第2話 『カロリメイト』

「――謹慎ね」

「はい?」

「……まあ、あの場にいた男連中は謎の敗北感に、女子たちは概ね称賛してたわけで――織史おりふみぃ、人の話聞いてたか?」


 渋い声音で、聖職者らしからぬ無精髭を蓄えた男が、呆れ気味に訊いてくる。

 

「いや、今のは本当にそれでいいのって意味のやつで……あんだけやってたった二週間の謹慎すか?」

「まー、そうだな、軽いよな。でもまー……喜べよ」


 騒ぎを聞きつけた大人が、事態の収拾を図ってかれこれ三時間。

 別室にて沙汰が下るまで待ちぼうけを食らい、昼休みのチャイムが鳴る頃。

 ようやく現れた担任の鏡瞬かがみしゅんから言い渡された処遇と、大人の事情を匂わせる歯切れの悪い口調に、素直に喜ぶことは出来なかった。


「ここだけの話――」


 俺がよっぽど微妙な反応を示したからか、鏡がこちらへと寄って来て小声で話し始めた。


「お前の処分が軽いのには、朝香の件が絡んでる」

「あー……」

「分かったな? だからこそあの七城たちが今回の一件に関してはだんまりだ」

「なるほど、下手に退学処分にして、芋づる式に半年以上放置し続けたいじめが発覚なんてことになれば……」

「そう、俺とその他諸々の首が飛ぶ。この一件が露見して路頭に迷う命は少なくないってこったな」


 鏡は親指で自分を指し、あっけらかんと本音を言ってのけた。

 さすがにそれは、なんと言うか――、

 

「きっっっっったな――っ!?」

「ばッッッか、オメ! 織史のばか! 声がでけぇ!」

「いや、でもそれじゃあ朝香さんは――」

 

 またあの地獄に……。


「さあ、どうだろうな。今日の明日で元通り、振り出しになんてならんだろうよ。アイツらだって引き際くらい分かってるはずだ」

「だといいんすけど……ってこんなとこで吸っていいんすか?」

「ん、この空き部屋は俺の休憩所でもある。喫煙者は肩身が狭くってな……」


 タバコを咥えながら、鏡は目線で俺に上を見るよう促す。

 見上げた先には、養生テープでびっちり覆われた火災報知器……。

 アンタって人は……。


「だから先生って呼ばれないんすよ……」

「スゥ――……知ってるよ」


 煙を吐きながら、自嘲気味に笑う鏡はだらしない大人の筆頭ではあるが、同時にかっこよくも――。


「ってんなわけあってたまるか」


 俺は受動喫煙で脳が破壊される前にさっさと帰ろうと立ち上がる。

 ちょうど昼休みも終わって五限目が始まり、人通りもない。

 これ以上、ここに拘束されるいわれもないだろう。


「あー、待て待て」

「なんすか」

「はい、これ」


 渡されたのは、紙袋いっぱいに詰められた紙の束。


「まさか……謹慎中に?」

「ご明答。反省文十枚以上と、二週間欠課分の課題ね」

「…………」

「じゃ、また二週間後――ああ、扉はちゃんと閉めてね。ニオイが漏れちゃうから」

「――っ死ね!」


 俺は捨て台詞とともに、乱雑に扉を開閉し、その場を後にしたのだった。


 ***


 右手に感じる紙のずっしりとした重さを腹立たしく思いながら、下駄箱にて外靴へと履き替える。


「あ、もしかして、謹慎中ってバイトしたらまずい?」


 ……いや、気づかなかったことにしよう。

 バイトで退学になるより、柚乃を怒らせるほうがよっぽど怖い。

 横着をしたせいか片手では靴がうまく履けず、諦めてかかとを踏んだままバイト先へと向かうべく歩き出した矢先――、


「う――っ!?」


 前につんのめって転――、


 ――ばない?


 何やらとてつもなく柔らかい、それでいて微動だにしない謎の壁に当たったような……というか支えられている?

 転ぶ寸前で、肩を掴まれた?

 なんて怪力の持ち主なんだ……?

 それにこの顔に当っている心地いい弾力の正体ってなに?

