第5話
五
俺はまず、花屋さんにやって来た。「高瀬生花店」だ。ここの人は見物に来ていない。高瀬公子さんは、今もこうしてお花の手入れ中だ。お、御主人さんも配達から帰ってきているな。御主人は高瀬邦夫さん。物静かで温厚な人だ。この二人が容疑者である可能性は低いと思われるが、思い込みは捨てねばならん。その点はチョビ髭警部の言うとおりだ。見物に来ていないのだって、こちらの分析を逆手に取っている可能性もある。可能性はゼロではないよな。という訳で、まずは探りを入れてみるか。客のふりして中に入ってと……。おお、中は自然の香りでいっぱいだ! ん、これは薔薇の香りか。いいねえ。お、百合の香りも、たまらんぞ。ああ、菊の花の独特の香り、鼻をくすぐるぜ。あらあら、二人とも仕事に夢中で、俺が入ってきたことに気付いてないな。ん? 公子さんが何かブツブツと言っているぞ。どれ。
「まったく、いい迷惑よねえ。あんなの絶対にわざとでしょ。最初から狙っていたに決まっているわ。お金目当てでやったのよ、きっと」
「だろうなあ。人間は欲に目が眩むと、何をするか分からんからなあ。真面目な人だと思っていたんだが、もう信用できんな。今後は気を付けとかないと」
「そうね。あなたもしっかりと目を光らせといてよ。これから先、何をされるか分からないから」
「だな。それにしても、子供が学校に行っている時間帯でよかったよ。あの人、何を考えているんだ、まったく」
「だからかもよ。子供が居ないから、やったのよ。まったく、わざとらしいったら、ありゃしない」
「だとしたら、ふざけた人だよなあ。まあ、早めに気付いたからよかったけど、もう少し気付くのが遅かったら、今頃、どうなっていたか。この辺は、建物も密集しているしなあ」
「そうよ。お向いさんはビジネスホテルだし、裏はお寺じゃない。考えただけで、ぞっとするわ」
な、何を言ってやがる。驚きだぜ。まるで、陽子さんが火災保険金目当てに自分で火を点けたかのような言いようじゃないか。ちくしょう、真面目で人のいい夫婦だと思っていたのに、がっかりだ。
俺は言ってやった。
「おいおい、ちょっと待った。陽子さんが犯人だと言うのかい。そりゃあ、あんまりだろ。陽子さんは被害者だぞ。必至に消火したんだぞ」
「あら嫌だ。びっくりした。桃ちゃん、来てたの」
「さっきから聞いていたぞ。ウチの陽子さんのことを散々に言いやがって。陽子さんが真面目な人だってことは知っているだろ。放火なんかするか!」
「いやあ、桃、大変だったなあ。火傷しなかったかよ」
「うるさい! 金輪際、俺のことを桃ちゃんとか、桃とか馴れ馴れしく呼ぶな。今後は、おじさんが店先の水道の蛇口を閉め忘れているのに気付いても、教えてやらないからな。もう絶交だ。こんな店、二度と来るか!」
俺はカンカンに怒って店から出た。後ろから二人の声が聞こえる。
「あらら、随分とご機嫌ななめねえ」
「パトカーが何台も来たり、警察官や野次馬でごった返したりしたんだ。機嫌がいい訳ないだろう。彼も被害者だよ。かわいそうに」
ふざけんな。かわいそうなのは陽子さんだ。何が「ふざけた人」だ。おまえらの方が、よっぽどふざけているぞ。ウチの陽子さんを何だと思っていやがる。腹立つなあ。――まあ、しかし、あの会話からすると、あの二人は犯行に関与はしていないな。あれは実行行為に絡んだ奴らがする会話じゃない。だとすると、やはり第一容疑者は、あいつか。さて、どうするか。いきなり飛び込んで、自供を迫るっていうのもなあ。冤罪を生んだ捜査って、そのパターンだしな。やはり、捜査は慎重にいこう。まずは第二容疑者からだな。大内住職だ。もうじき日も暮れる。暗くなると、お寺は恐いからな。早めに話しを聞いてしまおう。
俺は大きな門をくぐり、寺の中へと駆けていった。
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