第4話

             四

 まずは現場だ。放火の犯人は放火現場にもう一度現われて、顛末を見物するものらしい。ほら、警察官たちも何気なく周囲の見物人たちの写真を撮っている。ん? あいつは誰だ。阿南さんの家の敷地から塀越しにこちらを覗いている怪しげな男。金のネックレスに派手な柄のシャツ、目つきも座っていて、いかにもって感じだ。んん? 賀垂警部が歩いていったのを確認しているぞ。ああ、隣にいる阿南さんと親しげにヒソヒソ話をしている。うーん、怪しい。いや、怪しいと言えば、あの人だ。あれ、どこに行ったのかな。ああ、いた。イチョウの木の下からこちらを見ているぞ。大内住職。六十歳は過ぎているはずなのに、さっきは、袈裟を着たまま下駄履きで、しかも重たい消火器を持ってすぐに走ってきたぞ。準備が良すぎる。怪しい。いや、待てよ。もっと早く現れた隣の土佐山田ご夫妻は、どうだ。いやいや、ご夫妻は、あのホースで毎日、庭の小さな花壇や植木に散水しているからな。一階の店舗にいつも居るし、騒ぎにすぐに気付いても不思議じゃないな。それに、消火を手伝ってくれた訳だし。ん? この小刻みな足音は……美歩ちゃんだな。帰ってきたか。よし、迎えに行ってやろう。

 俺は敷地の脇の小道を人ごみに紛れて走っていった。こうやって警察関係者に紛れて出て行けば、俺がここの居候だとは気付かれないだろう。警察官ぽく、忙しそうなふりをしてと……。お、やっぱり美歩ちゃんだ。パトカーの前で立ち止まっている。驚くのは無理もないな。只でさえ、大人が自分の家の前に犇いていて驚いただろうに、この赤レンガ敷きの狭い通りは赤色灯を回したパトカーと規制線で塞がれているからな。ああ、さすがに気に掛けて、婦人警官さんが話し掛けてくれたか。どれ、俺も行ってみる……ん? あそこに立っているのは、大通りの向こうの「まんぷく亭」のおばちゃんじゃないか。よくウチに遊びに来るから、顔は覚えているぞ。たしか、名前は鳥丸とりまる玲子れいこさんだ。しかし、あの大通りを横断して、わざわざ見物か? 陽子さんと同級生だとか言っていたな。心配だから来てくれたのかな。いやいや、待て。捜査に私情は禁物だ。犯人だから、セオリーどおりに現場を見に来たのかもしれん。一応、容疑者にリストアップしておくか。ああ、美歩ちゃんが泣き出しそうだな。真新しいランドセルを背負ったまま、美歩ちゃんは不安で一杯の顔をしている。隣にしゃがんで話し掛けている婦人警官さんも困った顔をしているぞ。どうやら、俺の出番だ。

「よお、美歩ちゃん。お帰り。驚いたろう。でも大丈夫。心配はいらん。お母さんは元気だ。大事無い」

「ほら、桃太郎さんが来てくれた。大丈夫だからね。心配しなくてもいいからね」

 お、なんだ。この婦人警官さんは、いつも弁当を取りに来てくれるお姉さんじゃないか。だから、美歩ちゃんのことも気に掛けてくれたのか。ありがたい。礼でも言っとくか。

「世話になったな。美歩ちゃんは子供だから、この騒ぎで驚いているんだろう。あんたが傍に居てくれて良かったよ。それにしても、あの賀垂警部って人に任せて、本当に大丈夫な……ん?」

 なんだ、なんだ。信用金庫からも職員さんたちが出てきたぞ。見物か。まだ五時前だろ。仕事しなくていいのかよ。あ、いつも弁当を取りに来る須崎すざき支店長さんだ。こっちに歩いて来たぞ。

「何事ですか。ドロボウでも入りましたか」

 須崎支店長さんは心配の「心」の字を眉と鼻と目で作っている。俺は彼に言った。

「いや、この辺を荒らしていたドロボウは、俺が撃退しました。だが、今回の悪者はタチが悪い。放火ですよ、放火。火付けです。一昔前なら、長谷川平蔵に……」

「いえ。ボヤなんですけど、警察の方のお話では、放火の疑いもあるとかで……」

 後ろから陽子さんが口を挿んだ。美歩ちゃんのことが心配で来たらしい。ズボンはまだ、ぐちょぐちょだ。須崎支店長さんもそれに気付いて言った。

「奥さん、消化剤まみれじゃないですか。もう、警察へのお話は済んだのでしょう。早く二階に上がって、着替えていらっしゃい。そんな薬剤が染み込んだズボンをいつまでも穿いていたら、肌によくない。シャワーか何かで早く洗い流さないと。見物人も、どんどん増えてきますよ。ほら、美歩ちゃんも連れて、早く」