 もしかして……おっ――、


「自分で立って」


 ぞっとするほど冷たい鋭利な刃物のような声色。

 今しがたの興奮なんて冷めきって、俺は身の危険を感じ、咄嗟に距離を開ける。


「いやっ、あのっ、申し訳ありま――ッッ!?」 


 臨戦態勢と言わんばかりの仁王立ちをした彼女の容姿はとても見覚えのあるものだった。

 しかし――、


「どこへ行くの」


 声なんて聞いたことがなかったために、思考が停滞する。


「あっ、あっ、あつ、あ、あさっ……朝香さん!?」

「なぜペニスを晒した」

「ペニス!?」


 ようやく舌が回ってきたと思いきや――ペニスって……ペニス!?

 なんとはなしに朝香さんから、萎縮した愛息子まなむすこへと視線が下がる。


「――もういい」


 一向に会話が成立しないせいか朝香さんはきびすを返して、校舎を出て行ってしまった……。


「ってあれ? 帰るの?」

「……」


 朝香さんは校門に向かって歩き続ける。


「じゃあ、一緒に!」

「…………」


 返事がない。校門を出ても、ただひたすらに歩き続ける。


「俺、バカやったじゃん? それで、二週間謹慎になっちゃって……」

「………………」


 朝香さんは意外と歩くのが早い。

 それなのに前のめりになることなく優雅に足を運び、息一つ乱さず、肩も上がっていない。

 普段からこの速度なのだろうか。


「えっと――朝香さん?」


 俺はついに沈黙に耐えかね、彼女の視界に入るよう前に出て呼びかけた。

 行く手を阻まれた朝香さんは静止を余儀なくされ、

 

「なに」


 声に抑揚がなくて分かりづらいが、質問されているんだよな……。

 しかし、もともとその場しのぎの見切り発車、盛り上がるような話題なんて都合よく思いつくはずもなく――。


 代わりに――長めの腹の虫が場を繋ぐ。

 

「もしかしてお腹空いてたりする?」

「いいえ」

「あー……ね」

 

 そういえば朝から飲まず食わずだった……。

 あれ? 会話ってこんなに難しかったっけ?


「そういえば……」


 また朝香さんが黙りこくってしまう前に、俺はこのまま話を続けようと鞄を漁る。


「あったあった。これ、半分どうぞ」


 箱を開けて、2本入の袋から自分のぶんを一つ取り出して、もう一つを朝香さんに差し出した。


「いらな……これは?」

 

 今度はかすかに小首を傾げたような、明確な問いかけが見て取れた。

 今日一の手応え――。

 

「カロリメイト――のチョコ味、食べたことない?」

「……ない」

「人類が生み出した究極の完全食で、他にも色んな味があって――」

「…………」

「いらなかった?」

「あなたが先に食べてみて」

「え、あ、はい」


 促されるままに、もそもそと食べてみせる。

 俺よりほんの少し低い――百七十センチ後半はあるだろう高身長の美少女に、まじまじと見つめられて食すカロリメイト……お味がしない。口がパサパサ。飲み物がほしい。

 ……なにこれ、もしかして毒見?


「口を開けて」


 やっぱ毒見じゃん。

 まあ、用心深い女の子って俺は嫌いじゃないけどね。

 

「――ん」


 急いで飲み込んで、言われたとおりに口を開ける。

 またしても、まじまじと口内を注視する朝香さん。

 ちょっと興奮する。ぞくっとする。……ってどんなプレイ?


「よし」


 何がよしなんだ……?

 さすが朝香さん、あのいじめを耐え抜いただけのことはある。

 この奇人っぷりなら――と俺は妙に納得してしまった。

 

 そしてようやく記念すべき一口目――


「まだある?」

「はい、どうぞ――っていつの間に!?」

「まだ――」

「だから早すぎるって!? それに今ので最後! もうないよ!」

「明日も持ってきて」

「あ、ちょっと――!?」


 静止もままならず、朝香さんはすたこらさっさと去ってしまった。


「俺、謹慎……」


 まあ、今からバイトにだって出る予定だし、別に構わないかと独りごちる。

 それに……、


「また明日――っ」


 その言葉に胸を躍らせ、足取り軽やかに、スキップなんかしちゃって。

 俺は途中にあるコンビニへと向かうのだった。






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