜひ教えてほしいものだ。

 

『そうは言ってものぅ、ダーリン。妾たちが駆けつけたとはいえ、後手は後手。配置されている人数も敵の武装も未知数。せいぜいターゲットに寄り付く蝿を叩くくらいのものじゃろうよ』


 若干声が遠いが隣には有栖もいるようで、一輝の怒声に対して落ち着き払った声で俺を擁護するかのような物言いをしている。

 しかし、有栖が言ったことが本当であれば、朝香さんを守りたい俺としてはそれでは困るわけで――、


「やっぱり俺はここに残ります」

『有栖、またお前は余計なことを――っ!?』


 いいや、違う。有栖はたしかに、俺を焚き付けたかもしれないし、俺はそれにまんまと乗せられて燃え盛っているのかもしれない。

 しかしそれを言うなら――、


「俺がこんなふうになったのって、一輝さんにも結構責任あると思いますよ?」

『……は、はぁ!?』

「だって、言ったじゃないすか。俺のことを一般人って」

『あ……? 当たり前だろうが』

「俺――朝香さんと友だちになりたいんすよ」

『そんでもって、ゆくゆくはその先――蜜月な関係を築きたいのじゃろ?』


 そんな茶々を入れてくる有栖の顔は見えないが、きっとからかうようなにやけた表情で言っているに違いない……。

 だがしかし、そこはノーコメントで。


「だから俺、このまま乗りかかった船を降りるなんてしちゃいけないんすよ。カロリメイトとココア渡しただけの臆病者になっちゃいけないんすよ」

『臆病者って、お前……。お前は――っ』

『ダーリン――時間切れじゃ』

『チッ、これも全部お前の筋書き通りかよ!?』

『さぁの……じゃが、あのとき賭けに勝った時点で流れは妾のものじゃ』


 舌打ち混じりに内輪話を始める一輝とそれを


『――仕方ねぇ……いいかよく聞け。そこにもうすぐ、ソウルイー……朝香とそのお仲間が到着する。お前にはもう息を殺してじっと隠れてもらうしかなくなっちまったんだ。だから絶対に余計なことすんじゃねぇぞ……絶対の絶対だ』

「え、押すな押すな?」

『この期に及んでフザケてられるその根性を今は胸のうちに仕舞えって話だ!』


 緊張してんだよ。

 口が勝手に動いちまうんだよ。

 もう舌がぺらっぺらだよ、今なら預金残高でも、オカズの在り処でも何でも話せる気がするね。


『おーい、いい加減……切り上げたほうがええんじゃなかろうか』

『クソッ――どうも、コイツからは有栖と同じ匂いがしてならねぇ……』

『え、妾、男臭いかの……?』

『……今のはなし、俺が悪かった。――織史、お前はとにっかく隠れてくれ。お願いします! ……死体で上がっても弔ってやんねぇからな!』

「そんな!? 一輝さんまでツンデ――あ、切れた……ん?」


 電話に耳を押し当てていて聞こえなかったが、やけに近くを飛んでいるヘリコプターの音と下から誰か上がってくる靴音が――。


「マズい――っ!?」


 俺は慌てて、移動式の陳列棚を踏み台にしてあらかじめこじ開けておいた天井のパネルをずらし、裏へと入り込んだ。

 パネルにポツポツと空いた小さな穴から確保できるわずかな視界を頼りに、先日視せられた、朝香さんが倒れていた場所まで這いずって移動する。


 なんとか間に合った……。


「――おい、貴様。確認しておくが、本当に今回の予定に変更やイレギュラーはないのだろうな?」


 来たああああぁぁぁぁぁ――っ!?

 ついに来ちまった、来ちまったぞこれ。

 今の朝香さんの声だよな?

 朝香さんのあのドスの利いた声、かっこよすぎだろ――っ!?

 耳から殺されそう……っ。


 そんな呑気な感想を皮切りに、一般ピーポーな俺の朝香さん救出作戦が幕を開けたのだ。






 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 すみません! また長くなりました!

 漢、織史おりふみになるまで、もう少しお待ちください!

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 次話もよろしくお願いいたします

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