第5話
五
綺麗に切り揃えられたツツジの植え込みの中から、ニット帽が持ち上がった。顔の前でデジタルカメラを構えた雀藤友紀が、植え込みから上半身を出す。エントランスの中のオートロックのガラス戸を開けて中に入ったフードの男は、雀藤が立っている方角に背を向けて、エレベーターへの方へと歩いて行く。雀藤はジャンパーの袖に引っ掛かった小枝を引っ張りながら、必至に男にレンズを向けた。男はエレベーターの前で立ち止まる。雀藤はデジタルカメラを握った手を精一杯前に突き出して呟いた。
「こっち向け。こっち」
男はフードで覆った頭と背中を向けたまま、エレベーターの扉の方を向いて立っている。雀藤友紀は必至に手を高く上げて、男の顔を捉えようと試みたが、無理だった。その時、男のフードの片方だけが内側から薄く光っているのに気付いた雀藤は、デジタルカメラを握っていた両手を下ろした。
「携帯で通話中かあ……」
植え込みから出てた彼女は、少し後ろに下がってマンションを見上げる。十三階の貝原の部屋は明かりが点いていた。ピンクのカーテンに人影が映っている。人影は、腕を上げ、肘を曲げていた。電話を耳に当てているような恰好に見えた。雀藤は慌ててデジタルカメラを上に構えた。すると、背後から男の声がした。
「ちょっと、あんた。そこで何してんの」
振り返ると、カーディガン姿の老人が立っていた。雀藤はデジタルカメラをジャンパーのポケットに隠して、取り繕う。
「あ、いえ。その……ちょっと、夜の散歩に……」
視線をエントランスに向ける。男がいない。舌打ちをした雀藤は、裏手に回ろうと駆け出した。すると、老人が彼女の腕を掴んだ。彼は厳しい口調で言う。
「ちょっと待ちなさい。ここは私有地なんだよ。近頃、あんたみたいな人が勝手に入って、敷地の中やマンションの中をうろつき回ったり、オートロックの解除ボタンをいじっているのが目撃されていてね。住人のみなさんも不安に思っているんだ。悪いが、あんた、身分証を見せてもらえませんかね」
雀藤は助けを求めるかのように、車の方に顔を向けた。妙蓮寺は既に車から降りて、こちらに駆けて来ていた。彼は老人に叫ぶ。
「人を追っているんだ、その子を放せ」
老人は驚いた顔で手を放す。駆けつけた妙蓮寺は言った。
「エレベーターは!」
雀藤は再びエントランスに顔を向ける。エレベーターが開き始めたところだった。彼女は叫んだ。
「今開きました。彼は乗っていません!」
「裏手だ、向こうから回れ!」
「はい!」
二人は時計回りと、反時計回りに建物の裏手へと駆け出した。
建物の裏手には、金網で囲まれた大きな変電設備があった。その前で合流した二人は、息を切らしながら周囲を見回す。
「しまった、逃げられたな」
「どうしましょう、探しますか」
「当たり前だ。まだ、そう遠くには行っていないはずだ。君は、ここから西のコンビニまでの百メートル四方を探せ。交差点に出たら、絶えず右に曲がるんだ。区画の中心に目を向けて走れ。僕は、東の公園前の十字路まで、百メートル四方を回る」
「分かりました。行ってきます!」
雀藤は指示された方角に駆け出した。妙蓮寺も反対側に駆け出すと、急停止して振り返り、雀藤に叫ぶ。
「見つけても、絶対に近寄るな。距離を保って写真を撮影しろ。それだけでいい」
「はい!」
雀藤友紀は全力で走っていった。
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