第3話
三
タワーマンションの前から五十メートルほど行った先の曲がり角で、二人は横道に入った。雀藤の肩から手を放した妙蓮寺大助は、再び彼女に説教を始める。
「こんな時間に、あんな所でデジカメを持って立って居たら、怪しい奴だって顔を覚えられちゃうだろ。誰の何を調べているのか知らないけど、中の住人に顔を見られたら駄目じゃないか。そういう事は、ちゃんと気をつけないと駄目だよ」
デジタルカメラを胸の前で握ったまま首を引っ込めた雀藤友紀は、恐る恐る妙蓮寺に尋ねてみた。
「あの、失礼ですけど、妙蓮寺さんって、いつから探偵を……」
「はあ? 君、本当に僕の事を知らないの? まあ、無理も無いか。新人じゃ、僕の事は教えてもらえないよなあ」
「どういう事ですか」
「僕はね、探偵の中の探偵でもあるんだ」
「探偵の中の探偵?」
首を捻りながら聞き返した雀藤に、妙蓮寺は頷いて見せた。
「そ。探偵って仕事は一人では出来ないって事は、君も分かっているよね。同業者同士のネットワークが大切だって」
「はい。それは、いろいろと教わりました。他の先輩たちから」
「だけど、僕の話は聞かされて貰えなかったわけだ」
「はい……」
「じゃあ、特別に教えてあげよう。どうせ、この業界にいるのも長くないだろうし、もしかしたら、この世にいるのも、あと少しかもしれないしね」
「……」
雀藤は不機嫌そうな顔をしながら、何度も瞬きする。妙蓮寺は笑いながら言った。
「冗談だよ。――と、言いたいところだけど、僕は探偵だからはっきりと言う。それが今の君の現実だ。ま、いいや。とにかく、教えてあげよう。僕は、探偵業界の中に裏切り者が出た時に、その裏切り者の探偵を調べる事もやっている。だから、あまり表に名前が出ていない。君が知らないというのは、当然と言えば、当然だ」
雀藤の瞬きが一段と早くなった。
「そ、そうなんですか。という事は、妙蓮寺さんは、相当に実力のある方なのですね」
妙蓮寺はスーツの襟を整えながら答える。
「ま、そういう事になるのかな。尾行のプロを尾行したり、張り込みのプロを張り込んだりする訳だからね。そいつらよりも、腕がよくないと勤まらない事は確かだね」
それを聞いた雀藤は、また焦点が飛んだまま暫らく考えた。そして、ふと顔を上げると、妙蓮寺の表情を伺いながら言った。
「あの……」
妙蓮寺大助は次の発言を待つような顔を雀藤の方に出す。雀藤は小声で尋ねた。
「妙蓮寺さんは、今日は何の調査で……」
顔を引いた妙蓮寺は、険しい顔で答える。
「依頼の話はしないって言ったでしょう」
雀藤は顔の前で手を左右に振った。
「あ、いえ。具体的な内容はいいです。でも、方向性だけ。素行調査ですか、所在調査ですか、それとも……」
「それを聞いて、何をするつもりだい?」
「あの……」
また言葉を飲み込んだ雀藤は、急に姿勢を正すと、パタリと腰を折った。
「妙蓮寺さん。――いえ、妙蓮寺先生。私を弟子にして下さい!」
妙蓮寺大助は唖然とした顔で言う。
「――あ、いや、急に言われてもなあ……。僕は、一匹狼だし。そういうのは……」
「私、もう後が無いんです。この調査に失敗したら、またバイト生活に逆戻りですし、来月から生活していけないですし……。決して、ご迷惑はお掛けしません。せめて、今夜の張り込みだけでも、ご一緒していただけないでしょうか」
妙蓮寺は首を掻きながら返答した。
「もう、迷惑を掛けられているんだけどね。僕も仕事だって言ったろう。住人のふりして中に潜入しようと思ったから、こんな恰好をしてきたのに、これじゃ、今日は無理じゃないか。後日、変装して、別人として来ないといけない。変装だって、結構な額の経費が掛かるんだよ。分かってる?」
「すみません。その分は、先生の事務所でお手伝いさせていただいて、お返しします。ですから、先生の探偵としてのノウハウを、どうかご伝授ください!」
妙蓮寺は声を潜めて言う。
「だから、君。声が大きいよ。夜なんだから。それに、言っている事が滅茶苦茶じゃないか。とにかく、僕は帰りますよ」
「ええ。やっぱり、駄目ですか。そんなあ……」
嘆く雀藤に背を向けて、妙蓮寺大助は歩いていった。一度足を止めた彼は、振り返って言う。
「ああ、そうだ。トイレに行く時は、そこのコンビニを使っちゃ駄目だよ。そのタワーマンションの住人も、しょっちゅう使うコンビニだから。向こうの公園も、不良の溜まり場になっているから駄目だ。そのコンビニの先にある信号を渡って、一本曲がった所に、もう一軒コンビニがあるから、そこを使うといい。あと、フードを被ったら駄目だよ。目立って、逆に怪しまれるからね。じゃ」
雀藤に軽く手を振った妙蓮寺は、くるりと後ろを向いて歩いていった。雀藤友紀は涙目で彼の背中を見送った。
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