 見回してみると、確かに見物人は増えている。面白そうな顔でニヤニヤしながら近寄ってくる若者たちもいるぞ。あ、信用金庫の駐車場の向こうのビルの二階から喫茶店のおじさんも覗いている。ぬぬ、隣の安ビジネスホテルからは客が携帯電話のカメラで撮影しているぞ。あ、こっちの若者達も。パシャパシャと。他人の災難を珍しそうに撮影しやがって。けしからん奴らだ。んん、あそこの高校生のガキまで。いったい、どういう教育を受けているんだ。よーし、ちょっと俺が行って、注意してやろう。

 俺がその馬鹿高校生の方に怒り肩で歩いていると、ウチの裏手から鑑識のお兄さんが出てきた。彼は車に乗り込もうとしていた賀垂警部に駆け寄ると、小声で報告した。

「これ、点火に用いたブツも特定できるかもしれませんね」

 賀垂警部の目が鋭く光る。

「ライターでも見つかったのか」

「いえ、そうじゃないのですが、最初の着火点は、重ねられた容器を入れたビニール袋の真下かもしれんのですよ。だとすると、熔けたビニールやプラスチックが上に重なって燃焼物の残骸を包み込んでいる可能性が高いんです」

「燃えきっていないということか」

「ええ。たぶん、点火の火力は小さかったはずです。小さな火が暫くかけて下の方の容器を少しずつ溶かしながら燃えていって、徐々に広がった。扉が閉まっていたので、酸素も足りなくてくすぶっていたが、消火のために扉を開けたので、急激に酸素が加わって、上の方の容器を一気に燃やした、そんな感じです。消火も早かったようですから、融けたプラスチックが冷やされて凝固していたら、中にガソリン、灯油、ライターオイル、紙くず、何であれ、犯人が点火に用いたブツの燃えカスを包み込んで固まっているかもしれないんです」

 なるほど。着火に用いた手段が特定できれば、捜査の幅はぐっと絞られてくるぜ。さすがは警察。本気になれば、すごいじゃないか。俺が聞き耳を立てて感心していると、賀垂警部は頷いて言った。

「よし。まずは点火に使用したブツの割り出しに掛かってくれ。聞き込みはそれからだ。それから、怨恨の線も忘れるな。被害者に恨みを抱いている奴の犯行かもしれん」

「いや、それは……。外村さんは、他人から恨まれるような方ではないですよ。それに、点火物の特定なら、消防の方がデータやノウハウを持って……」

「馬鹿者! そんな悠長なことを言っていて、どうするんだ。ウチはウチで特定しろ。双方を照らし合わせればいいんだ。客観捜査だよ、客観捜査。それにな、捜査に私情は禁物だぞ。いくら警察署にお弁当を入れている人のいい奥さんだからと言って、決め付けてはいかん。誰だって、他人から恨みを買うことの一つや二つは、やっているものだ。まずは、ブツの特定と、近隣住人のリストアップ、この二つだ。いいな」

 賀垂警部は車に乗り込むと、激しくドアを閉めた。赤色灯を回したその覆面パトカーは、見物人にクラクションを鳴らしながら、大通りの方にゆっくりと走っていく。それを見送りながら、鑑識のお兄さんは項垂れた。

「なんか違うんだよなあ。聞き込みの方が先だと思うんだけど……」

「俺もそう思うぞ。だが、君は組織の人間だ。無茶はするな。こういう時のために、俺みたいな、フリーの探偵がいるんだ。ま、後は任せておけ。点火のブツが特定できたら、教えてくれ。じゃあ、俺は捜査に行ってくるぜ」

 俺は彼にそう言って背を向けた。陽子さんと美歩ちゃんは家の中に入っている。これ以上、野次馬連中の視線に晒されることもない。こっちも捜査に専念できる。よし、まずは聞き込みの開始だ。

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